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隣の先輩  作者: 沢村茜
第五章 雨の出来事
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答えのない問いかけ

 暗い昇降口でわたしの体に薄暗い影がかかる。咲が声を上げるのに気付き、何気なく振り返ると依田先輩がわたしの隣に立っていたのだ。彼の手には黒の傘が握られている。


「どうかした?」


 愛理はわたしを見て、先輩を指差す。


「西原先輩が傘を忘れて困っているみたいという話」

「誘えばいいのに」


 先輩と隣に立っている女性を交互に見た依田先輩にあっさりと言われ、返す言葉もなく足元を見る。

 依田先輩が優しく笑うのに気づき、彼を見た。彼は軽く払うようにわたしの頭を撫でる。


「分かったよ。俺に任せときなって」


 彼はその足で西原先輩のところまで行く。その場から動けずにその成り行きを見守っていた。


「よかったら一緒に帰らない?」


 そう言った彼女の言葉に被せるように、依田先輩の言葉が響いていた。


「悪かったな。待たせて」

「いいよ。教室にあった?」


 西原先輩の言葉に、依田先輩は頷く。


「今日、稜の家に行っていい?」


 わたしはその言葉に驚き、愛理を見る。彼女は大げさに肩をすくめていた。

 わたしの心配をよそに話は進んでいく。


「いいよ。ついでに傘に入れてくれない? 忘れちゃってさ」

「分かった。じゃあね」


 依田先輩はそう言うと、彼女に挨拶をした。

 彼女はまさか急に話を奪われると思っていなかったのか、唖然とした表情で依田先輩と西原先輩の後姿を見守っていた。


 二人の姿は雨の中にあっという間に消えていく。

 愛理がわたしと咲を順に見る。そのとき一瞬愛理が眉をひそめていた。

 愛理に促され咲を見ると、彼女からは笑顔が消え、何かを思いつめたような目で昇降口の外を見つめていた。


「咲?」


 思わず口にしたわたしの言葉に咲は体を震わせる。

 愛理が咲の肩を軽く叩く。


「わたしたちも帰ろうか」


 少し遅れて反応する咲と歩き出した愛理を思わず呼び止める。


「依田先輩はいいの?」

「子供じゃないんだし、勝手に理由つけて帰ってくるよ。中止になればそれでいいもん」


 愛理は肩をすくめていた。


 さっきの女の人のところに別の女の人が寄っていき、言葉を交わしていた。二人はそのまま昇降口の外に出て行く。


 わたし達も帰ることにした。さっきまで昇降口に溢れていた人もあっという間に減っていた。

 途中まで一緒に行くと、いつもの場所で別れることになった。


 一人になると先輩達のことを思い出していた。少し前に歩いたはずの先輩達の後姿は見つけられなかった。


 雨粒で濡れた手で傘の柄を強く握り返す。

 自分で声をかけられないのにあの女性に申し訳ないことをしてしまったという罪悪感と、依田先輩に対する申し訳ない気持ちからだった。

 雨の強さが増し、家に帰る足取りを早めたとき、雨音に混じり聞きなじみあのる声が聞こえてきた。

 振り返ると、濃紺の傘を手にした森谷君がいた。


「途中まで一緒に帰らない?」

「いいよ」


 彼と一緒に帰るようになったのはゴールデンウィークからだが、彼とは道が一緒だから、一緒に帰ることもたまにあった。

 わたしたちは再び歩き出した。


 時折、雨が風に吹かれて、頬や髪の毛を濡らしていく。

 二分ほど歩いたとき、森谷君がぽつりと口を開く。


「もうすぐ期末か」

「この前、高校に入学したばかりと思ったのにね。高校ってあっという間だよね」


 もうすぐ期末テストが視野に入ってくる時期だ。時間があっという間に流れていく。中学校に入ったときも、こんな感じで思ったことがあった気がする。


 高校に入学して、毎日を過ごしてきた。今は先輩がいて、友達がいて、あの家に当たり前のように住んでいる。その前は先輩のことも全然知らなかった。咲や愛理たちとも出会ってもなかった。


 時間の流れは不思議だ。ほんの短い時間で本当にいろいろ変わってしまう。


 二学期になって、三学期になって、二年生になったら、今より何かが大きく変わっていくことってあるんだろうか。それとも変わらない日々をすごしていくんだろうか。その答えは分からない。


「今日はありがとう」

「いいよ。気にしなくて」


 笑ってくれた森谷君の笑顔にほっとしながら、他愛ない話を繰り返し家までの道を歩いて帰る。家の前で森谷君と別れた。


 マンションの中に入ろうとしたとき、エレベーターのランプが降りてくるのに気付いた。エレベーターまでの半分の道のりを歩いたとき、ちょうど扉が開き、そこから依田先輩が出てきたのだ。

 わたしが思わず足を止めると、彼はわたしのところまで歩いてきた。

 彼に頭を下げる。


「今日、用事があるんですよね。ごめんなさい」

「別に真由ちゃんが謝ることじゃないよ。ちょうど借りたい本もあったし」


 依田先輩は鞄を持ち上げて見せた。そこに本が入っているということなのだろう。

 彼の腕には無数の水滴がかかっていたのに気付き、鞄からタオルを取り出し、先輩に差し出した。


「使っていないから、よかったら使ってください」


 依田先輩は驚いたようにわたしを見ていた。


「いいよ。そんな」

「でも、せめて」


 それくらいはさせてもらわないと悪い気がする。

 最後まで言えずに口ごもったわたしの気持ちに気付いたのか、笑顔でそのタオルを受け取っていた。

 申し訳ない気持ちで彼を見ていると、彼はわたしの頭を軽く撫でた。


「気にしなくていいと言っても気にしているって顔をしているね」


 いろんな気持ちが渦巻き、うなずくことしかできなかった。


「じゃあ、こうしようか。昼飯をおごって。それでチャラってことで」

「何をおごればいいんですか?」

「学食でA定食にしようかな」


 A定食といわれてもどんなものかピンと来なかった。


「学食とか食べたことないんですけど、どんな感じなんですか?」

「安いくらいかな。特徴って。味は普通」

「先輩も普段はお弁当なんですか?」

「そうだね。大抵は」


 愛理のお弁当を思い出し、学食よりお弁当のほうがいいのだろうかとも思ったが、そんなことをわたしが言うのもどうかとも思い黙っておくことにした。先輩の優しさに気付いたからだ。


「約束ですね」


 わたしの言葉に先輩は笑顔で答える。

 歩き出そうとした先輩を呼び止める。


「風邪引かないようにしてくださいね」

「大丈夫」


 わたしの言葉に、依田先輩は手をあげて返事をすると帰って行った。

 先輩が出て行くのを見送り、一階で止まっていたエレベーターに乗り込む。

 五階に行き、家の前まで来ると、横を見た。

 あのとき西原先輩に声をかけて迷惑でなかったのか、その答えは今のわたしには分からなかった。



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