【コミカライズ】うふふ、踏みつけられたままでいると思っていたのですか?
「君を側妃にしようと思う」
結婚式の前日に婚約者から告げられた言葉に私は息をのんだ。
「正妃はユリアだ。だが、彼女は男爵家の教養しかないから正妃の仕事は難しい。君も王太子妃教育を受けてきた7年間を、無駄にしたくはないだろう?」
私は王座の国王を見た。その隣に立つ父親を。
王家と公爵家の間で取り引きはすでに終わっているようで、どちらの父親も平然としていた。
婚約者が浮気をしていることは知っていた。ユリアと親密な関係となり、最近では私ではなく重要な夜会でもユリアをエスコートしていることも。
けれども、ユリアを正妃に望むほど溺れていたとは。
思わず婚約者を睨み付けたくなったが、一時の感情にかられて行動するのは愚か者だ。
息をゆっくり吐き、7年間で叩き込まれた淑女の微笑を顔にはりつけた。
「それこそ難しいかと。実務はできますが、貴族たちの協力に不安が……。何故ならば、側妃となった私では嘲笑の的になってしまいますから」
「どうして?」
王太子がこれほどバカとは思わなかった。政治的影響力を考えればわかるはずなのに。
「うふふ。男爵家の娘が正妃となり公爵家の娘が側妃ですのよ、貴族社会では考えられないことではありませんか。しかも、その公爵家の娘は7年間も正式な婚約者であったのに、土壇場で側妃に。貴族たちが見下すのは必至でしょう?」
グッと言葉に詰まった王太子に視線を流して、私は国王と交渉することにした。
「陛下。私を少しでも哀れとお思い下さるのならば、また側妃として王太子妃の仕事を潤滑にするためにも、どうぞ明日の結婚式に〈精霊の涙〉を私に」
「何をいうのだ!? 〈精霊の涙〉は国宝ぞ!」
「だからこそです。結婚式で〈精霊の涙〉を持つ私を貴族たちは貶めることはできません。王家が私を蔑ろにしていない証拠ですから。何より明日の結婚式の重要性を示す絶好のものかと」
国王が深く考えこむ。貴族バランスを思えば、男爵家の娘を正妃にする危険性を誰よりも理解しているのは国王であるのだから。
一人息子が可愛いからといっても、導火線に火を着けるに等しいバカなおねだりに頷くから、酷く不快で不愉快な事態になるのよ。その尻拭いを私ひとりに押し付けるのだから、国王は、
「ーーしかたあるまい。特別に許可しよう」
と言うしかない。
苦渋をたっぷり含んだ国王の言葉に歓喜が湧くが顔には出さず、美しく微笑したまま礼をする。
「陛下の寛大なお心に感謝致します」
国王が悩むのも無理はない。
〈精霊の涙〉は、戴冠式や国王の崩御など、王国の大事な儀式において国王が必ず身に着ける国宝なのだ。
そう、国王が。
いっそ明日の結婚式の花嫁を、ユリアにすげ替えられるのならば楽なのでしょうけど、王家と公爵家の結婚式ゆえに出席する人も多い。ユリアでは怒りをかうこと間違いなしである。
それに王家は私を手放せない。
私の真の価値は、公爵家の娘だからでもなく王太子妃の仕事ができることでもなく、王国一番の魔術師であるということなのだから。
この7年間、貴族の娘と生まれた定めとして、誠実にあなたを支えようと思ってきたのだけれども。
ずっと従順にしたがってきたのだけれども。
男尊女卑の王国とはいえ私は花瓶に生けられた花ではないの、心があるのよ。
「それでね、私、怒ることにしたのよ」
公爵家の自室で私は護衛に向かって言った、部屋には私と護衛の二人っきりだ。
整った顔立ちをしているけれど、無口無表情無感動の三無の護衛が頷く。静かな巌のようだ。
10年前、ぼろぼろに死にかけていたのを私が拾って、天賦の才で今では王国一の剣士となった。剣も槍も弓も馬術も格闘術も、あらゆる武闘大会で優勝した時もニコリともせず表情を崩さなかった。
私への忠誠心はもはや粘着しているといって良いほどで、ぴったり張り付く護衛のせいで王太子は私にキスひとつできず、そのためにユリアに走ったともいえるのだが。無言でバリバリ威圧する護衛に王太子は怯えていたし。
だからといって、これほどに虚仮にされて私が従順でいるとでも?
踏みつけられれば痛いし虐げられれば辛い。蔑みを受けて心が平気でいられるとでも?
王太子は愛するユリアにこわれて、国王は大切な一人息子に願われて、公爵家は家の利益のために。勝手をする者が幸せになって、私ひとりだけが我慢して何故不幸にならなければいけないの?
「ねぇ、あなたは私に永遠を誓えるかしら?」
ギロリと護衛が私を睨む。自分の忠誠を疑うのか、と。
「ごめんなさい、言い方が悪かったわね。つまり、私と永遠を誓ってほしいのよ」
意味がわかると真っ赤になって高速で何度も頷く無口な護衛を見て、私は心から嬉しく思って手を差し出した。
翌日の大聖堂での結婚式は盛大なものだった。
列席者は諸外国の要人、国内の有力貴族や重臣、そうそうたる顔ぶれだった。
そして誰もが、私の胸にある〈精霊の涙〉に驚愕の目を向けていた。
式は粛々と進み、大司教が私に誓いの言葉をもとめた。
「愛? 愛は誓いませんわ」
私はにっこり笑った。
「浮気者に誓える愛など私は持っていませんの」
その時、大聖堂の床が揺れた。
ゴゴゴッッ!! 咆哮のような爆音が轟いた。
無数の蔓が床を突き破り、一瞬で、大聖堂中の人々の足を胴を腕を絡め取り複雑にからまる。
人々はぐるぐる蔓に強く巻き付かれ身動きができない。
「ひっ、何だ!? これは!?」
「う、動けない! 誰か助けて!」
「兵士は何をしている!? 魔術師は!?」
もちろん兵士も蔓に動きを封じられているし、魔術師にいたっては、呪文を唱えることができないように口にまで蔓が侵入していた。王国で無詠唱で魔法を使えるのは私だけだ。
「うふふ、防音の結界を張ってありますから騒いでも外には聞こえませんことよ」
私は王太子に視線を向けた。
「あなたを愛しておりませんので、やっぱり結婚はできませんわ。でも、よろしいでしょう? あなたは愛する方を正妃にする予定ですし、私、側妃として利用されるだけの人生なんてまっぴらですし」
「何故!? 僕を愛していただろう? ユリアを正妃にしたとしても、側妃として愛してあげるつもりだったのに!」
叫ぶ王太子に私の目が冷たくなる。どうやら私に愛されているから、自分は何をしても私から許されると思っていたようだ。
「バカですの? 浮気した時点であなたのことなど切り捨てましたわ。それでも貴族に生まれた者の責務として、王妃として国を守ろうと思っていましたが、王家は私を側妃にするという屈辱を与えた、もうあなたどころか王家もポイですわ」
カツン。
動ける者がいない中、私の護衛が、大聖堂の中央に敷かれた絨毯を歩いてこちらに向かってくる。カツン、カツン、と護衛の足音は大きく響き、海鳴りのように騒いでいた人々の声は次第に小さくなっていき、やがて全ての注目を集め静まった。
護衛は膝を折り恭しく私に手を差し伸べた。
その手に、私は自分の手を重ねる。
ざわり、大聖堂がどよめいた。
「浮気の慰謝料として〈精霊の涙〉はいただきますね」
7年間逆らわなかったのは、ここぞという時まで油断してもらうためなのよ。あなたがバカなことをしなければ、一生ネコを百匹ほど飼ったままでいるつもりだったけど。
幼い頃から私は自分の危険性を知っていた。
だから常に表情も態度も淑やかに、国宝の時のようにお願いをすることはあっても、反抗したり逆らったりすることは一度もしたことはなかった。逆らわない人間は、人から侮られることが多い。あなたは、私が危険であることよりも逆らう可能性があることよりも、おとなしく便利なものとしか認識していなかった。
ありがとう、私をナメてくれて。
私はうふふと笑って最後に唖然としている王太子を見た。
「どうか末永く愚王として、いえ偽王として王座にお座り下さいませ」
〈精霊の涙〉は王国の王たる証だ。代々の国王は皆〈精霊の涙〉とともに王として王国に君臨してきた。つまるところ〈精霊の涙〉を所有していない者は、王族であろうと正統な王とは認められないのである。
真っ青になって王太子は必死で私を引き止めた。
「待ってくれ、謝る、悪かった、待って、行かないで、頼む! 頼む!」
「ユリアを側妃にする、それでいいだろう!?」
と国王が叫ぶ。
「考え直せ! 公爵家を潰す気か!?」
と父公爵が怒鳴る。
私は大聖堂の扉の前で人々に言った。
「皆様、そのうち異常に気付いて誰かが来てくれますわ。ただ王国の魔術師を総動員しても、解除には3日以上かかるやも……。その間、おトイレ事情などで恥ずかしい目にあうかもしれませんが、王家の愚行が原因ですので、恨むならば王家を恨んで下さいませね」
悲鳴が破裂して絶叫になったが、私はパタンと扉を閉めた。
ゴトゴトと馬車の揺れる音が響く。
大きなクッションに座る私は、上機嫌に目を細めて馬車を操る無口な護衛を見た。
外国からの招待客や老人と女性は1時間で蔦が枯れるようにしていたから心配だったけど、もう国をふたつ越え、追っ手の不安もない。
結婚式で花嫁に逃げられた王家の面目は丸つぶれとなり、しかも〈精霊の涙〉を持ち逃げされ威信は地に墜ちた。ずるずる地滑りするように民心は離れていくだろう。
「ねぇ、セルジュ。もう夫婦になったのだから、そろそろ私の名前を呼んでほしいわ」
拗ねた口調の私にセルジュはあわてて言った。
「リディーア、あなたの名前を呼べる日がくるなんて夢のようです。初めて会った日からリディーアを心から愛しています」
私は、ぶわっと赤くなった。
セルジュは基本「はい」か「いいえ」しか喋らない。次点で、もてるので「お断りします」とグッサリ「あなたが嫌いです」
この日からセルジュは、私にのみ言葉をおしまなくなった。他の人には「はい」と「いいえ」だけなのに。
「リディーア、好きです。愛しています」
「リディーア、子猫です、かわいいですね。もちろん、あなたの方が千倍かわいいですけど」
「リディーア、生涯離れません。これからは、あなたが辛い時や悲しい時あなたに寄り添い助けることができる、苦しみからも怒りからもあなたを守れる立場にいられるなんて、幸せすぎます」
私も、幸せ。
貴族の娘としての責任と重さゆえに諦めていたけれども、あなたは私の初恋の人なの。
うふふ、一番大事な秘密はきちんと胸の中に隠しておくものなのよ。
読んでいただき、ありがとうございました。