ストーリーの起伏について
平均値と極振りが続けたシーズンで出てきたというのはとてもありがたい。私の不満がそのまますぐ解消された。かつこの路線はとても重要。平均値がつまらないのはシリアスのせいだという思い込みがある。なろう読者もシリアス嫌いなのでその点同意してしまう部分があるだろう。
これ違うからバトルが無価値にされてるせいだと思う。なろうのシリアスはとても扱いにくくてうんざりしている。アニメはその点きらら系という徹底したシリアス嫌いのものが分かりやすくさせてくれる。これを見たらシリアス忌避がわかる。なろうはそもそもそんな事言いだしたらまともに作れないから。
作者も馬鹿なんだろうなと思う。でもその馬鹿さに合わせてなろうは一応独特のバランス調整がなされている。もちろん外じゃ通用しないのが平均値の端的な例だろう。あれ確かにライトなんだよな。なろうのバランス調整がおかしいのはギャグを挟めば軽くなるとか安易である点。平均値はもろこれが強かった。
ただそんなものじゃない。なろうのシリアスってのはシリアスな話を避けるんじゃなくて、とっとと終わらせて軽いムードにもっていくとかそういう調整だと思う。後はざまぁ展開の多用だと思う。くよくよしたり絶望したりの内面の鬱がいけないってのもあって、シリアスに段階付けをしてて、その点極北シリアスはやらないけど北緯20度ぐらいはやりますよってのが多い。
ざまぁ展開はくよくよとか絶望的状況を展開として長々やらずに解消に持っていくための流れと結果に対してシリアスが持つ陰気臭さを逆に痛快なものとして仕上げてしまう形になる。どうにもならない状況に落ち込んでいく悪循環を描くのじゃなくて、すぐに敵を作って反撃の流れにしてしまう。
ざまぁ展開ってのはある意味約束されたシリアス展開否定の流れに近い。そうする事によって既存のストーリーのテクニックをふんだんに使えるようになるから。なろうで唯一ストーリーらしいストーリーでこればかり氾濫するのはこれはシリアスの嫌な部分が少ないからになる。次に素人とプロの差があまりないからになる。
だが、結局ざまぁもものすごくなろうらしい。シリアスというよりストレス展開の一部でしかない。極北はやらないが北緯20度はやりますこれがなろうらしさ。根本的にはアニメのきらら系に比べてストレス豊富な展開ばかりになる。そしてそれをなろうはダメじゃないか?というのはアホ。
北緯20度を認めるわけじゃないが、文字できららなんてできるわけがない。あれは映像で見るからまだ見れるんだ。あれ文字でどうやって楽しめるんだ?媒体の違いが決定的な違いになってる。根本的に北緯20度もあんまり生み出してないと思う。だから平均値の失敗はシリアスじゃなくてバトルにあると言ってるんだ。
最初からきらら系を楽しみたいアニメ視聴者なんて捨てた方がいい。なろうの俺TUEEEが楽しめる人ときららを融合させないといけない。それは純正きららに対して絶対にデメリットとなる不純物を含む。なろうの俺TUEEEバトルの刺激がそれを補うんだ。幼女戦記のようなものはまた違うが、なろうの女主人公を扱うときにはここを注意してほしい。
不純物やデメリットをどうにか抑えようとするより、メリットを伸ばした方がいい。その部分が大半のなろう嫌いのアニメ視聴者に理解されなくてもだ。極振りの圧倒的な配信の成功はそこにあるとみてるんだ。そもそもまちかどマゾクレベルじゃないときららなんて配信くそ弱い。それが身長勇者に並ぶほどの人気はどこにあるか?
否定にばかりなぜ耳を傾けるのか?アニメ制作者がなろうのツボをわかってないんだ。リゼロとかで本気になるアニメ視聴者を見ていると不愉快になってくる。ああ古典的に面白い刺激は簡単にアニメ化できるんだね?ってバカにしたような目線を送ってしまう。リゼロのアニメ化が面白いのは事実だけど、それを見てよい悪いをリゼロだけでしか判別できないってのが情けない。
既存の物語の面白さにだけ照らし合わせて作家の旨い下手を決めてしまっている。素人作家というのは簡単だ。だがなろうの芸は確かに素人芸だ。だが素人芸でもそこにはきちんと差があるんだ。そこの旨い下手を全く見てないんだ。
なろうの北緯20度路線を極北のリゼロみたいのを見てるとばかばかしいとみてた私から見ると私もリゼロに大絶賛したくなる。昔から私がなろうのシリアス嫌いをきららに対して馬鹿にして見てたのはエッセイに残ってるからわかると思う。それでも根底にある俺TUEEEの気持ちよさを阻害するのを避けようとするのは間違ってないとは思う。
避けようとするのは間違ってると思うが、根底の俺TUEEEの気持ちよさを感じたいは間違ってないんだ。
ネットはたまにすごい鋭い見方がある。今の潮流に物語の起伏のなさがある。これ多分勘違いされてる。鋭いなと思ったのは、ユーチューブの動画を連続してみるとき刺激という山に対して谷がいちいちあるか?となる。そこにはただ刺激が連続されてるだけなんだ。物語の起伏を作らないといけないってのは思い込みなんだ。
これと極振りをつなげるのに、またネットで面白いのを見つけた。ゲームにはエンジョイ勢とガチ勢がいる。メイプルとサリーはこの両方が組み合わさったパーティでサリーはメイプルに合わせているとされてるらしいのだ。だから極振りのテーマはきららのノーストレスというよりゲームのエンジョイで見るべきなんだ。
それがたまたまきららと相性がいいって話になる。エンジョイ体験を繰り返す。逆にこれきららの最新の趣味系ものに一致してるんだ。きららもただJKが出てきてだべるだけのスタイルに行き詰ってしまった。趣味エンジョイをこき交ぜた形今の先端のゆるキャンになる。なろうのノーストレスを心掛ける俺TUEEEは多少エンジョイ趣味系と一致できる。
多少なのはこれ極振りがゲームだからってのがある。大量殺戮してもゲームだからと割り切れるが異世界転生ではこうはいかないし、リアルなNPCが永遠に消滅するデンドロじゃこの軽さは出せない。その点平均値はエンジョイバトルに絶対ならない気の毒さはある。でも平均値は根本のゲーム的なバトルの楽しさがない。
転生転移だから別物でしょ?いや転生転移のスキルってゲームだから…。なろうがゲーム異世界で過去の指輪とかと全然違うのは私がずっと書いてると思う。ネオファンタジーニューファンタジーだと私は見ている。
極振りはストーリー展開の面白さがないが1話完結ではない。1つづつのバトルイベントで手に入れた武器防具スキルでキャラクターメイキングしていってる。この面白さがあるんだ。1話のメイプルと最新話のメイプルでは全く違う。それはそれまでのバトルでの結果得たものが反映されてるからになる。これは連続したストーリーの面白さだ。
ただそれは置いておいても、楽しいを連続して流れを組み立てることは可能だと思う。ストーリー=起伏が絶対の面白さではない。そして何よりそれらをかわいい女の子が男視聴者がそれを目的に見るってのがものすごく大きい。これはきららに極限まで迫っている。かつ配信で人気がないきららなのに極振りは圧倒的に配信で人気がある。
これらにつなげるのは私の提案してるライトノベルSがこれにつながってくる。間違いなくネット小説は異世界ファンタジーへの偏った好みがある。だがその根底には既存の物語に対する保守的な選択が強くかかわっている。私は現代ものでも多分成功できると見ている。現代ものが成功しないのは、物語の起伏に拘った悲劇系のストレスフルストーリーが多いからだとみてるんだ。
見る前からもう大体わかるから避けるんだ。異世界ファンタジーは好みによる例外的選択と、後は過去のファンタジーに比べて新しい部分がヒットしてるからと見ている。その中で独特のライト感はこの楽しいの連続とざまぁの多用だともう。ざまぁはある意味そっち側にならないんだと思う。
面白くかければざまぁは現代でも行けると思う。ただかなりむつかしいとは思う。ざまぁの可能性は置いておこうと思う。根本的には古典的な起伏ストーリーの系譜でしかない。楽しいの連続は現代ものでも行けると思ってる。一番簡単な発想はコメディだと過去書いた。だがこれは実現がむつかしい。根本的にはきららってのはコメディなんだ。
だが笑えるを前面に出したきららはなかなかないと思う。笑いを軸にするには受け手のレベルが高すぎる。特に文字で表現するのはむつかしすぎる。あくまでコメディ色はライト感の創出と割り切ってくれるといい。そこでライトノベルSを提唱したが私の稚拙さが失敗してるのだが、良く考えるとこれ成功例がすでになろうにあった。
謙虚って私の思い描く理想像にそのまま当てはまる。あれ現代恋愛ものとして弱いでしょ?確かにあれはこてこて悪役令嬢の型にはまってると思う。だがあれは舞台は中世ではない。昭和少女漫画のお嬢様いじめっ子的悪役を扱っている。それに転生して実は外面と違い原作の中身と入れ替わってしまったので全く違う役割を演じ始めるってのが流れかと思う。
これもこてこての悪役令嬢なんだけど、悪役ってタイトルのギャップ的な人物ってのも王道テンプレ通りだと思う。最新までは知らないけど、初期は確かにそういうイメージのギャップでストーリーを作ってるし、イメージを利用した権力を背景にいろいろなトラブルを解決している。だが初期からそうだが、主人公がだらだらとほかのキャラと日常を過ごす話がものすごく多い。
あれ実質的には悪役令嬢の展開的な面白さが軸ではないのではないか?と思う。主人公の楽しいをだらだらと繰り返し、トラブルメーカーとのライトなコメディたっちの日常を繰り返す。ここはどうしてもコメディになってしまうが、笑えるっていうよりはちょっと違うと思う。やっぱり楽しいの延長だと思う。
そしてその謙虚は異世界ファンタジーの中で上位に食い込んでいる。これは現代異世界恋愛のカテゴリーじゃ中身を見ると違うとわかる。ベタな悪役令嬢の型にあまり取り上げられない部分にこそなろうを変えるかもしれないキーがある。私がにらんだ通りやはりライトノベルSの目指すべき先に需要はある。
スタートが肝心だし、ギャップを生かしたストーリー部分も面白いのだが、それにこだわる必要はないと思う。スタート部分の引きつけさえできれば、悪役令嬢じゃなくても多分成功できる。
ストーリー展開の面白さを使えないのは致命的だけど、連続性の面白さは極振りはできてる。展開は苦しいがあれなら工夫すればできないことはない。