俺らの過去 後編
俺が20数年間一緒に旅をしてきた存在に「増川 瑞夫」以下瑞夫さんは此の世界に来る前に二つの世界の記憶を持っている存在だそうだ
其れで先ず最初に瑞夫さんの前世の世界では「第一次世界大戦が1914年から1918年に発生をして・・帝政ドイツ、オーストリア・ハンガリー、オスマントルコ、ブルガリア王国の同盟国」対「フランス共和国、イギリス帝国、ロシア帝国、セルビア、アメリカそして日本其の他」で争われた戦争だ
そう俺の世界での第一次世界大戦では・・まあ瑞夫さんの前世の世界線の第一次世界大戦と変わりがないか・・強いて言うなら「同盟国側が帝政ドイツ連邦+ドナウ・アドリア連盟の加盟国、メキシコ対大日本帝国+中華民国+ロシア帝国+フランス+イギリス+ブラジル+ポルトガル」と言う具合だった筈だ
そして瑞夫さんの前世の世界戦での第二次世界大戦の構図が「大日本帝国+ドイツ+イタリア+フィンランド+ルーマニア+ハンガリー」対「アメリカを初めとして北米諸国+中国+イギリスとその植民地+フランスとその植民地+ソ連+ブラジルなどの南米諸国」で争われたそうだ
そして瑞夫さんが此の場所に来る前に来た世界では複数の転生者そして憑依者が跋扈をする世界で「第一次世界大戦が起きたのだ」
この瑞夫さんが以前居た世界での「第1次世界大戦」は瑞夫さんの前世の世界の第一次世界大戦より「1年」長く行われていたので「歴史が大変革」を興した時代と言う風潮があった。
さてこの世界での「戦勝国」を書いていこうと思います。
「アメリカ合衆国、大日本帝国、オーストラリア、ニュージーランド、フランス、スコットランド、帝政ドイツ、ブラジル、ウェールズ、オスマントルコ、中華民国、満州等」と成っております。
だが此の戦勝国と言う考え方は、あくまでも「本土陥落」をしていない条件での「戦勝国」とする、此れが元に成れば例え「植民地で「」の亡命政府の樹立」を謳おうが「敗戦国」扱いに成ります。
何しろ「フランスと帝政ドイツ、オスマントルコ」は「植民地の喪失」と言う事柄が残念ながら起きてしまいましたが、「本土陥落」と言う事柄は「第1次世界大戦中」では残念ながら有りませんでした。
反対に「植民地の喪失」は多少ありましたが「本土陥落」と言う事態に陥る事に成った「ベネルクス連合、イギリス帝国、ポルトガル」は「敗戦国」と成ります。
そして「中立国」は「ソ連、オーストリア・ハンガリー帝国、ユーゴスラビア、スカンジナビア共同体の構成国、タイ、エチオピア帝国、ヨルダン、パレスチナ、イラク、シリア、モンゴル、メキシコ、アルゼンチン等」である。
さて何故「戦勝国」と「敗戦国」の基準を「本土陥落」と言う短絡的な手段で後世の人間は判断をしたのだろうか?
答えは非常に簡単な事である、「停戦合意」を結び「両者引き分け」と言う手段を取ったからである。
この戦争で最初「ドイツとトルコ」は破竹の勢いで領土を拡大をして行きました。
それこそ最初は「イギリス」も「アメリカの東海岸」も「キューバ」、「プエルトリコ」、「ハイチ」、「グレナダ諸島」も全て「ドイツ領」と成っておりました。
早い話で言うならば「カリブ海に浮かぶ島々」は「一時期」ですか全て「ドイツ領」と成りました。
それで「カリブ海に浮かぶ敵国の植民地」は全て「ドイツ連邦」の「加盟国又は構成国」に成るのなら「独立国家」として認めましょうと言う、「敵国泣かせ」を「ドイツ」はやってのけたのである。
当然「現地の住民」は「ドイツ帝国万歳」と言う状態でありました。それで「ドイツ」は現地で「軍隊の訓練」をさせました。
その結果「第1次世界大戦後」に「戦勝国」の「カリブ海植民地」は「ドイツ軍」に鍛え上げられた「現地勢」が「国家存亡」を賭けて「血を血で洗う」状態であった。
この「独立戦争」は「宗主国勢」は多大な「犠牲者」を出したそうだ。結局「宗主国勢」は条件付きの「独立」を「承認」をしたそうだ。
さて部隊を「アフリカ」に移す事にしましょう。「第一次世界大戦のアフリカ戦線」は史実以上に荒れに荒れた。
理由は「オスマントルコ」と「ドイツ軍」と「フランス勢」及び「現地の独立闘争を興す武装集団」が「アフリカ大陸」で入り乱れておりました。
それで「連合軍」の植民地軍は壊滅状態に陥りました。さて「同盟軍「ドイツ等」」は「連合軍」の「アフリカ植民地」を占領した国々全てを「国家独立」を「承認」をさせました。
当初「フランス政府」は「反対」でありました。理由は「フランス」は「アフリカ大陸」に沢山の植民地を持っていました。
当然これらの「独立運動」は「フランス植民地」に飛び火されるのを「フランス政府」は大変毛嫌いをしておりました。
だが「ドイツとオスマントルコ」の建前上「フランスのアフリカ植民地」を「独立」させないと「イギリスを始めとする「連合国のアフリカの植民地軍」」に勝てる見込み減りますので、「フランス政府」は「フランスのアフリカ植民地」を「条件付き」で「独立」をさせました。
この結果「連合軍のアフリカ植民地軍」は「フランス政府のアフリカ植民地軍」がした行動を「衝撃と憎み」の感情でいっぱいになりました。
さて上記の理由が芽生えた背景は「下手に植民地を手放さないと「原住民」共が「俺たちも独立をさせろ」や」「白人を生かしておくな、殺せー!!」と言われる可能性が非常に高くなります。
だから「植民地軍」は「現地の反政府軍」と「同盟軍」の2つの敵と戦わなければいけません。」だから史実より早く「フランスの植民地」は「早期独立」が可能となりました。
さて史実にはなかった「戦線」がこの世界では存在をしています。1つ目は「上記の北アメリカ戦線」です。
さて2つ目は「南米戦線」である「南米大陸」には「ドイツ領」正確に言えば「プロイセン領」が存在をしている「帝政ドイツ領ギアナ」である。
さて重大な話に成るが「帝政ドイツ」が何故「ギアナ」に領土を獲得をしているかを書かなければ行けない。
実の話此の世界では「帝政ドイツ」が「イギリス・オランダ・フランス」から「金と戦争」で「3つの地域」を一つにまとめ上げました。
此れが史実の歴史には存在をしない「帝政ドイツ領ギアナ」です。
では何故「プロイセン」はこの台地が欲しかったかは「自国領の植民地を欲したからと」述べておきます。
さて史実には無い「ドイツ領ギアナ」という存在が何故出来たかを詳しく述べていこうと思う・・さてその理由は
一つは此の世界での「プロイセン」は「転生者」の梃入れれもあり割と強国と成れました。
二つ目は「プロイセンVS オランダ」が此の世界では存在をしておりました。
三つ目は「プロイセン」が早期に「対英同盟」で「フランス王国との同盟」を結び
「フランス王国」は
「第二次百年戦争」際に「フランス王国」は「インドとカリブの植民地の大部分」を諦める代わりに「南米とカリブと太平洋の植民地の大部分を諦めろ」と決着がつきました。
その際「プロイセン」は「戦費の肩代わりに先ほど述べた一部」を取り前として貰う事が出来ました。
その一部が「ドイツ領ギアナ」でした。
その代わりに戦後「帝政ドイツ領ギアナ」を「ブラジル領」にさせるからさ」と言う「イギリスの謀略」で「ブラジル政府」は「同盟国軍」に対して「宣戦布告」をしました。
だが「帝政ドイツ」は大変にしぶとく「ブラジル軍」相手に名勝負を繰り広げました。
一時期「帝政ドイツ」は「ブラジルの北部一帯」を占領下に収めておりました、だが「ブラジル軍の攻勢」や「帝政ドイツ軍の広げ過ぎた補給」等の原因で「第一次世界大戦の中期」から「塹壕戦」が始まりました。
そして最後の方は「塹壕戦」と密林を使った「ゲリラ戦」が主流と成ってしまいました。
結果的に「ドイツ領ギアナ」は「ブラジル」に割譲をされ「ブラジル領ギアナ州」として「第1次世界大戦後」に再スタートを歩みました。
そして、舞台は「オセアニア州」へと移る事にします、当然「欧米の植民地」は存在をしていて「フランス領のカレドニア」を始めとする植民地が「南方」には存在をしておりました。
第1次世界大戦の初期「同盟国軍」は「カレドニア」から「ニュージーランド」と「オーストラリア」に侵攻をして「オーストラリアのニューサウスウェールズ州、クイーンズランド州、ビクトリア州、タスマニア州」と「ニュージーランドの全土」をもれなく「同盟国軍による占領」を「連合国軍」は許す事に成りました。
当然「第1次世界大戦」の時に「連合国軍」は「旧オーストラリア、ニュージーランドの奪還」と「カレドニアを始めとするフランス太平洋植民地の占領」を合言葉に「同盟国軍」と戦争をしました。
後の世界では「第一次世界大戦南方戦線」と言われる戦いと成りました、さて此の「太平洋戦線」は「連合国軍」の勝利と成りました。
だから「フランス共和国」は「第1次世界大戦」の「フランスの太平洋植民地」を「連合国」に取られたままに成りました。
さて此の「フランスの太平洋植民地」についてのその後を書いて行こうと思います。大方「連合軍」で分割をする筈でしたが「イギリス連邦諸国」が「9割がた」に「委任統治」をする形で決められました。
この提案に「そんな分割の仕方が有るか!!」とブチ切れた国家が存在します、そうです我らが「大日本帝国」です。
一応「日本軍」も「同盟国 イギリス」を手助けするために「連合国側」に立って参戦をしました。
だが「第1次世界大戦」で「イギリス帝国」は「本土陥落」及び「インドを始めとした植民地」が全て戦場に成りました。
其れで「フランスの領土やドイツ帝国を始めとした同盟軍の植民地」を手当たり次第に「奪取」をしなければ「国家破綻」は免れない状態でした。
此れにより「フランス領の太平洋植民地」は全て「イギリス帝国領」に委任をする事に成りました。
其れで「大日本帝国」は代わりに「第1次世界大戦」の時に何処を貰ったかを書かなければ行けません。
「大日本帝国軍」が「第1次世界大戦」の際に「同盟国」から分捕った領地は「フランス領インドシナ」であった。
此れにより「大日本帝国」は「パラオやフィジー等の領地」を取る事が出来なかった代わりに「フランス領インドシナ」を奪う事が出来ました。
だが此処で伝えなければ成らない事がある「第1次世界大戦」は正確に言えば「停戦合意」を結んだだけである。
では何故「停戦合意」を結ぶ事が出来たかを紹介をする必要性があります。
まず1つ目の大きな理由は「連合国植民地の独立戦争の激化」である。
「独土仏同盟軍」は連合国の「植民地」に「民族教育と軍事教練」をさせました。だからこそ「ゲリラ戦」の仕方を教えたおかげで「現地の連合国軍」を壊滅をさせました。
だから「同盟軍」の「アジア、アフリカ」の両戦線での「死亡者数」は其処まで犠牲者を出さずに済みました。
逆に「連合国」は「史実の協商側の構成国」以上の戦死者を出してしまいました。だからこそ「同盟国軍の兵力」を結果的に温存させる事が出来ました。
そして余談と成ってしまうのだが「アメリカ軍」は「合衆国の国土奪還」は成功をしたのだが「欧州戦線」がある「欧州本土」には残念ながら派兵をする事は叶う事はありませんでした。