時代の変化
ブリテン神官学校には、本校と分校がある。
ブリテン城とブリテン聖教会に挟まれるように建つ大きな学校が本校で、城下町の中心地にあり、設備も充実、制服もおしゃれなこの学校は、王族、貴族と一部富豪の師弟しか入学が許されないエリート校だった。
設立当時は高明な魔術師や騎士をたくさん排出する名門校だったが、長く続いた平和によってもはや見る影もなくなっていた。
本校の在校生は二百人を越えるが、彼らの大半は箔をつけるための入学者であり、碌に修行もしないまま袖の下に頼り、名ばかりの魔術師や騎士の称号を得て卒業し、この国の要職に就くのが通例となっていた。
ブリテン王国が東の大陸ローデンティアで一強と言えるほどに強い国力を持っていた平和な時代ならそれでもさほど問題になる事はなかったが、ここ十年で王国を取り巻く状況が激変していた。
ローデンティア大陸北部の弱小国だったデラン帝国が勢力を急拡大し、ウルガ山脈の北部一帯ほぼ全て、すなわちローデンティア大陸の上半分のほとんどを制覇した今、優れた魔術師と騎士の養成は国家存亡に直結する事態となっていた。
デラン帝国の躍進にいち早く危機感を覚えたブリテン王マルローは、八年前に本校の改革に乗り出した。
だが、ブリテン王の危機感とは裏腹に、支配層の多くはデラン帝国の脅威を理解しなかった。
それもある程度は致し方ない事でもあった。
地政学的見地に立てば、ブリテン王国ほど恵まれた国はなかったからだ。
王国の東西と南に広がる土地には、国らしい国がない。
そこは乾きの渓谷、帰らずの沼、滅びの大平原といった不可侵かつ不毛地帯であり、誰も治める事はできなかったし、望みもしなかった。
唯一、ローデンティア大陸最南端の陸地は利便性が高く住みやすい環境の土地だったが、すでにブリテン王国領土になっていて、この大陸最南端の港町サフーは交易の中心地として賑わいを見せ、ブリテン王国に大きな利益をもたらし続けていた。
後の一方向、北はそれこそ万全と思えた。
ウルガ山脈である。
この巨大な山脈があるだけでも絶対の自然要塞として十分な城壁なのに、北斜面と南斜面には魔獣の域を超えた神獣の縄張りがあった。
神獣の数も生息場所も正確には明らかにはなっていなかったが、そんな危険な場所を押し通れるほどの軍隊があるはずはなかったし、もしあったとすれば、ブリテン王国が全兵力を持ってしても勝てる相手ではないのは火を見るより明らかだった。
もうひとつだけ、デラン軍がブリテンへ侵攻するルートとして海路があったが現実的には不可能だった。
ローデンティア大陸東海岸には北から南へ親潮海流が存在した。
デラン帝国を出航した軍艦が親潮に沿って海のルートを進めば南下自体は可能だが、ブリテンの港に着くまでに巨大な渦潮が発生する場所があり迂回する必要があった。
渦を回避する方法はふたつで、海岸沿いぎりぎりを進むか海岸線から大きく離れて迂回するかだった。
しかし海岸沿いは暗礁地域で、軍艦のような大きな船では確実に座礁の憂き目にあったし、渦を迂回するために大きく岸から離れればそこはもう海の魔獣の出没地域だった。
小さな商用船で海岸沿いを進む以外に海路はなかった。
さらに、ウルガ山脈北斜面にはロエリア公国があった。
この国はブリテン国王マルローの弟シン大公が治める国であり、次々と陥落した北の国々にあってこのロエリア公国だけはまだデラン帝国に屈していなかった。
ウルガ山の崖と森に囲まれた場所にあるこの小さな国は、国の規模に見合わない強い軍隊を持っていた。
剣聖と謳われる傑物を多く抱え「ロエリア騎士団は神の精鋭」とさえ言われたロエリア軍は、デラン帝国の侵攻を幾度も押し返した。
ブリテン王国はロエリア公国に援軍を出していて、その伝令からデラン帝国軍恐るに足らずとの戦況報告を受けていた。
ブリテン王国の重鎮たちの多くはロエリア公国を格下の属国と見ていたので、ロエリアを落とせないデランは伝令の言う通り田舎の弱小国であり警戒など不要というのが時勢に疎い王族貴族の大方
の見方だった。
歴史で語るならブリテン王国はローデンティアで最も古く、魔法王国と言われるほど魔術師の数も多い「先進国」なのは事実であり、一方デラン帝国はつい十年前まで辺境の「田舎の国」でしかなかったのもその通りだった。
ブリテンの王族貴族には、デラン人を見た者はおろか、帝王を名乗るデランでさえその存在を直接知る者は誰一人いなかった。
魔術師試験や騎士任用試験の不正追放という小事が難航してしまうほどブリテン国王の威光が届きにくくなってしまった事を目の当たりにして心労を重ねた高齢の国王マルローは大病を患ったのを機に今年退位を表明した。
次期国王の人選は皆にとって意外なものだった。
王になる事が決まったのはエリウス三世だった。
幼少期にロエリア公国のシン大公の元で育てられた後、放浪生活を経て帰ってきて早々に王になる事になったが、俗物と傑物の相反する二つの噂を持つ人物だった。
これまで国元におらず情報がなかったので王国の重鎮たちは新国王を測りあぐねていた。
マルローは退位表明に先立ち、ブリテン新館学校本校の抜本的人事改革を指示した。
それは教育関連の全権限をデルタ・オサロに与えると言うものだった。
しかしその案は、王国内での反対にあいあえなく潰えた。
神官学校の人事さえままならないほど自分の力が衰えた事を自覚した国王は、ブリテン聖教会に相談した。
その結果、聖教会の枢機卿と大司教を本校のトップに据える案が出来上がった。
本校のトップワンツーとして新たに着任する事になったのは、ブリテン聖教会のナンバーツーであるウォーリス枢機卿とその右腕と言われているドイル大司教だった。
聖教会の現役神官魔術師、しかもこれほどの上位司祭を二人も本校に送り込むのはこれまでに例のない人事であり、ブリテン王は大いに喜びブリテン聖教会に祈りの塔の補修を約束した。




