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隣の先輩  作者: 沢村茜
第十二章 恋を忘れる夜
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降り積もる悲しみ

「でもケーキ」


 宮脇先輩に気を使わせるのが嫌で、お店の人に声をかけ、注文したケーキを箱に詰めてもらうことにした。

 そして、箱を手にテーブルに戻ってきたとき、先輩と目が合う。

 だが、わたしは意図的に目線を逸らし、二人のテーブルまで行く。


「用事を思い出したんで先に帰りますね。宮脇先輩も一緒に」


 宮脇先輩のお兄さんが眉根を寄せ、わたしの後方を見たが、彼はそれ以上何かを言わずに無言で頷く。

 わたしは先輩の表情を確認せずにテーブルに戻る。


「帰りましょう」


 彼女はうつむいたまま立ち上がる。その間、先輩達がいるテーブルを一度もみようとはしなかった。

 外に出ると、冷たい風が体の熱を奪い去るように、叩きつける。

 太陽の光はすっかり消え失せ、お店からもれる光と街灯が町を照らす存在となっていた。

 わたしは身や脇先輩の荷物を渡す。彼女は笑おうとしたみたいだったが、その顔は強張っていた。


「ごめんね」


 辺りを叩く風の音にかき消されてしまいそうな小さな声で宮脇先輩はそう告げる。


「気にしないでください」


 彼女は強い光を放つ目で空を仰ぐ。


「大学に受かるまでには忘れないといけないと思っていたんだ。稜には特別に思っている子がいて、わたしのことなんて眼中にないんだと分かっていた」


 初詣のことを思い出し、胸の奥が痛む。わたしの軽はずみな行動のせいで彼女がより傷ついていたのかもしれないからだ。


「ごめんなさい」

「なぜ?」

「初詣のときとか、わたし、宮脇先輩達がうまくいけばいいなって勝手なことをして」


 宮脇先輩は冷たい手の平をそっとわたしの頬に当てた。


「気にしないで。稜と初詣できて、すごく嬉しかった。真由ちゃんがそんなことを考えていてくれたなんて全然気づかなかったから、嬉しいって思う」


 優しい笑顔を浮かべた宮脇先輩の先ほどまでの辛らつな表情が頭を過ぎる。

 そのとき、わたしの頬に冷たいものが触れる。空を見上げると、いつのまにかそれは視界を大半を支配していたのだ。


 あれだけ大好きだった雪が降っているのに全く嬉しくなく、ただ空虚な空間を見つめるようにそれを見つめていた。


「冷えてきたね。風邪を引いたら大変だから、帰ろうか」


 宮脇先輩の手がわたしの頭に触れる。

 わたしは彼女の手の存在を感じながら、うなずくことしかできなかった。

 宮脇先輩はわたしを家まで送ってくれた。

 去っていく彼女の後姿をただ眺めることしかできなかった。



 雪は激しさを増し、窓には白い塊が無造作に付着する。

 わたしは何もすることなく、それを眺めていた。

 静かな部屋に携帯の音が鳴り響き、わたしは体を震わせ、手を差し伸べる。

 だが、発信者の名前を見て息をのんだ。

 深呼吸をして、通話ボタンを押し、耳に当てる。


「今、家?」

「そうですよ」

「宮脇と一緒に帰ったんだよな? あいつどこかに行くって行ってなかった?」

「え?」


 わたしは宮脇先輩に家まで送ってもらい、当然彼女は家に帰ると思っていた。

 彼女と分かれてもう一時間以上が経過し、時刻は八時を回っていた。


「まだ帰っていないんですか?」

「らしい。大丈夫だとは思うけど、顔色も悪かったし。時間も時間だし。教えてくれてありがとう。今から悠真さんと探してくるから」


 宮脇先輩の変化に気付いても一番肝心なことに気付けないことがもどかしい。


「わたしも行きます」

「いいよ。危ないから。宮脇はしっかりしているから大丈夫だとは思うし。一応、念のためだから」


 どうでもいい相手ならきっと探しにもいかないんだろう。先輩は宮脇先輩のことを恋人ではないにしても特別には思っているんだろう。

 悠真さんに対しても幼馴染としては好きだと言っていた。だが、好きになってしまったのなら恋愛感情が伴わないことは辛い気がした。


「お前は家にいろよ。宮脇が家に帰ったら教えるから」


 先輩の言葉にあからさまに反論することができず頷くと電話を切った。

 わたしはそれから時計だけを見つめていた。だが、室内に響く時計の針の音はわたしの不安な心をかきたてる。


 よからぬ方向に思考が傾きそうになるのを必死に思いとどめる。

 せめて彼女の居場所が分かれば。

 そう思ったときに脳裏を過ぎったのはあの写真に写っていた公園だった。


 先輩に電話をしようと、携帯をつかむ。

 だが、彼の名前を表示しただけで携帯を閉じた。

 彼女が本当にそこにいるのかという疑問、そして今先輩に会いたいのかということだ。


 先輩は探さなくていいと言っていたが、二人で探すより、三人で探すほうがいいに決まっている。こんな時間にはあまり出歩いたことはなかったから怖くないといえば嘘になる。

 だが、そんなことをいっている場合でないのも分かっていた。

 コートとマフラーに手を伸ばし、携帯をポケットの中に入れた。

 リビングに出たとき新聞を読んでいる母親と目が合う。


「どこに行くの?」

「少し出かけてくる」


 母親の問いかけを無視し、玄関に行き、ブーツを履く。そしてエレベーターまで駆け寄る。

 下への矢印のついたボタンを押すと、ドアが開き、そこに乗り込んだ。

 一階に着いたとき、携帯が鳴る。

 宮脇先輩の無事を知らせる電話かと思ったが、そこに表示されていたのは母親の名前だった。

 わたしは迷った末、電話の電源を切ると、外に出ることにした。



 木々の姿を少し隠すように雪が積もり、刺すような風がわたしの頬を刺激する。

 まだ柔らかい雪を踏みしめ、公園への道のりを急ぐ。そして、半分ほど進んだとき、白いコートを着た女性が歩いてくるのが見えた。


 その人が誰か気づき、思わず駆け寄っていた。

 わたしを視界にとらえた彼女の瞳がより潤む。


「真由ちゃん? どうして?」

「家に帰っていないと聞いて心配したんですよ。先輩も探していて」


 彼女は一瞬だけ顔を強張らせ、コートのポケットに目線を配る。


「ごめんね。携帯の電池が切れていることにさっき気づいたの」


 わたしは何度も首を横に振る。彼女が無事でいてくれたことが何よりだったからだ。


「どうしてこんな時間まで」

「家に帰る気がしなくて、ちょっとぶらぶらしていたの。そしたら無性に昔のことが懐かしくなってしまってね。ごめんね。こんなになるまで気づかなくて」


 宮脇先輩の手がわたしの頭に触れ、雪の塊が視界に映った。


「帰りましょう」

「そうだね。家まで送るよ」

「先に先輩の家に帰りましょう。わたしは大丈夫ですから」

「大丈夫だよ。今度は帰るから」


 彼女は今歩いてきた道を仰ぐと、わずかに微笑んだ。


「どうかしたんですか?」

「真由ちゃんには話したよね。ピアスの話」

「忘れるためにという話ですよね。まさか」

「そう。失くしちゃった」


 少しだけ宮脇先輩の目が潤んでいるのに気づいた。


「どうにかして忘れないとと思って、ああやっていつ落としてもおかしくないように持ち歩いていて、よりによって今日失くすなんてついてないよね」


 そう言うと、宮脇先輩は笑っていた。


「でも、これで稜のこと諦められる」


 彼女の悲しそうな目がわたしの心を締め付ける。


「今日、どこに行ったんですか?」

「真由ちゃんを送って、ぶらっとして、この近くに稜と昔遊んだ公園があるの。そこでボーっとしていて、携帯を取り出して帰ろうとしたところで気付いたんだ」

「ポケットの中を触ったのはその公園だけなんですね」


 わたしは宮脇先輩の手に触れる。彼女の手は氷のように冷たかった。

 不思議そうに笑う彼女は自分の手が冷えているという実感もないんだろう。

 わたしは彼女と一緒に大通りまで行く。そして、親から頼まれた買い物があるといい、彼女と別れ、彼女が自分の家の方向に帰るのを確認して、今まできた道を引き返していた。


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