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隣の先輩  作者: 沢村茜
第十一章 見えない優しさ
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感謝の気持ち

 どこか閑散とする道路の横に立ち並ぶ木々とは対照的に煌びやかな文字と珍しいチョコレートが店頭を彩る。

 もう二月のバレンタインまで数えるほどとなり、その間先輩とほとんど会うことはなかった。


 会いに行けば会ってくれるのは分かったが、先輩の邪魔をしたくなかったことから自重していた。それに思いがけない受験後の約束が楽しみだったからというのも、先輩にあまり会いに行かなかった理由の一つかもしれない。


 愛理は顔をしかめ、見本のチョコレートを吟味していた。

 彼女は毎年兄にあげているらしく、その買い物についてきたのだ。


 咲は適当なチョコレートを手に取っているが、買う気はないのかすぐに手を離し、落ち着かないのかしきりに辺りを見渡していた。


 わたしもトリュフの入った箱に触れる。いつもなら自分のために買いたいと思うチョコをどこか他人事のような気持ちで見つめていた。


「真由は先輩にあげるの?」

「告白はしないけど」


 そのチョコレートに名残惜しい気持ちを残しながら手を離した。


「でも、先輩がわたしに誕生日プレゼントをくれるらしいんだ。でも、わたしは先輩に何もあげたことがないから、何かあげられないかなって思ったの。でも、告白までしようとは思わないの」


 愛理はほんの少し笑う。


「大丈夫だよ。先輩は感謝の気持ちを素直に受け取ってくれる人だと思う。渡すときに今までのお礼だって言っておけば大丈夫だよ。あれだったらわたしもフォローするし」


 その愛理の言葉は依田先輩の言っていた言葉をなんとなしに思い出させ、今まで気にしていたことをすっと楽にさせてくれた。


「そうだね」


 わたしは迷った結果、生チョコを、愛理はビターチョコレートを購入していた。咲は気になっていたようだが、チョコレートを買うことはなかった。

 愛理たちと別れると、チョコレートの入ったカバンを見る。

 お守りさえも躊躇してしまったわたしにチョコレートを渡すことなんてできるのだろうか。


「安岡」


 思いがけない声に呼ばれ顔を上げると、先輩が立っていた。


「今、帰り?」


 わたしは彼の言葉に頷いた。


「先輩は用事ですか?」

「ちょっと買い物に」


 先輩はそこで言葉を切る。


「お前ってこの時期好きだろう?」

「どうして?」

「バレンタインとか言って、自分で自分用のチョコとか買ってそう。この時期には普通なさそうなチョコもあったりするから。誕生日プレゼントはそれでもいいよ」


 先輩のために買ったチョコを思い出し、ドキッとする。


「下手に残ると困るだろうから」

「そんなことないです。残るものがほしい」


 先輩がくれるものだからそういっていた。一つの思い出にしたかったのかもしれない。

 先輩の驚いたような顔を見て、しまったと気づく。


「お前って半券とか残しておくタイプだろう?」

「は、半券?」

「映画のチケットとか」

「取ってますけど」


 だが、わたしはそれ以上言えなかった。それ以上言えばそれは告白になってしまうとわかっていたからだ。

 言葉を抑えられ、顔を背けたときだった。わたしの視界に綺麗な髪をなびかせている人の姿が映る。そして、その隣にいる彼女よりも背丈の高い顔立ちの整った人の姿が目に映る。


 転びそうになった宮脇先輩の腕をつかみ、からかうような笑顔を浮べている。

 宮脇先輩は恥ずかしかったのか、顔を赤くして苦笑いを浮かべていた。

 誰なんだろう。恋人なんだろうか。


 先輩のことが好きといっても、ずっと好きでいないといけないわけじゃない。好きになれそうな人がいたらその人とつきあってもおかしくない。


 二人のいる場所はわたし達の帰宅方向で、先輩にそんな知らない男の人と一緒にいる宮脇先輩を見せたくなかった。

 わたしは角を曲がろうとした先輩の手をつかむ。


「何か食べませんか? お腹空いちゃって」

「俺の家に食べに来たら?」


 こんなときに限って、食いつきたくなるくらいの言葉を掛けてくる。

 思わずうなずきたくなる言葉を堪えて、先輩に声をかける。


「でも、先輩」

「稜?」


 少し低い落ち着いたような声。それは男の人の声だった。

 振り返ると宮脇先輩と男の人が驚いたような顔をして立っていた。


「久しぶりだね」


 先輩は驚いたような顔で二人を見るが、ショックを受けているような雰囲気は感じられなかった。そして、軽く頭を下げる。

 知り合いなのだろうか。


「この子は?」


 そう言ったのは宮脇先輩の隣に立っていた男の人だ。


「わたしの学校の後輩よ。稜の隣に住んでいるんだって」


 彼は納得したのか頷くと、笑顔を浮かべる。その整いすぎた顔立ちをなぜか直視できなくなり、顔を背けてしまっていた。そして、宮脇先輩と目があった。


「わたしのおにいちゃんなんだ。ごめんね。迷惑をかけて」


 わたしはその言葉に驚き、さっき目を逸らしたばかりの彼を見た。宮脇先輩との間に共通点は見られない。強引に見つけた共通点は二人とも艶のある髪をしていることだった。


 もう笑っていない彼は優しい雰囲気の宮脇先輩とは違い冷たい印象を与える。だが、嫌悪感を覚えるどころか、長いまつ毛の下に覗くやけに澄んだ瞳は人を引き付ける。その彼が少し笑い、ドキッとして彼を凝視する。


「あんまりそうじっと見つめられると困っちゃうんだけど」


 冗談めかした言葉で彼が笑いながらそう告げた理由に気づいた。


「ごめんなさい」

「いいよ。気にしないで」


 彼は優しく語りかけるように話すと息を吐いた。

 宮脇先輩とはほとんど似ていない。だが、その目を惹く整った顔立ちは彼女の兄弟と言われれば抵抗なく受け入れられる。


「本当に可愛いね。名前は何ていうの?」

「か、可愛い?」


 わたしは声を上ずらせながら、その言葉に反応する。

 前に依田先輩に言われたときよりも過剰に反応してしまったのは、どうしてなのか分からない。

 でも、すごく年上で大人という雰囲気がそうさせたのかもしれない。


「反応が子供みたいで」


 彼の言葉に戸惑いながらも、その言葉を言葉少なくかわいいと言われるよりは受け止められる。


「お兄ちゃん。そういうことを言ったら失礼だよ」


 宮脇先輩は腰に手をあて、兄を睨む。


「失礼かな」


 彼はそのとき初めて動揺を見せた。


「悠真さんは宮脇には弱いんだよ。昔からね」


 苦笑いを浮かべながらそう語る先輩を見て、二人は小学校から一緒だから、色んなことを知っていて、わたしが知ることのできない時間が二人の間に流れているんだと感じた。


 静かな音楽が耳に届き、宮脇先輩がコートのポケットから携帯を取り出す。彼女は言葉を交わすと、電話を切る。そして、わたし達に軽く頭を下げた。


「用事があるから帰るね。呼び止めてごめんね」


 彼女は兄と言葉を交わし、来た道を引き返していく。

 二人の姿が曲がり角に消えたとき先輩が声をかける。


「帰ろうか」


 わたしは先輩と家に戻ることにした。

 それから毎日のようにどうやって先輩にチョコをあげるか迷っていた。だが、なかなか決められないわたしをよそに、あっという間にその日になってしまっていた。


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