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隣の先輩  作者: 沢村茜
第十章 一方通行の思い
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閉じ込めた気持ち

 冷たい廊下から慌てて校舎の中に入る。風よけ程度にはなるので肌に感じる寒さが少しはましになる。


 昇降口にはもう人気がなく、閑散としていた。学校が終わりもうずいぶんと長い時間が経過していたのだ。先生に雑用を頼まれ、今まで捕まっていたのだ。愛理や咲は待っていてくれると言ったが、迷惑をかけるのが申し訳なく一足先に帰ってもらっていた。


 階段を上がり、四階まで行く。わたしの教室はわたしがつけっぱなしにしていたので電気がついているが、隣の教室も同じように黄色い光がともっていたのだ。


 教室の扉が開いていたことから軽い気持ちで近寄っていく。


「そうかな」


 先輩の声が聞こえ、どきんと胸が高鳴るのが分かった。まさか本当に先輩が残っているとは考えもしなかったのだ。


「そう思うし、みんな噂しているよ。乗り換えたんじゃないかって」

「乗り換えるって」


 先輩は困ったように笑っていた。わたしはドアにくっつくようにして中をうかがっていた。

 相手の人は少し声の低い感じの女の人。

 誰と何の話をしているのか知りたく、ドアをのぞこうと決意したときだ。


「……安岡真由はありえないから。彼女とかそういう対象じゃない」


 わたしの名前。そして、それを言ったのはもちろん西原先輩の声だった。

 胸の奥がずきんと痛んだ。心の奥に重石が乗ったように重くて、苦しい。


「やっぱり。そうだと思った。仲良くしているからまさかって思ったけど」


 彼女の声がぱっと明るくなる。


「友達と彼女はやっぱり別だから」


 そう淡々と語り聞かせたのは、誰でもない先輩の声だった。その言葉が今まで話をしていた、二人の会話を総括しているようなものだった。


 いつの間にか高鳴った心臓がわたしの思考さえもかき消していく。

 別にわたしの陰口を叩いているわけでもない。ただ、わたしは恋愛対象外だと言っただけ。


 わたしだってこの前愛理に依田先輩のことでそうしたことを言った。同じ言葉だと言い聞かせていくが、それでも言葉では言い表せないものがわたしの頭を覆い尽くしていく。


 宮脇先輩のことで諦めようと思っていたのに、心のどこかで先輩が好きになってくれるんじゃないかと期待していたことを気付かされる。

 これでよかったと言い聞かせても、わたしは意に反し唇を強く噛んでいた。


 教室に戻ると、鞄を取り、施錠をして外に出た。

 階段をおり、やっとの思いで一階まで行く。

 足元はぐにゃぐにゃとスポンジの上を歩いているように不安定で、頭は鈍器のようなもので殴られたように痛んでいた。


 それでも鍵を返すと靴を履き、ふらつきながら校舎の外に出る。



 空はどんよりと雲り、太陽の光どころか、辺りを照らす街灯の光さえ届かないほど真っ暗だった。

 今日が晴れていなくてよかった。そんなことを改めて思う。

 こんな日にそんな夕焼けを見たら泣いてしまいそうだから。


 グラウンドから聞こえてくる掛け声に我に返り、家への道を急ぐことにした。靴の先に透明なものが当たり残骸だけを残しあっという間に砕け散る。


 顔を上げると雨粒が無造作にわたしの顔に降り注ぐ。持っていた傘を開くと、わたしの体には何も触れなくなった。


 だが、そのせいでわたしは頬に伝う温かいものの存在に気づいてしまった。それが描き出した二本の筋は連続的に頬を湿らせていく。

 ばかみたい。

 その正体に気づいて、自分で自分を笑っていた。


 家に帰って、リビングを通らなきゃいけないから、それまで我慢しなきゃいけない。そう思っても流れてくる涙を堪えることができなかった。

 それどころか涙の量が勢いを増す。堪えようと口元を抑えるが、わたしの手が浸されていく。

 失恋したということを改めて実感する。


 先輩にはやっぱり泣き言は言えないね。


 そう心の中でつぶやいたとき、、わたしの傍を誰かが過ぎ去るのが分かった。

 同じ学校の制服だって気づいて、目をそらす。だが、その陰はぴたりと止まる。

 名前を呼ばれ顔を上げると森谷君が立っていた。だが、涙が頬を伝うのに気づき、思わず顔を伏せる。


「どうかした?」

「失恋しちゃったんだ」


 笑って言ったときに、悲しそうな顔をした彼と目があった。わたしは時折雨に遮られながらも、彼から目が離せなかった。


「西原先輩のこと?」


 わたしはうなずく。わたしの気持ちは筒抜けだったから、彼が知っていてもおかしくない。


「好きだったの。すごく、ね」


 先輩があれだけ素敵な人と付き合っていてもどこかで期待していた。わたしに優しかったから、他の子と違う気持ちを持っていてくれるんじゃないかとどこかで思っていた。それは恋愛感情ではなかった。ただ、子供だから優しくされただけなのに、分かっていたのに期待していたのだ。宮脇先輩のことを知ってから必死に心を整理しようとしてきたのに、それでも先輩への気持ちを片づけられなかった。


 森谷君はそんなわたしの傍に、制服が色を変えていくほどぬれていくのに、傍にいてくれた。



 わたしの目の前に湯気の出ている紅茶が出され、ほんのりと苦味と甘味のある香りが漂っている。


「少し落ち着いた?」


 わたしはうなずく。

 わたしは森谷君の家に来ていた。泣きやまないわたしを、自分の家なら誰もいないからと言ってあげてくれたのだ。

 わたしは彼が出してくれたタオルで髪の毛を吹くとテーブルの上に置いた。


「図々しくごめんね」

「いいよ。誰もいないから」


 彼の優しさに触れると思わず目を細める。

 紅茶に手を伸ばし、甘い香りを嗅いで口に含ませた。昂ぶる気持ちが少しだけ落ち着く。


「ずっと分かっていたの。先輩はわたしのことを相手にしてくれないって」

「西原先輩からそう言われた?」


 わたしはうなずいた。


「そんなことないと思うよ。安岡はかわいいと思うし。それに」


 そこで彼は言葉を切った。それ以上は何も言えなかったのかもしれない。無理に褒めようとしてくれたんだろう。森谷君の優しさが伝わってきて、嫌な気分にはならなかった。


「ありがとう」


 可愛いなんて滅多に言われることはないから、言葉はありがたく受け取っておこうと決めた。


「泣くのはわたしらしくないから、明日からはちゃんと笑わないとね」

「話ならいつでも聞いてあげられるから」


 その言葉は夕焼けの日に先輩がわたしに伝えてくれた言葉を思い起こさせる。


「ありがとう」


 少し目が潤むのに気づいたが、それでも森谷君に対して笑っていた。


 家に帰ると、窓から外を眺めた。もう辺りは薄暗くなっていた。わたしは自分の頬を抓る。

 もう告白なんてできない。勝ち目のなく玉砕するよりは先輩がたまに帰ってきたときに、友達として、ただの隣人として接するほうがいい。だから、わたしはこの気持ちを封印して先輩に接しようと決めた。


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