1-3 少女の日常
「やーーーばーーーいーーー!!」
叫びながら、ノエルは城下街の整備された街道を爆走していた。
身長は少し低くはあるが、歳は18。目立つレベルに明るいピンク色のポニーテールにした髪と、ガーリーな上着が揺れている。
既に時刻は11時半過ぎ。ソウマがギルドカフェ・グレンリアに入店したのが10時なので、それから1時間半過ぎているわけだ。いい加減げんなりしたソウマが嫌でも目に浮かぶ。
――まさか二度寝するとは思わなかったけどさぁ、ちょっと遅れ過ぎたよねー!?
寝起きにソウマに電話し、そのまま寝てしまった自分を心底憎たらしい。
自己管理能力がないだとか、弛んでるとかいう説教を2歳年下のソウマにされたのは、もう1回や2回の話じゃない。
中学生の頃から一人で生活しているソウマにそうやって怒られるのは、なんだか彼の常識を押し付けられてるような気がしてイマイチ釈然としないが……。
「まあ、うん。事実だからしょうがないんだけどさ。なんというかソウマってほんとオカン属性……」
ため息交じりに、本人に言ったら威圧されることほぼ間違いなしなことをひとりごちながら、赤信号で立ち止まる。
ノエルの住むアパートからグレンリアまでは数キロ離れている。その半分以上をノエルは全力疾走してきたわけだが、息切れ一つ起こしていなかった。
それは、彼女の並々ならぬ魔導の才……の一部である言霊によるものだ。
言霊といわれて、多くの人が思い当たるのは詠唱だろう。そこでは確かに『魔力に魔法を発現させるための意味を与える』 という役割を果たしてはいるが、それは言霊の一側面でしかない。
魔導研究機関によれば、言霊にはふたつの効果があり、それぞれ外界に干渉する際の対象が違うのだという。
ひとつは前記した、魔術的干渉を行う属性。もうひとつは『モノに付加させることで、モノに様々な変化を齎す』 物理的干渉をする性質。
五大元素……火・水・雷・土・エーテルになぞらえて、言霊には『基本の五型』 というものが存在する。
火。
持つ属性は――ここは読んで字の如くなので割愛してもいい様な気もするが――炎。
性質はモノの能力を向上させる強化。モノの能力を高めること自体は魔力を通すことでも可能だが、こちらの方がより強力な効果を得られるし、何よりも効率がいい。ノエルが息切れを起こしていなかったのはこれで身体強化を行っていたからだ。
水。
持つ属性は水、氷。
性質はモノの重量はそのままに、モノの形を変える形質変化。言霊の放出量を調節することでより精密な形質変化が可能となるので、水の言霊を持つ魔導士を欲する町工場も少ないくない。ノエルも工場見学の際に言霊を絶賛され、危うく従業員にされるところだった。
雷。
持つ属性は雷。
性質はモノの能力をほかのモノに移す伝搬。野菜の栄養価を別の食品に移すことで、肉だけ食べる生活を送る人もいるらしい。ノエルもできないことは無いが、そんな貧相な味覚になりそうな生活を送る気は起きない。
土。
持つ属性は土。
性質はモノの能力の働きを活発化させる活性。一見すれば魔力や火の強化と類似しているが、あちらが脚を早くするためのランニングシューズだとすれば、こちらは筋力をつけるプロテインだと思ってくれればいい――ノエルは脚が太くなるのに多少の抵抗があるので、使いたいとは思わないが。
エーテル。
持つ属性は風。元は天体を構成する第五元素として提唱されたものだが、ここでは空気――ひいては、風を表すものとする。
性質はモノに切れ味を持たせる斬撃。この言霊を持つ人は少ないとされる――だが、持つ人は魔導士よりも騎士を志す。剣や槍といった斬撃武器の威力を向上させる性質に加え、とっさの緊急回避に使える属性は接近戦に好相性だからだ。ノエルもこの言霊を活かすために、ソウマに剣による模擬戦を挑んだことがあるが「向いてないことするなよ」 と一蹴されたことがある。
誰もがこの中の一種は持っていて、時々ふたつ、時々これらに当てはまらない型を持つ人もいる――というのが、魔導研究機関の見解だ。
ソウマが騎士に養子として引き取られた理由の大半は、エーテルの言霊に加えてもうひとつ、五型に当てはまらない言霊を有していたからである。
具体的に言えば、想像したものを術者の知り得る材質で創造する言霊である。武装に関しての知識を本、武装を扱う感覚を騎士の教えや自己鍛錬で培ったソウマは様々な武装を創造し、完璧とまではいかないが使いこなす。
騎士としての道を諦めはしたが、実力は騎士と互角になるレベルまで洗礼されている。
――本当、なんで騎士にならなかったんだろう?
目の前を通り過ぎる車を翡翠色の瞳で追いながら、ノエルは首を傾げた。
この話をしようとするとソウマは逃げるように話題を変えようとするし、何よりそのときに見せる顔を見ているのが辛い。
なのでノエルはこの踏み込むことができない。ソウマと仕事をするようになってから半年ほど経ってはいるが、これに関してだけは聞けず仕舞いだ。
――ま、なんでもいいけどね。ソウマと一緒に仕事するって決めたのは、私なんだから。
楽観的ともいえる考えで疑問を打ち消しながら。
計六型の言霊を有する魔導士は小さくえくぼをつくり、メロディのなる街道を再び走り出した。
★
ノエルは赤ん坊のころに猫のように捨てられ、それからずっと教会に住んでいた。
猫のよう、というのは雨の中にダンボールに無造作に入れられていたからだ。衰弱しきった身体では、猫のように鳴くことすらままならなかったが。
ガリファには、魔導研究機関が運営する教会が点在している。そこは孤児院を兼任していた。
「哀れな子供たちが、せめて健やかに育つように」という慈善を掲げてはいるが――実際は、希少な五型に当てはまらない言霊を有する子供たちに宗教教育を施し、自分たちの一員として引き入れるためだ。
「あなたたちは特別なモノを持つ、神に祝福された特別な人間です」「この地に流れてきた、神に祝福されない文明に利用する価値などないのです」
教会には、機械的な技術を使用する道具などは一切置かれていなかった。要は彼らから機械を奪い、魔導なしでは生きられないようにしてしまおうというのである。
機械という文明が入り、元々この地に存在していた宗教が衰退する近年に於いて、彼らにとって教会の運営も同胞を会得するための手段に過ぎないのだった。
そんなわけで教会には、五型に分類されない言霊を持つ子供たちが集まっていた。その中でもノエルは格が違った。
中でも希少な言霊を持ち、普通はひとつといわれる『基本の五型』を全て持っている特別中の特別である。
特別多くの神の祝福を賜ったに違いないと牧師たちが騒ぎ立て、彼女に聖夜――神の誕生日を名として与えた。ノエルは他の子供たちよりもずっとちやほやされたのだ。
親代わりの牧師たちから、自分たちよりも愛情を受けている。子供たちがノエルのことを嫌いになる理由としては十分すぎた。エコヒイキだ、ズルしたんだ、卑怯者だ――覚えたての悪口を毎日のようにノエルに浴びせ、遊ぶときにもノエルだけを仲間はずれにした。
ノエルにとっては、それが一番辛かった。牧師たちに囲まれるように生活するのは息が詰まるし、何より好奇心旺盛な時期だ。自分もほかの子供たちとままごとや玉蹴りなんかで遊びたい。
牧師たちや子供たちにそう言っても無駄だった。あなたにはそんなことする必要なんてない、と牧師からはボールの代わりに分厚い魔導書を渡され、お前なんか仲間にいれてやるもんか、と子供たちからはボールの代わりに石を投げられた。
いつしか、誰にも気づかれないような片隅で、声を殺すように涙を流すのがノエルの日常になった。
「ねえ、おねえちゃん。一緒に遊ぼうよ!」
そうやって仲間外れにされる生活が続いて7年余り。誰も握ってくれなかった手をあっさりととったのは、溌剌としたひとりの少年だった。