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隣の先輩  作者: 沢村茜
第一章 新しい生活
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仲良くなりたい気持ち

 翌日、適当に鏡を見て、身だしなみを整える。

 そのままリビングにいる母親に声をかけ、家を出るために玄関を開けた。

 だが、そのとき太陽の光を遮るように立っている人に気付き、思わず身を仰け反らせていた。


「おはよう」


 わたしを呼ぶ声が家の中から聞こえた気がするが、わたしの意識にはしっかりと届いていなかった。とりあえず先輩に会ってしまったことで、その場をどうやって取り繕えばいいかを考えていたのだ。慌てて家の外に出て、思わず扉を閉めると、ドアに背を当てるようにして立ち、彼を見る。


「おはようございます」


 彼が家を出るタイミングで出てきたとなっては待ち伏せをしていたみたいだ。隣の家だと、家の玄関で耳を澄ませば隣の家の扉を開閉する音が聞こえるからだ。こんなことなら髪の毛なども念入りにチェックをしておけばよかった。さっと見た鏡の映像を思い出し、おかしいところがないか必死にチェックをしていたとき、背中に軽い衝撃が走る。お尻や頭にも冷たい鉄の壁がぶつかり、思わず前方に仰け反っていた。


 うめき声をもらし、振り返ると、わたしと同じくらいの背丈をした少年、弟の裕樹の姿があった。彼はわたしと目が合うと、しまりのない声を出す。


「なんだいたのかよ」

「いたのかよって、急に開けないでよ」

「普通、玄関先に立ちすくむほうがどうかと思うよ」


 彼はきつい言葉と共に、紺色のカードくらいの大きさのもを差し出した。至近距離にあるからか、しっかりと学校名まで確認できる。紛れもなくわたしの生徒手帳だった。


「ありがとう」


 昨日、出しっぱなしにして忘れていたんだ。

 裕樹は冷めた目をわたしに向けると、肩をすくめていた。


「いいけど、高校生にもなってボーっとすんなよ」


 裕樹はわたしの後ろに目を配ると、頭を下げ、扉を閉めた。

 わたしはそのことで、西原先輩がそこにいたことを思い出していた。振り向くと、西原先輩はいつもどおりの表情を浮かべている。


「弟さん?」

「はい。今、小学六年です」

「そうなんだ。全然似てないね」

「よく言われます。弟はお母さんに似ているって。わたしは両親に似ていないから」


 今は気にしなくなったが、子供のときは両親と似ていないといわれるのが嫌だった。


「でも、そんなものだよね。俺も全然両親と似ていないから」


 そんな些細なことに同意してもらってほっと心を和ませる。

 だが、似ていないといっても西原先輩の両親だ。きっとかっこよかったり、綺麗だったりするんだろうな。

 わたしが顔をあげたとき、彼が屈託なく笑っているのに気付いてしまったのだ。その笑顔にはかっこよさはなかったが、彼との年齢差を感じさせないほど可愛い笑い方だったからだ。


 わたしはそんな彼の笑顔をずっと見ていたいと思い、話しかけることができなかった。話をすることで、その笑顔がなくなってしまうのではないかと思ったからだ。

 彼の指先がその血色のよい唇に当たる。彼は真顔になると難しい顔をしていた。


「でも、じいちゃんの親に似ているらしいといわれたことはあるんだよね」

「隔世遺伝ですか?」


 西原さんに似ているとなると、かなりの美形ではあったのだろうか。


「そうなのかな。でも、ひいじいちゃんは少しはげていたみたいで、ちょっと複雑なんだけどね。俺の髪の毛って、賢とかから将来はげそうと言われるし」

「大丈夫ですよ。きっとそれでも素敵ですって」


 彼があまりに真面目な顔をして、そんなことを言ったことに思わず笑ってしまっていた。それでもかっこいいと言おうとしたが、笑っていたからか、西原さんは複雑そうな表情を崩さない。


「引っかかる言い方なんだけど」


 そう言った言い方は今までとは違っていて、昨日依田さんに対して言っていた態度に似ていた。


「そんな意味じゃないですよ。先輩の髪の毛ってさらさらしていて綺麗ですよね」


 慌ててそう訂正した。

 だが、先輩はどこか複雑そうな表情を浮かべたままだ。

 わたしの心は裏腹に心は弾んでいた。


 昨日、西原さんがわたしとは距離を置いて接していると気づいてしまった。

 でも、それはきっかけの問題だったのかもしれないと分かったのだ。

 今の先輩の表情は昨日の依田先輩と一緒にいたときとは違うが、昨日の他人行儀な表情とも違っていた。

 数ミリかもしれないが、少しだけ先輩との距離が縮まった気がして、うれしかったのだ。


「立ち話もなんだし、そろそろ学校に行こうか」


 思いがけない言葉に先輩を見た。


「行き先が同じだし、わざわざ別々に行く必要もないかなって。誰かと約束している?」


 その言葉で、心の奥が弾むのに気づく。今までは先輩としての義理でわたしと一緒に行ってくれたかもしれないと思っていたが、そうでなくても誘ってくれたことが素直に嬉しかったのだ。


「していません。そうですね」


 そう言うと、エレベーターまで歩いていくことにした。


 わたしは窓の外を見ていた。窓の外は雲ひとつない、抜けるような青空が広がっている。

 今朝はいつもより多くの話ができた。

 その会話のほとんどが弟のことや先輩のひいおじいさんのことだったが、それでもうれしい。


 もっと親しくなれば、依田先輩に対して言ったような言葉を向けてくれるんだろうか。

 それは即ち、距離が縮まったということだからだ。


「バカとかお前とか言われてみたいな」

「もしかして、そういう趣味があるの?」


 ぼうっとした口調でそんなことを言ったわたしに愛理が鋭い言葉を投げかけてきた。


「趣味って」


 いじめられるのが好きという趣向の話なんだろうか。決してそういう傾向はないはず。

 そうは思うが、今の気持ちをどういえばいいのか分からないでいると、わたしの正面にいた咲が目を細めて首を傾げる。


「違うよ。きっと真由は先輩ともっとなかよくなりたいって思っているんだよ」


 彼女はわたしの言いたかったことをさらりと言ってのけた。


「なんで分かるの?」

「なんとなくかな」


 愛理はわたしを見て、口を結んだまま口角をあげて微笑んでいた。


「もしかして、そういうわけ?」


 咲は愛理の言葉にうなずいていた。

 二人はわたしが先輩に好意を持っているということで話を進めているようだった。わたしは一言もそういうことは言っていないのだけど。


「ただ仲良くなりたいだけだから」

「でも、西原先輩は人気あるらしいから、大変だと思うよ」


 愛理の言った言葉に例外なくどきっとしていた。

 あの人が人気があるというのは分かる気がするが、それでも胸が針で刺されたように軽く痛む。


「あとはね、隣の彼も結構人気あるみたいだよ。同じ中学の子から聞かれたもの」


 そう愛理は小声で囁いた。

 隣の彼というのは森谷君のことだろう。

 確かに背も高いし、かっこいいとは思う。


「愛理のお兄さんも人気あるじゃない。女の子に絡まれていたのを見たけど」


 笑顔で言う咲の言葉に愛理はあからさまに嫌そうな顔をする。


「お兄ちゃんはいいのよ」


 何がいいのか分からなかったが、そんなことを聞く前にチャイムと共に森谷君がクラスメイトと教室に入ってきた。

 愛理はチャイムを聞き遂げるようなタイミングで声をかけると、自分の席に戻っていった。


「さっきの先輩って三年かな。すごい美人だったな」


 頭を丸刈りにした、森谷君と仲の良いクラスメイトが弾んだ声でそう告げる。


「まあ、美人だとは思うけど」


 そう苦笑いを浮かべた森谷君と目があい、わたしはなんとなく会釈していた。


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