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日本文明〜犬の寝言〜

作者: スザキ トウ


皆さんは世界四大文明というものは当然知っているだろう。

メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明の4つの古代文明のことだ。

歴史上、この4つの大文明が最初に起こり、以降の文明はこの流れをくむとする仮説を皆さんは小中学校の時に学校で習ったはずだ。


だがこの世界四大文明を教えているのはもはや我が国日本だけになってしまっているというのはご存知だろうか。

なぜなら四大文明より古い文明などたくさん見つかっているからだ。


例えば中国では黄河文明より先に別の川のそばにあった長江文明というものがあったというのが確認されている。

もう四大文明なぞ世界では通用しない。

一体いつまで日本は古い知識を教育しているのか……


さて本題だ。

数々の古代文明の中で現在確認されている世界最古の文明は何か。

実は我らが住む日本列島に存在した縄文文明(日本文明)なのである。


エジプト文明は紀元前約5000年。

インダス文明は紀元前約2600年。

黄河文明は紀元前約7000年。

皆さんが教科書で習った世界最古といわれるメソポタミア文明は紀元前約9000年だ。

それに対し日本の縄文時代を文明とすると紀元前14000年~4000年という途轍もない古くからの文明となる。


ではどうして縄文時代を文明とするのか、それについて話していこうと思う。


皆さんの縄文人のイメージはどんな漢字だろうか。

縄文人とは狩猟採取民族で定住することはなく家族単位で獲物を求めて狩をしながら移動していたと学校で習っただろう。

しかし学校で習う縄文時代の知識は本当に貧弱で嘘だらけである。

実際に教科書にも登場する青森にある三内丸山遺跡は皆が教えられた縄文人のイメージを根本的に覆す証拠だ。

三内丸山遺跡とは縄文前期から中期にわたりおよそ1500年ほど続いた大集落である。

これはどの四大文明よりも長い歴史を持っているということである。

最盛期には500人を越す人々が生活したとみられ縄文人が定住をしていたとはっきりと示す証拠となった。


三内丸山遺跡からは膨大な数の出土物が出ているがその中でも目を引くのがヒスイの珠だ。

ヒスイは非常に固く加工には高い技術が必要だ。

そのヒスイを加工して穴を開けた物が多数出土しているのだ。

しかし最も注目すべきところはそこではない。

ヒスイは青森で産出されないという点だ。

三内丸山遺跡から出土したヒスイを精密に調べると500kmも離れた新潟県の川周辺から運ばれてきたものだということがわかった。

他にも北海道から運ばれてきた黒曜石、岩手から運ばれてきた琥珀などが出土している。

つまり縄文人は盛んに交易を行なってきたということだ。

例えば内陸の遺跡で海の魚の骨が見つかったりしている。

ではそんな広範囲の交易をどうやって行っていたのだろうか。

これも結論が出ている。

船だ。おそらく縄文人は船を使い広範囲にわたって交易をしていたのではないかと見られている。

現に縄文時代のものと見られる船は出土しており三内丸山遺跡からも船で沖へと乗り出しりょうをおこなっていた証拠が見つかっている。


まだ縄文人は高度な文明を持っていたという証拠が三内丸山遺跡にはある。

1500年も続いたわりに食料となる大型哺乳類の骨があまり発見されないのだ。

ここから農耕が行われていたという推測がされた。

そしてここから発見された栗のDNAの研究により人口的に栽培されていたという結論が出たのだ。


更に近年、縄文人は単なる狩猟採取民族ではなく栽培農耕を行なっていたという証拠が次々見つかっている。

各地の縄文遺跡から稲の栽培を示す籾殻やプラントオパールなどが見つかり出したのだ。

つまり稲作は弥生時代に始まったのではなく縄文時代から行われていたのだ。

その始まりは稲作を伝えたと教えられるされる中国よりもはるかに古い。

つまり稲作の起源は日本だということだ。

しかしこれは籾殻が見つかる前から言われていたことだ。

なぜなら稲を湿気やネズミから守るための高床式倉庫などの稲作が行われていたと見られる形跡が中国から伝わったとされる年代の遥か前から存在していたことがハッキリとわかっていたからだ。

これらの証拠は歴史の教科書を見てみればイラストなどで書かれていると思う。

私自身も子供の時は教科書にそんな矛盾が載っているなど気づきもしなかった。

ちなみに稲作の起源は日本だという事は中国の学会でも間違いないという結論が出ている。

未だに稲作は日本から始まったということを認めていないのは日本と韓国ぐらいである。


話が少し逸れた。三内丸山遺跡の話に戻そう。

三内丸山遺跡の1番の特徴。それは建物だ。

中にはビル3階建ての大きさになるものもあった。

何より特徴的なのが柱が全て等間隔で並んでいるのだ。高さも全ての建物がほとんど一緒だ。

実はこの長さは全て35センチの倍数だった。

つまり35センチを1とした単位があったのである。

これは三内丸山遺跡だけでなく日本中の遺跡で35センチという単位が使われた後はたくさん見つかり縄文尺と呼ばれている。

縄文尺は当時の人間の肘から先がおよそ35センチということからおそらくそれを利用したのではないかと考えられている。


さて、どうだろうか。皆が持っていた縄文人のイメージが崩れ去ったのではないだろうか。

まだまだ調べれば縄文人が高い技術を持っていたという証拠はたくさん出てくる。

世界で最初に土器を作ったのは縄文人だという事は知ってる人もいると思う。

その縄文土器の中には漆が使われているものも見つかっているというのはご存知だろうか? つまり漆の起源も日本である可能性が非常に高いという事だ。

土器だけではない。縄文時代の遺跡から出土した赤漆と黒漆で見事に装飾された弓まで出土した。


これだけ数々の高い技術を持っていた証拠を見て縄文人は文明を持たなかったなど無理がありすぎる。

明らかに縄文人は蛮族などではなく文明人であったのだ。


悲しいことにこれら縄文文明の研究は日本よりも欧米や豪の方がはるかに進んでいる。

日本に根強い中華思想(地球全て、更には全宇宙が自らのものであり漢民族こそがその中心であるとする思想)が邪魔でもしているのか。


ここまで読んでくれてありがとう。

少なくとも教科書に載っているもの全てが正しいとは限らないということだけでも知ってくれると嬉しい。

最後にどうしても描きたかったセリフを書いて終わろう。


信じるか信じないかはあなた次第です。


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