校長室会議_教育論
「彼をこの学校の生徒として迎えたいのですが、皆さんはいかがですか?」
デルタはそういうと椅子から降りて皆の座るソファのところまで歩き、ふたつのソファの間に置かれたテーブル上にあるヨランダンのお菓子セットの中からクッキーをひとつ摘んで頬張った。
「それはいいですわね。私は賛成です」
ヨランダンは"盲目のデルタに"別のクッキーを"目で勧めながら"逡巡なく賛成意見を言った。
「私は正直反対です。彼の持つマナは計り知れません。今朝はなんとかなりましたがまたあんな事があれば今後彼の命や生徒の安全が守れる保証はありません。それに..」
険しい顔でマンソンが言ったところでゲンスイが
「うむ。それよりももし、彼の存在が向こうに知れたらここに攻め入って来やせんかね?」
とマンソンの気持ちに上乗せして反対と取れる意見を言った。
「そうです。敵はブリテン聖教会でしかもその背後にルーエン殿下がいるのです。ローデンティア大陸最古の国家と宗教団体が敵なのです」
クッキーを頬張る年長者二人に目を向けてマンソンは冷静に言った。
三人がけソファの真ん中に座るヨランダンの右に学年主任で剣術教師のマーレがいた。
幾多の戦場を剣一本で駆け抜けた後、さらに三十年を剣術教師として走り抜けたこの学年主任もクッキーをつまみ、
「これだけの先生方がおられるわけだからマナの件はなんとかなると思うが、事を構えるにはさすがに相手が悪かろう」
と、いつものゆっくりした口調で言ってもうひとつクッキーに手を伸ばした。
「だけど、王国も聖教会も全てが敵ってわけじゃないんでしょ?新国王はエリウス三世陛下でルーエン殿下ではなわけだし。それに、ブリテン聖教会の教皇はジルトンちゃんでウォーリスちゃんではないわけじゃん?」
メリッサが目にも止まらぬ速さでペンを回しながら言った。
「しかしマルロー国王がご病気でご不在、ジルトン教皇に至ってはここ何年も姿を見た者さえおりません。実質ルーエン殿下とウォーリス枢機卿の派閥が実効支配していると見ておいた方が安全かもしれません」
ソフィエがそう言うと、
「彼はここで学べば大丈夫よ。立派な魔術師に育ててみせます。それに向こうにバレなければ問題ないでしょう?」
ヨランダンが紅茶をすすりながらそう言うと、新人剣術教師のサイファーが
「私も彼を受け入れるべきと考えます。彼はまだ少年です。それに月からこの世界に来たばかりです。子どもを保護するのは我々学校関係者の努めのはずです」
と、若くて真面目な彼らしい教育者としての正論を唱えた。
「そう!素晴らしい意見だわ。立派になったわねサイファー。これお食べなさい」
元教え子の成長ぶりがうれしくなった彼女はすっかり機嫌を良くしてクッキーを勧めて言ったがサイファーは手のひらを見せ笑顔で断った。
「サイファーの意見は最もですが、一人を守るために三十六名の生徒を危険に晒しては本末転倒です」
マンソンがヨランダンの意見に食い下がると
「一人の子供を見捨てる大人が、多くの子供たちに何を教えると言うのです?」
と真面目な顔でヨランダンは言った。
ここにいるマンソン、ソフィエ、サイファー、そして医務室にいるトトも全てヨランダンの元生徒だった。
彼らはヨランダンだけでなく、デルタやマーレ、ゲンスイ達に鍛えられた面々だった。
今では称号持ちの魔術師となり分校の屋台骨を支える教師として活躍を続けるマンソンもヨランダンにかかるとどうにも分が悪かった。
しかしマンソンは持論を曲げず、
「理想を掲げている状況ではないでしょう。死人が出る事だって十分にあり得ますよ。いや下手をすれば分校の全員が殺される事だって」
と声を荒げた。
「理想なき教育で、未来を切り開く人材は育ちませんよ。マンソン、ここにいる面々をよく見てごらんなさい」
落ち着いた声でヨランダンにそう言われ、マンソンは周りを見た。
「ゲンスイ先生は立派な医師でトトだって立派にやっています。サイファーもこの一年ずいぶんと成長しました。ソフィエはもう称号を獲ってからずいぶん経ちます。マーレ先生もいて、それにここにはデルタ校長がいるのですよ。この面々で子どもたちを守れないとあなたは本当に思いますか?」
「守れないとは言っていません。ただ、最悪の事態も考えておくべき状況だと申し上げたいのです」
「傷つく事、傷つける事は過程であり、死ぬ事は結果です。大切なのは自分らしく生きる事です。それが出来ない状況なら戦うしかありません」
ヨランダンはマンソンの目を見て言った。
「あなたは生徒たちが傷ついて死んでもいいと?」
とマンソンも反論する。
「いいえ。よくありません。しかし自分らしく生きられないのは、それ以上によくないと言っています。自分の尊厳や愛する者を守るために戦わないなら死んでいるのと同じです」
珍しく強い口調で言い切ったヨランダンに
「戦わない選択肢もあるはずです」
とマンソンは言った。
「目の前の迷える命を見捨てて逃げるなんて。神に背き、教師としての自分に背き、人としての信念に背く事です。私には出来ません」
ヨランダンは怒っているような、悲しんでいるような声で言った。
「私はあなたの教え子です。あなたは今でも私の目標の先生です。しかし理想だけでは」
マンソンは努めて冷静に言うと、自論を展開した。
「私にだって理想はあります。しかし魔術師になり教師になってからたくさんの現実を目の当たりにしてきました。理不尽な現実ばかりです。今彼を受け入る事は、分校が国を相手に戦争をするという事です。生徒たちを戦争という理不尽に巻き込むわけにはいきません」
両者譲らず少しの沈黙があった。
「ソフィエちゃんはどう思うわけ?」
とメリッサが聞いた。
「皆さんの意見はそれぞれもっともだと思います。でも、生徒たちに対する思いは同じだと感じます。皆、大切な人を守りたい。守れる算段が立てばマンソン先生もゲンスイ先生も彼の保護に納得してくれると思いますがいかがですか?」
「うむ。そりゃあな」
「ええ」
「ここに、算段を立てるのが世界一上手な方がいらっしゃいます。そしてその方が、彼を受け入れようとおっしゃっています」
ソフィエに一本取られたとばかりに皆の顔から殺伐とした雰囲気が消えた。
ぺしっと右手で自分の頭を叩いたデルタは
「おやおや。これはしてやられたり」
と言って笑った。
ソフィエの発言も含め、きっとデルタの読み通りだろうと思うとマンソンは少し怖くなった。
それと同時に安心感も覚えた。
確かにデルタなら、巨大な国家や宗教団体を敵にしても生徒たちを守る術が見えているのかもしれない。
「策がある、という事ですか?」
マンソンが聞いた。




