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隣の先輩  作者: 沢村茜
第十一章 見えない優しさ
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嬉しい誕生日

 ペンを置くと時刻の表示された携帯をちらっと見る。その日付は見覚えのある日付の一日前を指していた。明日はわたしの誕生日だった。結局、あれから幾度と先輩と顔を合わせてもお守りは渡せないままだった。


 ドアがノックされ、返事をすると母親が入ってきた。


「コートは洗っておいたから。明日取って行きなさい。ポケットの中に入っていたのは、脱衣所のところに置いているから」


 彼女の言葉に返事をし、ドアが閉まるのを確認する。そして、あくびをかみ殺すと、その日は眠ることにした。


 教室の外に出ると、隣の電気の消えた教室を望む。沸き立つ一年の教室とは違い、三年の教室は別世界のようにひっそりとしている。


 先輩たちは家で自分の夢に向かって頑張っているんだということを人気のない教室が教えてくれた気がしたのだ。


 肩を叩かれ、振り返ると困った顔の愛理がいた。


「帰ろうか」


 歩き出そうとしたわたしを見て、ふっと目を細める。


「寂しい?」

「さみしくないといえば嘘になるけど、こうやってどんどん人が入れ替わっていくんだと思うと、不思議だけど切ないなって思ったの」

「そうだね。中学のときは三年生も当たりまえのように学校に来ていたけど」


 愛理はわたしの頭をなでる。元気を出せと言いたいんだろう。


「時間ってそういうものだよね。どんなにとめたいとか過去を消したいと思ってもとめることも過去に戻ることもできないし、今は本当に今しか存在しないって思うときがあるよ」


 その言葉に夏休みに先輩と一緒に映画を見に行ったことを思い出していた。

 今、か。

 わたしは今、どうしたいんだろう。


 最近の愛理は抽象的に語ることが多く、前のように具体的にわたしにこうしろとか、ああしろと言わなくなった。


 彼女の言葉は先輩への告白を強いるものではないだろう。告白というものはわたしにとっての終着点ではなく、恐らくこのままの関係で終わらせても後悔しない気がしていたのだ。少しずつ苦しい気持ちも整理ができるようになっていた。


 先輩がどれだけ勉強をしていたかは知っている。だから、彼の夢が叶えばいいとは思っていたのだ。そんな気持ちを先輩には伝えたかった。


「お誕生日おめでとう」


 不意うちのように聞こえてきた言葉に目を見張る。そこには愛理と、さっきまではいなかった咲の姿があったのだ。


「自分の誕生日を忘れていた?」


 愛理は腰に手を当て、わたしの顔を覗き込む。


「そんなことはないけど。ありがとう」


 少し照れてしまい、頭をかく。


「次の日曜までにほしいものを決めておいてよね」

「考えておく」


 愛理と咲のプレゼントは前もって買ったが、どうせならということで遊びに出かけたついでに一緒に買いに行くことになっていた。


 学校を出ると愛理たちと別れ、家に帰ることにした。

 息を吐くと、口の周りが白くなる。冬の季節は嫌いではないが、こんなに冬が去ることが悲しいと感じたことはなかった。口元を引き締めると、家への道を急ぐ。今の決意を無碍にしたくはなかったからだ。家の前を通り過ぎ、先輩の家のチャイムを黒の手袋をした手で鳴らす。


 すぐに扉が開き、先輩が顔を覗かせた。

 わたしは思わず体を仰け反らせる。


「悪い。さっき帰ったところだったんだ」

「買い物?」

「散歩」


 先輩は顔をすくめて笑う。


「あの」


 とりあえず出せば話が通じると思い、コートからお守りを取り出そうとしたが、ここ数日感じた感触がない。携帯の本体が爪をはじくだけだった。


 そのとき、昨日母親がコートを洗濯したと言っていたことを思い出したのだ。


「そういえば、今朝」

「何でもないです。また後から来ます」


 わたしは慌てて自分の家に入る。そして脱衣所まで行くと、お守りを探す。だが、わたしの荷物が入っているといったかごにはコンビニのレシートとペンが置いてあるだけだった。

 リビングに入ると、から揚げを揚げている母親に問いかける。


「コートの中に入っていたお守りは?」

「荷物は脱衣場においていたわよ」

「ないんだけど」

「さあ、誰か持って行ったんじゃない?」


 わたしがいくら聞いても取り合うきがないのか軽く流すだけだった。

 仕方なく自分の部屋を探すが、それらしいものは見当たらない。落胆のため息をつき、ベッドに腰を下ろす。


「こんなことになるなら早く渡せばよかった」


 先輩にまた来るなんて言わなきゃよかった。

 なんて言おう。お守りを渡すつもりだったけど、失くしましたとも言えない。


 そのままベッドに倒れこむ。携帯を取り出すと、先輩にメールを送ることにした。勘違いを伝えるために彼を玄関に呼ぶのも悪い気がしたからだ。だが、すでにメールが一通届いていた。差出人は裕樹だった。


 不思議に思いながら携帯を開くと、自分の顔が引きつるのが分かった。


 お守りを渡さないみたいだから、稜に渡しておいてやったよ。感謝しろよ。


 携帯を唇に当て、短く息を吐いた。

 携帯が鳴り、発信者の名前を確認すると先輩の名前が記されている。わたしは思わず体を起こすと、携帯を手に取った。


「もしもし」

「今から来る?」

「やっぱりわたしの勘違いでした」

「分かった。なら家に戻るよ」


「まだ外にいたんですか?」

「また来るって言うからね。でも、もう中に入るからいいよ」


 そのとき、ドアが開く音がした。先輩を外で待たせていたことが申し訳なかった。


「さっき話をしようとしたことだけど」

「ごめんなさい」


 思い切り先輩の言葉を遮っていたことを思い出したのだ。


「いいよ。気にしないで。裕樹から今朝、安岡からだとお守りをもらったんだけど」

「はい。初詣に行ったときに買ったから、先輩にって思ったので」

「そっか。ありがとう」


 先輩の言葉になんだかほっとしていた。


「今度、何かお礼するよ」


 思いがけない言葉に、つい過剰反応してしまいそうになる。


「お礼なんて。そんなにたいしたことじゃないですから」

「じゃあ、誕生日プレゼントもかねて」


 誕生日という言葉にドキッとした。わたしは先輩にそんな話をした記憶がなかったからだ。

 先輩はすぐにつけ加えるようにして言う。


「受験が終わったら、誕生日プレゼントをあげるから何がいいか考えておいて」

「でも、わたしは先輩に何もあげてないのに」

「いいよ。俺があげたいからあげるだけだから」


 そう言うと、先輩が笑うのが分かった。

 その言葉があたたかくてやっぱり嬉しい。


「ありがとうございます」

「どういたしまして。あと、誕生日おめでとう」

「ありがとうございます」


 思わず顔がにやけそうになるのを必死でこらえていた。それにあれだけ嫌だった先輩の受験を終えた春もほんの少し楽しみになっていた。


 あげられなかった誕生日の代わりに、何かあげられるものはないかと考えついて思ったのがバレンタインだった。お守りよりもあからさますぎるかもしれない。だから、もう少しの間だけ先輩にあげるかどうか迷っていようと思った。

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