雨宿りとお化け屋敷
「ここで待っていて」
先輩はそう言うと、人ごみの中に消えていく。先輩は相変わらず疲れた様子を全く見せなかった。そんな先輩を見ていると、わたしが極端に体力がないだけなのかもしれないとも思えてきた。しばらくたって戻ってきた先輩の手にはバニラとチョコレートのソフトクリームが握られていた。それをわたしにつき出すようにしてみせる。
「どっちがいい?」
その問いかけに、戸惑いながらもバニラのソフトクリームを選んだ。
「お金」
「いいよ。別に」
先輩はわたしの隣に座ると、チョコレートソフトクリームをゆっくりと舐めていた。
甘いものを食べている先輩を横目に見ながら、わたしもなめることにした。舌に伝わる冷たい感触と共に甘いバニラの風味が口の中に広がっていく。
「お前って、こういうの好きそうに見えたから」
「好きですよ」
何で先輩はわたしのことが分かるんだろう。
女の子は甘いものを好きな人が多いから?誰か、先輩と一緒に遊んだ女の子がそうだったのかもしれない。そう考えると、胃の奥に錘が乗ったような鈍さを感じる。
先輩の事情はともかく、今日はわたしと一緒にいてくれるんだから、楽しいことだけを考えておこうと思ったのだ。
わたしが半分食べ終わる頃には先輩はすっかり食べ終わっていた。飲み物のときも思ったけど、先輩はものすごく食べるスピードが早い。だが、のろまなわたしにいらだった様子も見せずに、涼しい顔で辺りを見渡している。
「遊園地とかって来たのは小学生以来かな」
彼の唇から、突然そんな言葉が漏れる。
「友達とかと来たことはないんですか?」
彼女と言いそうになって、慌てて友達と言いなおした。思い出されてあったとでも言われたらショックで立ち直れないような気がしたのだ。
先輩はわたしのそんな気遣いに気付いた様子もなく、あっけらかんと答えていた。
「ないと思う。あんまりそんな話も出てこなかったし、男同士でこんなところ来ないだろう?」
「確かにあまり見ないですね」
小学生くらいならともかく、先輩と同じくらいの年の人が男二人で遊園地に来ることはあまりないような気がする。逆に女同士だとそういうこともあると思うし、今日も見たのだ。
「面倒だし。正直遊園地はきついなあと思っていたけど、意外と楽しかったよ」
そんな言葉に必要以上にどきどきしそうになって、あわててソフトクリームに視線を戻す。目の前のこれを食べることに集中した。最後の一口を口に入れると、先輩はなぜか笑っていた。その笑った理由がそのときはさっぱり分からなかった。
「わたしも楽しかったです」
そう言うとできるだけ笑顔を浮かべることにした。
そのとき、辺りを照っていた太陽の日差しがいつの間にか気にならなくなっているのに気付いた。空をいつの間にか灰色の雲が覆ってしまっていたのだ。先輩の誘いを受けた後に何度も確認したが、本日の天気予報は晴れ。当然傘は持ってきていない。
先輩もわたしの変化に気付いたのか、足を踏み出すようにして立ち上がると天を仰ぐ。
「一雨来るかな。今から乗り物に並んでも、並んでいる途中に振り出しそうだな」
彼の口から帰ろうという言葉が出てくるのではないかとどきどきしていた。雨に濡れてもいいから、彼とこの時間を過ごしたいとも思っていたからだ。
「お化け屋敷でも行くか。あそこだったら雨も気にならないだろうし」
先輩はお化け屋敷に行こうと言う理由が間違っていると思う。雨が気にならないからって行くようなところでもない。
だが、帰ろうかという言葉が出てこなかったことを思うと、やっぱりほっとしていた。できるなら、天気が崩れないことを願っていた。
わたしたちはそこから少し歩くと、お化け屋敷に入ることにした。他の乗り物になじむようにコンクリート製の建物がある。その出入り口と思われる部分は中に光を入れないためなのか分厚いゴムのカーテンがかけてあった。わたし達が到着したとき、待っている人がいたが、あっという間にその前の列がなくなっていた。
わたしたちの番が来て、従業員に迎えられるようにして、中に入った。
辺りを射していた光が失われ、暗闇に落ちる。雨の日にわずかに差し込むような頼りない光が随所でぼんやりと光っているだけで、物の判別ははっきりとできない。建物の中にはわざとらしさを感じるような地を這う音が響き、それは辺りの暗闇に助長され、恐怖心を湧き上がらせるものへと変わっていた。
そんな気持ちをいきり立て、前に進もうとしたとき、辺りを裂くような悲鳴とも思われる甲高い音が響いていた。思わずそれから隠れるように、近くにあるものに寄り添っていた。すぐに、そこから笑い声が漏れてきて、その寄り添ったのが先輩だと気づく。恥ずかしさで顔が赤くなるのは分かったが、彼から離れることはできなかった。
「お化け屋敷で怖がる人って初めて見た」
「初めてって、結構怖い人も多いと思います」
「母親と小さい頃に入ったことあるけど、あの人はこういうものは平気だからね」
華奢に思える彼女だが、言われれば納得できなくもない。まだ一度しか会ったことはないが、細かいことはあまり気にしないようなタイプに思えたのだ。
「怖くないんですか?」
「だって作り物だろう?」
先輩はそう言うとあっけらからんと笑う。ある意味強敵なのかもしれない。
こうしたものは作り物であっても、ある程度人の恐怖心を刺激するように作っている。だが、そんなことを延々と説明するのも言い訳がましいような気がして、口をつぐむ。そのとき、顔に何かが触れる。そのことに驚き、思わず変な声を出してしまい、その場に座り込みそうになった。だが、わたしの体が地面に着く前に白い手が伸びてきて、わたしの腕をつかみ、体をそばに引き寄せる。その反動からか、少し体を寄せれば先輩にくっついてしまうほどの距離しかなく、さっき以上に先輩に密着する結果となっていた。
「作り物でそんなに怖がらなくてもいいのに」
「でも、心臓が」
「とりあえず外に出なきゃな」
先輩は前方を見ているが真っ暗で、先がほとんど見えない。また、先に何かあるのではないかと思うと、ふみだす勇気は出なかった。
「歩ける?」
わたしは力なくうなずく。
そのとき、わたしの腕をつかんでいた先輩の手が離れる。そのことを名残惜しいと思う前に、わたしの手のひらを別のものがすっぽりと包み込む。
「行こうか」
わたしが必要以上に怖がっているのに気づいて、怖がらせないためにそうしてくれたのだろうか。それともただ引っ張っていくためにそうしてくれたんだろうか。だが、どんな理由であろうとも、先輩がつかんだ手がわたしの恐怖心を拭い去り、さっきまで怖かった効果音や、仕掛けが不思議と気にならなくなっていた。それどころか、さっきまで外に出たいと思っていたのに、奥に頼りない光を確認した瞬間、一転して今度はもっと中にいたいと思っていたのだ。
だが、頼りない光は着実に強さを増していき、あっという間に手を伸ばせば届く位置までくる。光をさえぎっているゴムのカーテンのところまで行くと、その上には出口と白抜き文字で表記されていた。それを先輩がめくり、わたしたちは外にでることになった。ぼんやりとした光と、係員の若い男性の掛け声に出迎えられる。先輩は彼に頭をさげ、わたしも先輩につられるように頭を下げ、引っ張られるままに歩きだす。
乾いたアスファルトと、先輩越しに見える雨雲がより暗い色になっていることから、もう少しで雨が降り出すような気がした。
空を見ていたわたしの視界に先輩が入り込む。




