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隣の先輩  作者: 沢村茜
第十二章 恋を忘れる夜
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雪の中で見つけた気持ち

 ただ嫌だったからだ。先輩と一度はつきあっていたし、まだ大学に受かれば一緒にいられる。四年あれば先輩の気持ちも変わるかもしれない。先輩が好きになる可能性だってある。だから、忘れないでほしかった。そんな些細な出来事で宮脇先輩の気持ちを決めないでほしかったのだ。


 大粒の雪がアスファルトを覆い隠す。明日になれば待てばもっと探しやすくなるのかもしれない。

 だが、理由で見つからなくなる可能性もあった。

 彼女のためだけかといえば、わたしは否定するだろう。わたしがお似合いだと思えた二人だからこそ、好きでいてほしかったのだ。


 その場所について、なぜ宮脇先輩がそこにいたのか分かる気がした。

 それはまだ幼い二人が一緒に遊んだ場所だったからだ。

 狭い公園だったが、小さいものを探すにはとてつもない場所だった。

 まずはベンチの近くを探す。だが、それらしいものは何もない。

 他に座れそうな場所として、ブランコまで行く。そして、その冷え切った鎖に触れる。


「どこに行っちゃったんだろうね」


 小さいからなくしたら見つけられないと先輩は言っていた。

 だが、その逆もあるとは思う。こんな雪が降る悪天候の日に、ピアスが見つけられる可能性って低いと思う。それでも見つけられたら、それは諦めなくていいと言ってくれているのと同じことだと思ったのだ。

 何かに悩んだときに見知らぬところでふらっとしたいと思うようにピアスが迷子になっているだけかもしれない。


 かすんだ視界を紛らわせるために、目元を拭う。

 そして、再びそれを探すことにしたのだ。

 手の感覚が次第に薄れ、痛みも寒さも感じなくなってきた。

 だが、その指先に固いものが触れ、思わずそれを手でつかむ。


「あった」


 以前咲が好きな人のことを言ってたことがある。あのときはよく分からなかった彼女の言葉の意味が今ならよく分かる。

 足元を整え立ち上がろうとしたとき、静寂に包まれた雪の舞う町並みに、凛とした声が響く。

 顔をあげると、宮脇先輩が立っていた。


「どうして?」

「宮脇先輩はどうして?」

「振り返ったら真由ちゃんが戻っていくのが見えたから心配になって探していたの。風邪引いちゃうよ」


 水滴のついたピアスを右手に乗せ、宮脇先輩に差し出した。


「宮脇先輩の気持ち、失くしたらダメですよ。宮脇先輩は自分の気持ちに素直でいてくださいね」

「もしかして、これを探していたの?」


 わたしは笑顔を浮べる。


「だって、先輩は本当に宮脇先輩とお似合いだって思うから、可能性があるなら諦めてほしくなかったんです」


 過去に二人の間に何があったか分からない。でも、こういう形は悲しすぎた。

 わがままでしかないことも、逆に宮脇先輩を苦しめてしまうことも分かっていた。それでもいやだった。

 先輩の少し冷えた手がわたしの頬に触れる。


「ありがとう」


 宮脇先輩がわたしを抱きしめていた。女の人からこうやって抱きしめられたのは初めてだったけど、嫌ではなかった。


「宮脇?」


 その声に呼応するように、わたしを抱きしめていた宮脇先輩の手が離れる。

 彼はわたしと目が合うと、目を見開く。


「安岡?」

「先輩」

「何、やってんだよ。こんな雪の中」


 駆け寄ってきた先輩の目は痛いくらいに真剣だった。

 返事に戸惑っているわたしの視界が遮られ、一瞬今の状況が分からなくなる。遅れて何度か抱きしめてくれたあの腕の中にいるのだと気付いた。


「裕樹から家を飛び出したって聞いて。電話もつながらないし。心配かけさせるなよ」


 彼が心配してくれているのは隣に住んでいるからであって、特別な意味があるわけではないと分かっていても彼の言葉に目頭の奥が熱くなる。


「稜」


 先輩の力が緩み、彼はためらいがちに宮脇先輩を見ていた。


「真由ちゃんを早く家につれて帰ってあげてね。わたしも家に帰るから大丈夫。ごめんね」

「本当に大丈夫か?」


 そのとき頷いた宮脇先輩の目はあのときのような儚げなものではなく、いつものように優しくて力強い瞳だった。


「大丈夫。本当にありがとう」


 わたしたちは途中まで一緒に行くと、それぞれの岐路に着く。

 先輩は宮脇先輩と別れてから、一言も口を利かなかった。だからわたしも何も言わなかった。



 白くて大きな塊が時折、わたしの肌に触れ、その姿を消していく。

 その降り積もる雪が辺りから音を消したみたいに、しんと静まり返っていた。

 その静かな世界に、わたしと先輩の足音だけが響いているような気がして、切なくて、苦しかった。


 先輩の好きな人が誰か分からないが、彼の気持ちが宮脇先輩に向けばそれ以上のことはない。宮脇先輩が先輩の彼女なら忘れられると思ったからだ。

 家に帰る前に、先輩の携帯が鳴る。先輩は何度か言葉のやり取りをすると電話を切った。

 玄関まで来ると、口裏を合わせるようにと耳元でささやく。


 意味が分からないでいると、彼は余計なことは言わないようにとだけ言い残す。

 チャイムを鳴らすと、怒った母親が出てきた。

 母親が口を開く前に先輩が頭を下げた。


「申し訳ありません。俺が探し物をしていて、彼女が手伝ってくれたんです」

「そうなんですか? でも、連絡くらいしてもらわないと困ります。こんな時間まで」

「本当にすみません」


 先輩は母親の言葉に反論せず頭を下げていた。


「今日は今回だけですからそんなに謝らないでください。この子が何も言わずに家を飛び出すから悪いんです。真由は明日学校でしょう? 早くお風呂に入って眠りなさい」


 母親のお説教は想像以上にあっさり終わり、先輩は頭をさげると帰っていく。

 彼はわたしが怒られないようにああいう風に振舞ってくれたのだろう。


 家に入ると、真っ先にシャワーを浴びた。いまいちからだが温まりきらない中で、紅茶を手に部屋に戻る。すると、先輩からメールが届いていた。 今日のことは気にしなくていいからゆっくり休むようにと書かれていた。


 わたしは余計なことは書かずに分かりましたと返答する。

 そんなに優しい先輩のことがやっぱり大好きで、これ以上彼を困らせたくなかった。

 わたしは鞄の中から渡せなかったチョコレートを取り出し、封を解く。もう先輩にあげようとは思わなかった。


 いつか先輩が好きな人と両想いになれますように。矛盾しているかもしれない想いを載せて、サイコロ状のチョコを口に運ぶ。


 先輩のことが好きだった。何度諦めようと思っても、口の中に感触を残すチョコレートのようにその気持ちは残り続けていた。


 外をみると、今だ雪が降り続いている。

 だが、その雪も解けて水になり、なくなってしまうように、この気持ちもいつしか思い出となるだろう。


 最後の一つを口に運び、紅茶を飲むと、空になった箱に蓋をした。



 それからあっという間に先輩の受験が終わった。先輩も宮脇先輩も出来は上々とのことだった。

 そのことに安心し、二人が試験に受かってくれればいいと思っていた。


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