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隣の先輩  作者: 沢村茜
第十章 一方通行の思い
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小さな決意

 そのとき、リビングの扉が開く。少し厚手のハイネックのセーターを着た依田先輩が中に入ってきた。彼は手にしていた袋をテーブルの上に置く。咲は彼と洋服を何度も見比べていた。


「誕生日プレゼントを渡したよ」


 荷物を置いた先輩が振り返り、優しく笑う。


「ありがとうございました」


 咲は深々と頭を下げる。


「喜んでもらえたならよかったよ」


 愛理はそれを見届けるように、依田先輩のところに行くと袋の中を確認する。そして、眉をひそめ、袋の中を確認していた。


「オレンジジュースは?」


 依田先輩は目を見張り、声を漏らす。


「今から買ってくるよ」

「いいよ。わたしが行く」


 愛理はわたしを見る。


「真由、ついてきて」

「いいよ」

「咲は留守番していて」


 戸惑う咲を置き、愛理はリビングを出た。わたしは少し戸惑いながら、彼女の後に続く。

 さっき履いてきたブーツに足を通すと、一緒に家を出た。

 よく考えるとわたしは愛理の家に行き、コートも脱がずに外に出てきてしまっていた。


 家から二十メートルほど離れた場所にある曲がり角を曲がろうとしたとき、愛理が少しだけ申し訳なさそうに笑っていた。


「わたしのわがままにつき合わせてごめんね」

「いいよ。でも、咲は大丈夫なの?」


 二人が一緒に花火大会に行っていたことは愛理も知っているはずだ。でも、今でも男の人に対して苦手意識を持っている彼女を先輩と二人きりにしていいのか不安があった。


「大丈夫だと思うよ。二人で話をしたりしているし、話ができないわけでもないと思う」


 愛理はそういうと笑っていた。


「依田先輩とは普通に話せるようになったんだね」


 二人が話をしていることは何度か見たことがある。西原先輩と、クラスの男子と話すのも一部を除き抵抗がありそうだが、思い出してみれば依田先輩と話すときは思ったより普通だった。ふと、彼女が夏に言っていたことを思い出す。


 好きな人とは普通に話せるものなんだろうか。それとも男の人を怖がっている彼女だからこそ、普通に話せることが大きいのかもしれない。そういえばさっきの態度もいつもとはどこか違い、明らかに先輩を意識していた。


「咲の好きな人は依田先輩なの?」


 愛理は声を出すと、苦笑いを浮かべる。


「真由も分かったんだ」

「夏に言っていたの。好きな先輩がいるって」

「真由に言おうか迷っていたもんね」


 彼女は軽く唇を噛むと天を仰ぐ。


「咲には秘密ね。まだ誰にも知られたくないみたいだから」


 その言葉を聞き、咲のことを好き勝手に言っていた二年の先輩のことを思い出した。誰かに知られると、あんなことが増えていくんだろうか。先輩が言うには依田先輩が相手だということも大きいようだったからだ。


 付き合いでもしたらそれは今の比でもないんだろう。だが、ふと同じときに彼女が言っていた話を思い出す。咲の好きな人がわたしを気に入っている、と。

 気に入るといっても、そこに恋愛感情があるとは限らないし、どううぬぼれても依田先輩がわたしを思っているようには感じなかったのだ。

 愛理にそのことを言うと、彼女は笑っていた。


「真由はお兄ちゃんのことどう思う?」

「わたしは西原先輩のことがあるし。かっこいいとは思うけど」

「お兄ちゃんの真由に対しての気持ちもそんなものだとは思うんだよね。恋愛感情でなくただ好意を持っている友達、クラスメイト、学校の先輩、後輩。でも、お兄ちゃんは何を考えているのか分からないところがあるから、断言はできない。聞いてもいつもはぐらかすの」


 だが、思い当たらないことはないわけではない。一見フレンドリーな彼と最初のほうに話したときに壁を感じたのだ。最近はそうでもなくなっていたけれど。


「お兄ちゃんはああみえても、昔は無口で、人とあまり話をしない人だったんだ。無表情でいることも少なくなかった」

「無表情って依田先輩が?」


 愛理は懐かしそうに笑う。


「小学校が一緒の人は知っている人が多いかもね」


 今の彼からはそんな印象は全く受けなかった。咲とは違う形で何かを胸の中に抱き、隠すために今のような彼になったのだろうか。それとも今が彼の素だったんだろうか。


 目の前の信号が変わり、わたしたちは足を止める。愛理は短く息を吐いた。


「咲とお兄ちゃんが付き合ってくれたら、複雑な気持ちはあるけど、嬉しいとは思う。咲のこともお兄ちゃんのことも好きだし、きっとお兄ちゃんなら咲を傷つけないと分かるから。でも、付き合うなら別れてほしくないの。だからゆっくりと真面目に考えてほしいんだ。それはわたしのわがままなんだけどね」


 一瞬、彼女は咲が陰で言われていることを知っているのではないかと思った。だが、先輩との約束がわたしの口をふさぐ。


「そうかもしれないね」


 何かあっても互いに愛理には相談はできないだろう。特に依田先輩は愛理のことを必要以上に気にかけている。彼女を傷つけないように無理に付き合い続けるとか、今の愛理はそうしたことを怖れているように見えた。


「だからしばらく知らない振りをしてあげてほしいの」


 彼女はさみしそうに笑っていた。

 あれから咲のことをとやかく言う人たちは見なくなった。もっと陰であれこれやっているのかもしれない。


 誰しも抱えていることがあり、それでもできるだけ前向きに生きようとしているんだろう。

 首筋に冷たい風が触れるのに気づき、そっとマフラーを結びなおした。



 わたしたちが買い物を終え、家の中に入ると、依田先輩の話声が聞こえてきた。


リビングの扉を開けると、咲と依田先輩が話をしているのが見えた。咲は自分から話すことはなく、どちらかといえば受け身で、依田先輩が次々に話をしていた。

 不意に言葉を切った依田先輩はわたしたちを見ると立ち上がる。


「俺は部屋に戻るよ」


 彼はそれだけを言い残すと部屋を出て行った。

 咲の傍に先ほどまでなかった紙袋が置いてある。白い袋の中央に銀色のインクで書かれたお店のロゴが入っている。誰が彼女に渡したか気づき、何も聞かないことにした。


「ごめんね。ケーキでも食べようか」


 愛理もそれに気づいたのか、一瞬目を見張るがすぐに顔を背け、ペットボトルをテーブルの上に置く。

 咲は心なしかさっきよりも明るい笑顔を浮かべている。



 エレベーターの扉が開き、外に出た。ほぼ同時に聞こえてきた別れを告げる言葉に足を止めた。彼の家の前には宮脇先輩がいたのだ。


 その奥には西原先輩がいて、歩き出した宮脇先輩を目で追っていた。宮脇先輩の足が止まるのと、先輩の目が見開かれるのはほぼ同時だった。

 わたしは歩いていくと軽く頭を下げた。


「またね」


 宮脇先輩は屈託のない笑顔を浮かべると、そのままエレベーター乗り込んだ。

 私は彼女の言葉に頷いた。

 そして、エレベーターが動き出すのを待ち、家の前に立っている西原先輩と顔を合わせる。


「お帰り」


 わたしはあいまいに微笑んだ。二人が約束していたことをまったく知らなかったからだ。


「楽しかった?」

「楽しかったです」

「先輩は」


 不思議そうな彼の顔にわたしは首を横に振る。

 今はそんなこと聞く必要なんてない。


 いつか先輩は彼女と再び付き合うことになったとき、教えてくれるんだろうか。そのときは咲と依田先輩を見たときのように心から笑顔でいられるようになろう。


 そして、先輩に挨拶をすると鍵を開け、家の中に入った。

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