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隣の先輩  作者: 沢村茜
第四章 変わっていく関係
24/72

動揺する心

 図書館のガラス戸を手前に引く。中にはちらほらと生徒の姿があったが、昼休みに比べると断然少ない。

 放課後、読みたい本があったので借りに来ていたのだ。愛理たちは付き合うと言ってくれたが、申し訳なく先に帰っていてもらった。


 中に入ったとき、机に一人の女性が座り、書き物をしているのに気づいた。宮脇先輩だった。

 この前偶然話をしただけの彼女に話しかけるのも気が咎め、自分の借りたい本を借りようと、小説の並ぶ本棚に向かったときだった。


 静かな図書館の中に低い音と甲高い音が混在する。振り返ると、さっきまで机の上に置いてあった黒のペンケースが床に転がり、消しゴムやペンが散らばっていく。そのうちの一つがわたしの足元まで転がってきたのでそれを拾うと、腰を落とし中身を拾っている宮脇先輩のところまで行く。


 彼女は自分の体に影がかかったか顔をあげると、目を細めていた。


「ありがとう」


 わたしはペンを渡すと、一緒に中身を拾うことにした。そのとき透明なビニール製のケースの中に青く透明に光る宝石のついたピアスが入っているのに気づいた。


 他のペンを拾いながら、横目で宮脇先輩を見た。彼女の耳にはピアスの穴はない。他のペンを数本拾うと、宮脇先輩に渡す。


「ごめんね」


 彼女は小声で囁く。

 彼女の手に渡った雑貨を見ながら、思わず問いかけていた。


「先輩、ピアスって」

「人からもらったの」


 そう言うと、宮脇先輩は幸せそうだけど、寂しそうな笑顔を浮かべていた。ピアス穴の空いていない彼女に誰がそんなものを送ったんだろう。

 わたしのそんな気持ちに気づいたのだろう。宮脇先輩は囁くように言った。


「昔、好きだった人にね」

「彼氏ですか?」


 彼女は少し考えると、首を横に振る。


「本当にありがとう」


 そう笑った彼女を改めてすごく綺麗な人だと思った。


「気にしないでください」


 誰が宮脇先輩にそれをプレゼントしたのだろう。だが、聞くことはできずに笑顔を浮かべ、立ち上がろうとしたときだった。

 わたしと宮脇先輩の間に灰色の影が差し込み、西原先輩が立っていたのだ。呆気にとられたようにわたしと宮脇先輩を見つめている。


「稜、珍しいね」


 その言葉にドキッとする。二人が親しいのは知っていたが、まさか名前で呼んでいるとは思いもしなかったのだ。


「ちょっとね。宮脇は?」


 先輩は彼女を苗字で呼んでいたことにほっとしていた。


「調べ物」

「あと人を待っているんだよな」


 悪戯っぽく笑う先輩に宮脇先輩は顔を赤く染めて動揺する。


「今日は早く終わるらしいから。過保護なんだよ」


 先輩は苦笑いを浮かべ、宮脇先輩が座っていた場所をちらっと見た後に、わたしを見る。


「安岡も調べ物?」

「そうです」


 わたしは唇を噛み、口を結ぶ。先輩は先に宮脇先輩のことを気にしたことが引っかかっていたのだ。わたしのことは宮脇先輩の次だと態度で示された気がしたからだ。

 そんなことを気にしているのがおかしいことだって分かっているのに、胸が痛む。


「帰りますね」


 二人から逃げるようにして去ろうとしたわたしを宮脇先輩が呼び止める。


「用事があったんじゃないの?」


 宮脇先輩が好意からかそう言ってくれた。


「本を借りに来たけど、いいんです」


 だが、それはわたしに居場所を与えてはくれずに、適当にごまかして、その場を去ろうとした。


「どの本? 探すの手伝うよ。さっきのお礼」


 彼女は持っていたペンケースを机の上に置く。

 わたしが本を見つけられなかったとでも思ったのかもしれない。

 本当はこの場から逃げ出して帰りたかったが、好意で言ってくれた彼女を無視することはできずに宮脇先輩に本のタイトルを伝える。


「少し待っていてね」


 彼女はさっきわたしが向かおうとした本棚に向かっていた。

 わたしと西原先輩が宮脇先輩の座っていた場所に残される。だが、今彼を見ることができずに、宮脇先輩の後を追った。


 先輩に嫌な子と思われたかもしれない。彼女でもないのに、そんなことで嫌な思いをしているのはわたしが自分勝手だからとは分かっていたが、先輩を見て笑顔で笑える自信がなかった。


 わたしが宮脇先輩のところに着く頃には、彼女の手にはわたしの借りる予定の本が握られていた。宮脇先輩はそれをわたしに渡す。


「あってよかったね」


 屈託のない彼女の笑顔は自分の今の気持ちとは対照的な気がし、いかに自分が醜いのか気づかされたような気がした。


「ありがとうございました」


 頭を深々と下げる。

 これ以上ここにいるのが惨めな気がして、その場を足早に立ち去ろうとした。先輩の脇をすり抜けようとしたとき、突然手首をつかまれた。

 つかんだのはわたしより大きな手をした西原先輩だった。その手の感触を感じながら、彼をを見つめていた。


「俺の用事が終わるまで待ってろよ」

「どうしてわたしが待っていなきゃいけないんですか?」


 惨めな気持ちを先輩にぶつけ、今年度に入って一番可愛くない言葉を、このシーンで口にしていた。

 だが、先輩はわたしのそんな言葉に嫌な顔一つしなかった。


「命令」

「命令って、どうしてそんなこと」


 そのとき、先輩の手が伸びてきて顔の下半分を大きな手がすっぽりと覆い隠してしまっていた。

 予想外のことに戸惑い、息をすることもできずに先輩を見る。


「あまり騒ぐと追い出されるよ」


 苦笑いを浮かべた先輩が、わたしの顔から手を離した。

 先輩の手から開放されたが、先輩の手にわたしの息が当たったらもうしわけない気がして、息をとめていたからか頭がくらくらしていた。


「外で待っています」


 わたしは二人を見ずに、図書室の入り口で本を借りる手続きをすると、外に出た。

 図書館の脇にある階段を下り、普段人があまり通らないホールまで降りていく。そこには椅子や机が無造作に並んでいた。こうした物の荷物置き場になっており、人気はほとんどない。


 本を胸に抱くと息を吐く。だが、わたしの呼吸はまだ乱れたままだった。

 うるさかったわたしを黙らせようとしただけなのは分かっていたが、先輩の手の感触が顔と手首に残っていた。それを思い出すと、胸の高鳴りが加速する。


「先輩のバカ」


 先輩が悪いわけではない。だが、この苦しい気持ちをどうにかして解消するために、そう口にしていた。


「何でわたしが待っていないといけないのよ。暇じゃないのに」


 だが、不満はあっても帰ることはできなかった。

 その理由は先輩に言われたから、だ。

 それからは考えることを放棄し、ボーっと時間を過ごしていた。

 そのとき、わたしの鞄から何かが震える音がした。何気なく鞄から携帯を取り出すが、発信者を確認し、思わず背筋が伸びていた。

 届いていたのは先輩からのメールで、「今、どこ?」と記されている。


 わたしは緊張で胸を高鳴らせながら、図書館の一階にいると返事を送る。

 すぐにすぐに行くから待っていろという返事が届いた。


 すぐに先輩は来ると思っていた。図書館を出て、すぐにメールを送ったんだと思ったからだ。だが、先輩が来るどころか、それらしい足音も聞こえてこない。


 図書館からわたしが今いる場所まで実質一方通行なこともあり、階段をあがることにする。

 わたしが少し階段を上がったとき、足音が静かな空間の中に響いていた。

 半分ほどあがったとき、肩を上下させた先輩と出くわす。


「こんなところにいたのか」

「どこから来たんですか?」

「新館の二階辺り。見当たらないからちょっとおかしいなと思ってさ。メール送って正解だった」


 新館とは図書館のある建物とつながっている校舎だ。主に二年生のクラスがある。図書館を出ると新館の三階につながっている。そこから階段を一階まで降りて、わたしたちが普段授業を受けている校舎にたどり着く。渡り廊下になっているので、上履きのまま移動できる。


「ごめんなさい」


 気まぐれで階段を下りていったせいで、迷惑をかけてしまったと分かったから素直に謝っていた。


「別にいいよ。俺も場所を決めていなかったのが悪かったし。帰ろうか」


 わたしはうなずくと、先輩と一緒に歩き出す。

 先輩の表情はいつもと変わらない気がした。先輩がわたしに一緒に帰ろうと言った理由はたいしたことがないとおもいながらに気になっていた。


 わたしたちが校舎の外に出る頃には、青かった空は朱へと変化する。

 だが、先輩から話しかけられても、宮脇先輩と先輩のことが気になり、わたしは無難な返事に徹していた。いつしか会話が消え、わたし達は無言で家まで帰ることになった。


 何度かちらっと見た先輩の表情は、夕焼けのせいかどこか寂しそうに見えた。

 家の中に入ると、母親が話しかけてきた。


「今日は遅かったわね」

「図書館にいたから」

「そう。でも、最近、このあたりで出没していた不審者が捕まったらしいわよ。泥棒を何件かしていたみたい」


 わたしは適当に返事をすると、部屋に戻る。先輩につかまれた右の手首を、今度は自分でつかんでいた。


「わたしはそれどころじゃないんだけどな」


 隣の部屋にいるであろう先輩のことを考え、ベッドに腰を下ろしていた。


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