少しずつ
「前原さんも一緒だったんだ」
彼は咲を見て、笑顔を浮かべる。
咲の顔が少しだけ赤くなっている気がした。
何かあったのだろうか。
「わたしはここで帰るね」
「一緒に帰ろうよ」
咲は笑顔を浮かべ、戸惑うわたしの耳元で囁く。
「先輩と一緒に帰っていいよ。わたしはこっちの道のほうが近いし」
「近いの?」
笑顔で頷く咲との会話の内容を大まかに察したのか先輩が咲に問いかける。
「家ってどこ?」
彼女は住所を先輩に教えていた。
わたしにはさっぱりな場所だったが、先輩は大まかな場所を理解できたのか、咲の言葉に頷いている。
「確かにここで別れたほうが近道か。でも、一人で大丈夫?」
「大丈夫ですよ」
咲のことを気にする先輩に咲は笑顔で返していた。
「また明日ね」
彼女の言葉に答えると、彼女は軽い足取りで目の前の変わったばかりの信号を渡っていく。
先輩はそんな咲の姿を心配そうに見送っていた。
「どうかしましたか?」
先輩はわたしの言葉に一瞬体を震わせた。そしてはにかんだ笑顔を浮かべると、首を横に振る。
「あの子って目立つよな」
今日、咲が人から見られていたことを話すと、先輩は苦笑いを浮かべていた。
「鈍感なのは悪いことではないと思うけど、自覚しないと危ないよな。なのに変なところに敏感で」
その何かを思い描いた先輩の表情に、胸の奥がわずかに軋んだ。先輩が咲のことをわたしより知っている風だったからか、先輩が咲を気にかけていたからかは分からない。
「何かありましたか?」
「なんでもないよ。今日は二人? 賢の妹は一緒じゃないんだ」
軽い言葉に心を入れ替え、手にしていた荷物をわずかに掲げる。荷物はわたしが預かっておいて、誕生日に持っていくことになったのだ。
「愛理の誕生日プレゼントを買いに来たんですよ」
「そっか。七月だっけ。誕生日、か」
そのとき、先輩が少し懐かしそうに笑っていた気がした。
「帰ろうか」
先輩の笑顔の理由が気になりながらも問いかけることができずに、歩き出した先輩の後を追うようにしてついていく。
先輩の後姿を見て、彼の手に本屋のお店の名前が記された袋が握られているのに気づいた。買い物をした帰りだったのかもしれない。
三歩前を歩いていた先輩の足が止まり、肩越しに振り返る。わたしの荷物を先輩がさっと取り上げてしまった。
「持つよ。どうせ同じところに帰るんだし」
さっき彼が笑顔を見せたときに感じた距離感を埋められたような気がし、軽い足取りで先輩の後を追うことにした。
先輩は家の前まで来ると、わたしに持っていた愛理へのプレゼントを渡してくれた。
わたしはお礼を言うと家の中に入ることにした。
夜、お風呂あがり、部屋に戻ると、部屋の隅に置いている愛理へのプレゼントを見た。最後にびっくりすることがあったけど、咲と楽しく過ごせたし、いい休日だった。
「おはよう」
翌日、わたしが学校への道を急ごうとしたとき、背後から声をかけられる。
「早いですね」
先輩は眠そうに髪の毛をかきあげながら、目をこする。
「早く目が覚めてね。中途半端に時間が余ったし。こんな早くに学校に行くんだ」
「いつもそうですよ。遅刻ぎりぎりだと心臓に悪いですから」
「入学式に学校に行けなかったことを考えないと、えらく真面目な発言だな」
笑う先輩に返す言葉もなく、歩き出した。
わたしは頬を膨らませ、彼の後を追う。
「先輩は依田先輩とどこかに遊びに行ったりしないんですか?」
彼は肩をすくめ、天を仰ぐ。
「あまりしないな。互いの家を行き来するくらい。といっても大抵が賢の家だけど」
「依田先輩の家ってどんな感じですか?」
「広い家」
あっさりと返した先輩の言葉に、具体的な何かをイメージすることができなかった。
場所は聞いてもわからないため、家のつくりをもっと聞いていいのか迷っていると、背後に人の気配を感じ、声をかけられた。振り返ると予期せぬ組み合わせに思わず目を見張る。
そこに立っていたのは咲と依田先輩だったのだ。
「愛理と一緒じゃないの?」
「愛理は寝坊して、俺が先に来たってわけ」
寝坊は分かるけれど、たまたま一緒に着たんだろうか。
「俺は稜と行くよ。じゃあね」
依田先輩は西原先輩に声をかける。二人は軽く言葉を交わし、わたしたちより先に歩き出す。
「邪魔しちゃってごめんね」
咲は小さく頭を下げた。
「そんなことないよ。行こうか」
先輩と一緒に行くのも幸せな気分になるが、友達とこうして一緒にいるのも悪くない。
「また買い物に行こうよ。七月になったら夏物も安くなるよね」
歩き出したわたしは咲にそう声をかける。
その言葉に咲はぽかんとわたしを見つめていた。
何かまずいことを言ったんだろうか。
「別に無理にというわけじゃなくて、咲がよかったらの話だから」
「行く」
そう拳を握り締め強い口調で答えていた。
「変に思うかもしれないけど、わたしはあまり友達と出かけたことがなかったんだ。だからびっくりしたの」
彼女は白い肌を赤く染め、屈託なく笑う。
わたしは表情を和ませる。
「また遊びに行こうよ。愛理も誘ってさ」
わたしの言葉に咲は何度も頷く。
「わたしがどうかした?」
その言葉に顔をあげると、息を乱した愛理が立っていたのだ。
「走ってきたの?」
「まあね」
彼女の陶器のような肌に汗がにじんでいる。
「今度三人で一緒にどこかに遊びに行こうって話」
「いいね。夏休みもあるし。補習もあるけど」
愛理はさらっと気が重くなるような言葉を付け加えた。
「昨日、咲のわたし服姿もすごく可愛かったんだよ」
「昨日? 誘ってくれればよかったのに。わたしも見たかったな」
「ダメだよ。愛理のプレゼントを買いに行ったんだもん」
そう口にして、思わず口を抑える。咲は苦笑いを浮かべていた。
愛理は面食らったような顔をしていたが、肩をすくめ目を細める。
「ありがとう。楽しみにしているね。でも、洋服なら家にたくさんあるからいるのがあったらあげるよ」
その言葉に咲は顔を引きつらせる。
「どうして?」
「お母さんがデザイン関係の仕事をしているの。その関係で仮縫いをしたものとかがあるんだよね。咲に着せたいものもたくさんあるの」
愛理は含みのある言い方をし、咲を見る。
咲は目を瞑り、首を横に振る。
「見てみたい。でも、咲は嫌なの?」
「この前、咲がわたしの家に寄ったときにね、レースのワンピースを見せたら怯えちゃって、こんな感じになっちゃったの」
彼女は咲の軽やかな髪の毛を撫でていた。
「だって恥ずかしい」
愛理からその洋服の特徴を聞くと、背中が大きく開いているパーティドレスのようなものらしい。裾は短く、足を出すようになっているのが咲にとってはダメだったようだ。
「現物見てはないけど、絶対似合うと思うよ」
わたしの言葉に愛理も頷く。
「そんなことないよ。似合わないよ」
そんなことないと言っても彼女は意外に頑固なのか聞く耳を持たないが、恥ずかしそうに言う彼女が微笑ましかった。
ここに来て二ヶ月しか経っていない。愛理や咲とはもっと長い間過ごしているような気がするが、まだ知らないことも多い。
少しずつこうして新しい側面を知っていくのも楽しいなと思っていたのだ。




