聞いてしまった約束
じめじめとした梅雨が去ると、強い日差しが訪れる。いつもより早く学校が終わり、体に浴びる日差しもより強い。
まだ朝方の頼りない光にほっと胸をなでおろしたとき、隣からドアの開く音が聞こえる。
家から出てきた先輩が声を漏らした。
わたし達は約束を言葉を交わすことなく、自然と一緒に学校に行くことになる。
「お前は卓球だっけ?」
先輩が何を言おうとしているかすぐに分かる。明日開催される球技大会の話だ。
わたしは西原先輩の言葉にうなずいていた。
「宮脇と一緒か。あいつに当たらないといいな」
先輩とお昼を食べてからわたし達は以前のように頻繁に言葉を交わすようになった。あれから先輩との会話に宮脇先輩の名前がたまに出てくることがあった。
複雑な気持ちを胸の中に隠し、笑顔で先輩に声をかける。
「宮脇先輩は上手いんですか?」
「かなりね。あいつ運動全般得意だから。時間が空いたら応援に行ってやるよ」
宮脇先輩のことを考えていたわたしの思考が一気に現実に引き戻される。
「止めてください。来なくていいです」
「運動苦手そうだもんな」
わたしは頬を膨らませる。
先輩の手がわたしの頬に伸び、わたしの頬をつつく。
「先輩」
わたしは身を仰け反らせ、彼をにらむ。
「いや、何か押したくなって」
この人は絶対にわたしのことを女として見ていないんだろうな。
「先輩って何でも思ったまま行動するんですね」
最大限の嫌味を込めてそう言う。
「これでもいろいろ考えて行動しているつもりだけど」
「考えてないと思いますよ」
「そっかな。そう言うなら何も考えずに応援に行こうかな」
「やめてください」
わたしを見て、先輩は笑っていた。からかわれたのか、本気なのか分からない。
それからわたし達は他愛ない言葉を交わし、学校に行く。
階段をあがると、別れを告げ教室に向かう。教室に向かいかけたわたしの手を先輩がつかんだ。
「今日、一緒に帰ろう。母さんがお前に渡したいものがあるって言っていたから」
お母さんから頼まれたことであっても、先輩からそう誘われたのは久しぶりで嬉しいことは嬉しい。
先輩と約束すると、教室に入っていく。
ホームルームが終わると、教室から一気に人が減る。
愛理は鞄を手にわたし達のところに来ると、深々と息を吐く。
「わたしも卓球がよかったな」
「決まったんだから仕方ないよ」
咲とわたしは目を合わせ、肩をすくめていた。
球技大会は建前上はバレーと卓球のうち好きなものを選ぶことになっていたが、愛理がぼやいているように運動神経が抜群の彼女には選択権がなく、半ば強制的にバレーに決まっていた。
わたしと咲は希望した卓球にあっさりと決まっていた。
「咲だって得意なのに、わたしだけさ」
唇を尖らせ、いじけたような表情を浮かべていた。
「頑張ってね」
咲は笑顔を浮かべているが、彼女も愛理ほどではないにせよ、運動が得意だった。それでも愛理にだけ矛先が向かったのは彼女が頼みやすいタイプだったからだろう。
「帰ろうか」
愛理の誘いに咲が立ち上がる。わたしが先輩との約束を伝えようとしたとき、メールが届いた。
送信者の名前を見て、顔がにやけそうになりながらメールを開いていた。
メールには用事があるから先に帰っていてもいいということと、後で家に迎えに行ってもいいし、直接家に行ってもかまわないとも記されている。
わたしは迷い、先輩に「待っていていいか」とメールを送る。
先輩からの返事はもし帰るならメールを送ってくれればいいとのことだった。わたしの答えはすぐに決まる。
「どうしたの? ニヤニヤして」
愛理はからかうような顔をして覗き込む。
わたしが動揺していると、彼女は自信に満ちた笑みを浮かべていた。
「先輩からメールが来たって顔を見れば分かるから」
そんなに喜んでいたのか自分では自分の顔が見られないから分からない。
「わたし、今日先輩と一緒に帰るの。だから、先に帰っていていいよ」
「一緒にまとうか? 帰りは別でもいいよ」
心配そうに言ってくれる咲にわたしは大丈夫と告げた。
咲と愛理は顔を見合わせると、「明日」とつげ、教室を出て行く。一気に教室内が静かになり、
いつの間にか教室にはわたし達しか残っていなかった。上半身を机の上に寝そべらせ、白いチョークの粉が残った黒板を見るが、わたしの時間の空白を埋めてくれることはない。
家でぼんやりと過ごすのは得意なのに、学校という場所がわたしから落ち着きを奪ってしまう。
「図書館でも行こうかな」
先輩の用事は分からないが、わたしがいなければ携帯にメールを送ってくれるはずだ。
鞄を手に、教室の戸締りはせずに、図書館に行くことにした。隣の校舎に移ったとき、見慣れた人がこちらに歩いてきているのに気づいた。
わたしは辺りを見渡して、近くの階段の上の影に隠れる。先輩達が教室に向かうのであれば、まっすぐ行くはずだとの計算があってのことだった。足音が近づいてきて、わたしは心臓が高鳴りながらも、二人の足音が遠ざかっていくのをただ待っていた。
足音が同じ空間に響いたのと同時に、宮脇先輩の声が届く。
「今日はありがとう」
「いいよ。あいつには悪いことをしたけど」
「安岡真由ちゃんのこと?」
名前を出されてドキッとする。
「一緒に帰る約束をしていたからね」
「稜は彼女と仲いいよね」
「そうかな」
「見ているとそう思った。あまり人に構わない稜が珍しいよね」
「放っておけないんだ。なんかこう危なっかしくてさ」
「稜」
その先輩の言葉に重なるように、宮脇先輩の声が人のほとんどいなくなった校舎に響いていた。
その気持ちのこもった声に戸惑い、階段の上から下を覗き込む。
宮脇先輩が足を止め、少し遅れて先輩も足を止める。
「球技大会で優勝したらデートしてくれない?」
「デート?」
先輩の困ったような声が聞こえてきた。
自分が先輩をデートに誘い、話を誰かに聞かれていて、そう思われていたらすごく嫌だとは分かりながらも、その言葉にほっとしてしまっていた。そんな自分に嫌悪感を覚える。
宮脇先輩はそんな先輩の言葉に嫌な表情一つ浮かべなかった。
「神経質だね。今年の夏公開の映画で見たいものがあるの。だから、一緒に行ってくれない?」
「それくらいならいいよ。優勝したらね」
「昨年は優勝した先輩に準決勝で負けたけど、今年はもっと頑張るから」
「最後だからな」
「稜も頑張ってね。最後にいい思い出を作れたらいいね」
そう言った宮脇先輩の言葉が二人が同じ時間を過ごしてきたということを暗に伝えていた。
幼馴染やクラスメイトとしてだけではない。恋人同士というもっと近い関係で、時間を過ごしてきたのだ。そのことに改めて気付かされる。
今は別れてしまったけれど、宮脇先輩は先輩のことをまだ好きなのかもしれない。あのピアスが誰からもらったものなのかは分からないが、目の前の現実を受け入れざる終えなかった。
足音が遠ざかっていくのを感じながら、それがわたし達の距離を示しているような気がして、その場所から動けないでいた。
わたしは気を取り直し、教室に戻ることにした。図書館に行く気がしなかったのだ。
教室の扉を開けると、先輩が咲の席に座っていた。あれからわたしを待っていてくれたのだろう。
わたしは自分の席まで行くと、笑顔を浮かべている先輩を見て、鞄を握る手に力を込めた。
「メールしてくれればよかったのに」
「俺の都合で迷惑をかけたから、急かすのも悪いと思ってね。悪かったな」
わたし達は教室を後にすることにした。教室の外に出たとき、隣の教室を確認するが、電気はついていなかった。
階段をおりかけた先輩が足をとめ、鞄から何かを取り出した。
「これやるよ」
先輩が差し出したのはグレープフルーツの飴玉で、袋にグレープフルーツのイラストが書かれている個別包装されているものだった。
お礼をいい、それを受け取ると、鍵を職員室に返し、学校を出る。
先輩は本当にいつもどおりで、話を盗み聞きしなかったら、そんな約束をしていたなんて絶対に気づかない。
昔の彼女にあんな形でデートに誘われたら、嬉しいんだろうか。いつもと変わらない表情を浮かべている先輩が何を考えているのか知りたかった。
和葉さんからはお土産のクッキーをもらった。日帰りで友達とどこかに出かけていたらしい。
わたしは部屋に戻ると、先輩からもらった飴玉を手に取り、深々とため息を吐いた。




