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隣の先輩  作者: 沢村茜
第八章 ほろ苦い夏
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隣にいられる時間

 翌朝、階段を下りたとき洗面所から出てきた依田先輩とばったりと顔を合わせる。


「昨日は眠れた?」


 わたしは彼の言葉に頷く。

 彼は少し前に起きていたのか、もう新しい洋服に着替えていた。ほんのりと石鹸の香りがして、髪の毛が濡れていたことを考えるとシャワーでも浴びていたのかもしれない。


 一緒にリビングに入るとまばゆい光が差し込んでいる。西原先輩の姿はここから確認できなかった。


「まだ寝ているんだ。本当によく寝るな」


 依田先輩はあきれ顔で西原先輩のところに行くと、彼の体を揺さぶっていた。

 わたしもそんな二人のところに行く。

 先輩の体がびくりと震え、半開きのまま辺りをぼんやりと眺めていた。


 依田先輩にあいさつがてらに頬をつねられ、やっと目を覚ましたようだった。そのとき、西原先輩が一瞬わたしを見て、目を逸らす。


「おはよう」


 顔を背けられた挨拶に戸惑いながら軽く会釈をする。

 何か昨日失礼な態度をとってしまっただろうか。


「シャワー、使っていいよ。着替えは持っているよな」

「持っているけど」

「わたしは部屋に戻っていますね」


 目をそらされたことで気まずくなり、わたしは慌てて部屋に戻った。

 先輩の態度に勇気をもらったはずなのに、何でこんな目線一つで心を痛めてしまうのか。

 自分の歯がゆさを身に染みて感じていた。


 それから愛理が起きるのを待ち、朝食を作ってもらった。

 依田先輩たちの分も作ってはいたが、食べるのも別々で、それから先輩と顔を合わせることはなかった。

 時折話し声や足音が聞こえたため、先輩が家に残っていることは確かだった。


 家を出ようとしたとき、西原先輩と依田先輩が階段をおりてくる。

 西原先輩の手には荷物が握られている。

 わたしは何となしに彼から目をそらす。


「俺もそろそろ帰るよ。いろいろ悪かったな」

「別にいいよ。呼びだしたのは俺だし」


 西原先輩は愛理にお礼を言うと、そのまま靴を履く。

 履き終わり、立ち上がり、咲を見る。

 不思議そうに会釈した咲を見て、わたしを見る。


「先に前原さんを送ってから帰っていい?」

「いいですよ」


 一緒に帰るんだろうか。

 彼の言葉にドキドキしながらも、そう差しさわりのない返事をする。

 だが、咲は戸惑ったようにわたしと先輩を見る。


「わたしは一人で大丈夫です。ここから十分くらいですから」

「だったら、俺が送るよ。夕食の買い物もあるからね」


 わたしたちの会話に入ってきたのは依田先輩だった。

 彼はすっと歩いてくると靴を履き、ドアを開け家の外に出てしまった。

 咲は戸惑いながらわたしたちを見つめていた。


「またね」


 愛理の言葉に背中を押されたのか、彼女は頭を下げると依田先輩の後を追う。


「真由と先輩もまた遊びに来てください」


 わたしと先輩は愛理と言葉を交わし、家の外に出る。

 そして、家の前にいた依田先輩と咲はわたしたちに声をかけると、二人は並んで歩き出す。


 先輩は思い悩んだ表情で二人の後姿を見つめていた。

 先輩と咲はお互いのことが好きなんだろうか。

 先輩が咲を好きだとしてもその気持ちは分かるが、自覚した気持ちは心を締め付けていた。


 二人が曲がり角に曲がってから、先輩がわたしを見た。


「帰ろうか」


 本当は咲と帰りたかったのだろうか。

 複雑な気持ちになりながらも、歩き出す。

 先輩はわたしの二歩ほど先を歩いていた。


 不意に先輩の足が止まる。

 わたしは先輩を追い越したのに気付いてから、振り返り彼を見た。


 先輩の顔はわずかに赤く染まっていた。

 彼は雑に髪をかく。


「昨日の夜はごめん。いろいろ無神経なことを言ったかもしれないと気になった。別に昨日のことも、無理に笑えって言っているわけじゃなくて、ただ何かあったら言ってほしいと思ったから。力になれるかは分からないけど」


 それが今朝の先輩の態度の理由なのだろうか。

 わたしは目を細める。


「気にしないでください。それに昨日、ああいってもらえて嬉しかったんです。少し元気になりました」


 彼の確認の言葉に、頷いて返す。

 先輩は目を細めると、黒の鞄から白の半透明の袋を取り出し、わたしに渡した。


「お土産。裕樹とお前に。気に入らなかったら捨ててもいいから」


 わたしは脈打つ腕を伸ばし、その袋を受け取る。その中には携帯のストラップと絵葉書が一つ。そして、長方形の箱状のものが入っていた。


「絵葉書は裕樹に頼まれた」


 わたしは透明な水色の石のついたストラップを手に取る。


「ありがとうございます」


 先輩はお礼の言葉を笑顔で受け止める。

 裕樹だけに買うのが忍びなく、数合わせで買ってくれたんだろうとわかっていてもすごくうれしかった。


「お菓子は一人で食べるなよ」

「分かっていますよ」


 頬を膨らませ、先輩の言葉に答える。

 だが、そのときわたしは声を漏らしその場に立ちすくんでいた。


「どうかした?」


 先輩の問いかけに首を横に振る。

 先輩はいつもまっすぐで彼なりに優しさを伝えようとしてくれていた。

 だが、わたしはどうだったのだろう。花火大会の日、彼が宮脇先輩と一緒にいるのを見て逃げ出し、嘘を吐いた。そして、心配までかけていたのだ。


 ウソがまかり通ったのだから墓穴を掘る必要もないと他の人に相談したら笑われるかもしれない。

 だが、先輩を傷つけたり、失望させる可能性を考えながらもわたしは唇を噛む。

 先輩の好意を嘘を吐くことで裏切りたくなかったのだ。

 不安な気持ちをできるだけ言葉に乗せないように彼を見据えた。


「花火大会のとき、体調悪いって嘘なんです」

「え?」


 先輩が眉をひそめる。次の言葉を模索しながら、彼に言ったことを後悔していた。

 だが、そんな弱い心を押さえつける。


 理由は宮脇先輩と先輩が一緒にいて、彼女があまりに綺麗だったからだ。だが、その根本は自分に自信がなかったからだ。


「浴衣を着て途中まで行ったけど、わたしなんかより浴衣がすごく似合っている人がいて、なんだか自信がなくなっちゃって。それで、嘘を吐きました」


 アスファルトに影が届く。

 伸びてきた先輩の手がわたしの頭に触れた。


「浴衣って白い布地の浴衣?」

「見たの?」


 わたしは思わず先輩の顔を見る。先輩は手を避けていた。


「母さんがね。かわいい浴衣を着て出かけていたって言っていたんだ。一応一緒に行くと言っていたから」


 見られていたんだ。実感すると恥ずかしくなってきてしまった。

 先輩は少し考えたような顔をすると、息を吐く。


「本当は、他の人と一緒に見たんじゃないかって思っていた」

「わたしがですか?」

「家に帰ってから、どうしてそんなに早く帰ってきたのかって母さんに聞かれて、事情を説明したら、きっと他に一緒に見たい相手がいて、その人と一緒に見ているんだろうと言われたんだ。確かにそんな気がして、そうなのかとずっと思っていた」


 和葉さんは、なんてことを先輩に言うんだろう。

 そんなことあるわけないのに。


「そんなことないです。すごく楽しみにしていたから」

「俺は見ていないけど、似合わないってことはないと思うよ。母さんが似合っていてかわいかったって言っていたから」


 自分の母親の言葉を代弁しただけの言葉が胸にしみる。


「花火は見なかったんですか?」

「十五分くらいで帰ってきた。あとは家に帰ってから、窓越しに見たよ」


 わたしと同じだ。

 事情は違っても、二人して同じことをしていたことが不思議だった。


 家の前まで来ると、先輩がわたしにじゃ、と声をかける。

 先輩は鍵を鞄から取り出し、ドアノブに差し込んでいた。

 わたしは息を吸い込む。


「勝手かもしれないけど、来年一緒に行きませんか? 裕樹も残念がっていたし」


 それは今のわたしにとって精一杯の言葉だった。

 先輩が返事をしてくれるまでの時間がものすごく長く感じていたのだ。

 先輩が笑みをこぼす。


「来年、この時期は戻ってくるようにするから、一緒に行こうか」

「戻ってくる?」

「言ってなかった? 俺、県外の大学受けるんだ。父親の実家の近くの大学。そこの天文関係の学科。滑り止めは近くの大学だけど、落ちることを前提に話をするのは縁起が悪いしな」


 先輩は大学の名前も教えてくれた。難関大学と呼ばれる、わたしも名前を知っているところだった。

 先輩が卒業しても隣の家に住んで、いつもその姿を見続けることができると思っていた。だが、今の関係は一年後にはもうなくなってしまっているのだと気付く。


 大学、か。先輩に近づいたと思っても、その距離はやっぱり遠かったんだ。

 卒業のときに連絡をすると言いながらもメールも電話も届かなくなった中学時代の友達のように、先輩との関係も来年の夏には思い出にかわるんだろうか。


 そのことに目じりが熱を帯びる。

 ドアノブに手を伸ばした先輩の動きが止まる。

 彼はわたしと目が合うと、ニッと微笑んでいた。


「明日、俺につきあってよ。八時半に。いい?」


 突然の誘いに混乱しながら約束を交わし、家の中に入る。

 親に挨拶をし、部屋に戻ると先輩からもらったビニール袋が目に入る。

 そこから先輩の帰ってきたストラップを取り出し、ギュッと握りしめていた。


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