第一話
実は三話辺りまでは出来てたり…。
「ハァ…ハァ…!」
さっきの気色悪い生物を見て逃げてからもう何分経っただろう。
一抱えはあろうかという倒木を簡単にへし折る異常なまでの脚力、どんな所に隠れてもすぐにバレる視覚と聴覚。
運良く逃げてる途中で近くを通った兎に気を取られた怪物へ学生鞄を投げつけ、その隙に出来るだけ遠くへ走って木の裏に隠れたけど…見つかるのも時間の問題だろうな、コレ…。
…それでも、今は少しでも息を整えるのが重要だ。
幸いな事に、耳を澄ましてもあの怪物の足音は聞こえない。これなら今までとは違い、暫くは休めるかも知れない。
隠れている樹に体重を預け、そのまま足を放り出して座り込む。
普段部活で走る何倍もの距離を全力疾走した所為で、心臓が痛い位に早鐘を打っていた。
「クソっ、一体何なんだよ…。」
座って気が緩んでしまったのか思わず悪態が口から漏れてしまった。
勿論、答えてくれる相手なんかいやしない。仮にあの化け物が人語を解したとしてもマトモな答えを言うわけがないだろう。大方『メシ』だとか『エモノ』とか俺を更に絶望へと叩き落とす言葉しか発しなさそうだ。
ヴルルゥ…
!?
い、今…アイツの声が聞こえた!?
周囲の空気が一瞬にして緊張で張り詰め、全身に力が入る。出来るだけ音を立てないように立ち上がり樹の向こう側を覗き込むが、化け物の姿は無い。
…………気のせいか。
肺から空気を抜き、再び前に視線を戻す。
するとそれは、其処に居た。
「うわああああああっ!?」
化け物との距離は5mもないように思えた。急いで下がろうとしても、後ろには今迄背もたれ代わりにしていた樹があって動けない。
気持ち悪いとは思ったが近くで見ると余計に醜悪だ。ぬめりがあるような光沢を持つ毒々しい紫色の体表、それに包まれ歪に盛り上がる身体中の筋肉、まるで五寸釘を乱雑に刺したかのような鋭い牙。そしてそれらより何より、異様な存在感を放つ此方を凍るような殺気で睨み付けてくる巨大な単眼。
頭部を上下に裂いてるようにも見える広い口から涎をだらしなく垂らしながら、ソイツはゆっくりと近づいて来る。
次の瞬間、俺の視界は名前も分からない化け物の口内で一杯になった。
「…ッ!?」
咄嗟に目を閉じて身を屈めると、バキリと嫌な音が真上から響く。恐る恐る上を見上げてみると、化け物は丁度今まで頭があった位置の幹に喰らい付いていた。
「うわ…わ、わ、わ…っ!」
偶然とは言え運良く躱す事が出来たのに心底安堵しつつ、化け物の身体の下を這うようにして脱出する。
直様立ち上がって走り出した所で振り返ってみると、化け物は樹を噛み千切り、バラバラになった木片を地面に吐き捨てていた。あの様子からして菜食主義ではないだろう。…まぁ、んなこたぁ初めから分かってたけどな!
しかし一瞬でも反応が遅れていたらああなっていたのは自分の頭だと思うと改めてゾッとするぞ…。
「ハァ…ハァ…!」
走り出したと言っても体力なんか碌に残っちゃいない。もったとして精々数秒と言う所だろう。
藁にも縋る思いで辺りを見回してみると…今俺が直進している獣道のすぐ脇、この近くの住人が忘れて行ったのだろうか切り株に小振りの斧が刺さっている。
えらく都合のいい位置に置いてあるなオイ。…あの位置なら手が届くかもしれないな…あれを使えば、もしかすれば…。でも、もし届かなかったら…。
いや…考えてる暇は…無い!
「お…っらぁ!」
斧に手を伸ばす際の踏み込みを利用し、転がるようにして草むらの中に飛び込む。すると、化け物は唸り声をあげながら俺の後を追うようにして獣道を走り抜けていった。
上手くいった…。…せめて、せめて喰われて死ぬ前に一矢報いたい。やられてそのまんまってのは俺の性に合わない。
「オラ化け物!こっちだこっ…うわっ!?」
斧を両手で持ち、立ち上がって挑発しようとした瞬間化け物はそれを狙っていたかのように口を開きながら飛び掛かってきた。咄嗟も身を返したものの、アイツの爪が肩を掠める。服と共に皮が切り裂かれ、血が漏れ出る。多少は痛むが怯んではいられない。
「おおぉおおおお!!」
振り返り、噛みつく事を外して体勢を立て直そうとしている化け物へ大声と一緒に斧を振り下ろす。
バキャッ
「…は?」
突然軽くなった斧の手ごたえと共に響く虚しい音。目を向けてみると、自分の持っている頼みの綱だと思っていた斧は中程からボッキリと折れている。
世界が一瞬にしてスローになった。折れてコントロールを失った斧の刃が宙を舞う中、化け物の足が曲がり、大口を開けて此方へ跳んで来る。
動けない…。
動かなきゃ喰われるのに…。
化け物の歯が俺の右肩に食い込んだその瞬間、時間の速さは元に戻った。
「あ、あああああああああああぁ!!」
痛い痛い痛い痛い熱い痛い痛い痛い怖い痛い痛い痛い痛い痛い!!
牙の一本一本が肉に刺さる。骨を掠めてゴリゴリと、そしてそれを砕こうとミシミシ嫌な音を立てる。化け物の涎が裂けた皮にしみて痛む。全てが痛い。
「あああああぁ!」
「ギャァッ!?」
突然、あれ程右半身を襲っていた痛みが消えた。いや、消えていないけど少し和らいだ。何だろう…この浮遊か
「うぶっ!?」
腹に鐘突きで突かれたような痛みと肺の空気が全て抜かれる感覚が体を襲うのとほぼ同時に、今度は背面に衝撃が走る。
痛みで錯乱した脳が元に戻ったのも束の間、今度は意識が霞んでいく。肩口に棒が突き刺さった化け物が歩いてくる中、視界もぼやけていく。
…あぁ、そうか…。
俺、死ぬのか…。
喰われて死ぬなんて…なんて馬鹿らしい…。
もう殆ど見えない最後の景色は、ぼやけた何かの暗い影に覆われてしまった。
2話まで一気に投稿するわよー。