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隣の先輩  作者: 沢村茜
第八章 ほろ苦い夏
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時間が止まってくれればいい

 わたしの少し前を歩く先輩を横目で見る。愛理の家から帰った翌日、先輩は待ち合わせをするや否や行先も告げずに歩き出したのだ。わたしが聞いてもそのうち分かると場所も教えてくれなかった。


 先輩のテンポ良い足取りが止まる。彼の視線を追うように顔を上げると、大きな看板の掲げられた映画館があった。出入り口は夏休みであることも影響してか、朝早いのに関わらず人がごった返している。


「何か見たいんですか?」


 先輩が映画を見るというイメージがいまいちわかなかったのだ。

 今上映中の映画を目で追っていくと、咲が見たと言っていた映画の隣に壮大な自然が描き出されている映画の看板を見つけた。

 詳しくは知らないがお金のかかったSF映画だという知識だけはあった。


「これを見たいんですか?」


 わたしが看板を指さすと、彼の指はその隣に向く。

 それは咲が昨日話をしていた映画だ。


「これ」

「冗談?」

「冗談じゃないって」

「だってこんなベタベタな恋愛映画ですよ? 先輩は絶対に好きじゃないですって」


 わたしが思わず大きな声を出したからか、くすくすと人の笑い声が聞こえてきた。


「ああ、もううるさい」


 先輩は反応の悪いわたしに逆ギレしたのか、わたしの腕を引っ張ってチケットを売っている場所まで連れて行く。そのままチケットを買い、映画のタイトルが印刷されたものをわたしに押し付けた。


「失くすなよ」

「ありがとうございます」


 歩き出した先輩の後を追う。その館内には人が多く、中央や後方の席に空きはなかった。

 わたしと先輩は後ろのほうに二人分だけ空いている席を見つけ、そこに座る。

 わたしが座ると先輩は飲み物を買ってくると言い残すと、外に出て行った。

 男女で来ている人はちらほらと見かけたが、圧倒的に女の人の比率のほうが高い。

 目の前にストローの飛び出た紙コップが差し出される。それを受け取ると、先輩は隣に座った。


 わたしはオレンジジュースで先輩はアイスコーヒーにしたようだ。

 眩いライトが消え、スクリーンから発される頼りない光が館内をほんのりと照らし出す。

 何作かの映画の予告編が流れた後、物語が始まりを告げる。聞きなれない異国の言葉を耳にしながら先輩を横目で見ると、彼はじっと映画のスクリーンを見つめていた。わたしも物語に集中することにした。


 物語も中盤に差し掛かった頃、わたしの肩にさらっとした髪が触れる。それが先輩だと気づくのに時間は掛からなかった。体を硬直させたまま顔だけを動かし横を見ると先輩の長いまつげをうかがうことができた。


「嘘ばっかり」


 昨日の反応を見ていたら興味がないということは明らかだった先輩が、なぜこの映画を見ようと言っていたのか薄々分かっていたのだ。それはわたしが一昨日と、昨日も暗い顔を見せ続けていたからだ。


 届かないと分かっているのに、後半年経ったらほとんど会えなくなるのに、どうしてもこんなことをされたら期待してしまいたくなる。


 大学に入れば先輩に昔のように彼女ができて、わたしのことなんてどうでもよくなるのかもしれない。

 肩に感じる先輩の存在に先輩の気持ちが嬉しいはずなのに苦しくてどうしたらいいのか分からなかった。

 このまま時間が永遠に止まってくれればいい。

 わたしは流れていく映画の映像を見ながら、そんな現実には起こりえないことをただ考えていた。


 先輩の頭が離れたのは物語も終盤に差し掛かったときだった。先輩は体をびくつかせると、辺りを見渡していた。


 わたしは先輩がおきたのに気づかない振りをして、流れゆく悲しい物語を見つめていた。そして物語の展開とは無関係に目頭が熱くなっていく。唇をかむと、目から必死に落ちてこようとするものを堪えていた。




 映画館の外に出ると、強い日差しが辺りに降り注いでいた。わたしたちの座るベンチも木陰にはあったが、暑いことには変わりない。

 先輩は水滴のついたウーロン茶をわたしに差し出してくれた。


 上映が終わりどこかのお店にでも入るかと聞いた先輩はわたしの答えも聞かずに、わたしをここに連れてきたのだ。


 彼は自分の分のお茶を飲みながら、時折欠伸をしていた。


「そんなに泣けた?」

「どうかな」


 先輩の買ってくれたウーロン茶をそっと口に含む。

 今はそう思われておくほうがいいとわかっていたこともあり、あいまいに微笑んでいた。

 人の声をかき消してしまう蝉の音と痛いほどの太陽の日差しが確実に時間は流れているということを教えてくれているような気がした。



 夏期補習の後期補習が始まった。そして、前期と同様に先輩とは今までのようには会えなくなった。


 夏が過ぎ、秋になる。冬の後に彼と出会った春がやってくる。

 わたしと先輩が過ごせる時間はもう増えることはなく減少の一途を辿っていくんだろう。

 そのことを自覚し、胸の奥が苦しくてたまらなかった。



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