球流れ #07
「先生。先ほどの電話で会話した通り、私は焼肉屋に行こうと考えているのですが、一緒に来られますか?」
アミはハンドルを握り、正面を見ながら、サイドシートに座る広枝に聞いた。時折、橙色の街灯が横顔を遮った。
「夜ご飯は食べたんだけど、この時間帯でまたお腹が空いてきたー」
「了解しました。そこのお店は、とっても美味しいらしいですよ。私もこの時間に一人で行くのは寂しかったので、先生からお電話を頂戴して良いタイミングでした」
車は大通りから脇道に入り、閑散とした路地で止まる。光量の足りない街灯がもどかしい。
古くも味のあるアパートメントと、オフィス外の狭間に、"美牛"という焼肉屋はあり、先ほどの歌舞伎町とは対照的に、慎ましい店構えだった。
そのお店は淡々としていたが、手入れされた庭園が包み、上品で暖色の間接光、気品のある活花。余ほどの贅沢をしたくても、足を運ぶことはないであろう、現実感のない料亭のような店構えだった。
店員の案内に従って、広枝とアミは席に通された。
席に座ると、アミは顔を見上げ「車ですので、お酒は要りません。よろしくお願いします」とだけ頼み、店員は深く会釈をしたかと思えば、次の瞬間には、音も無く丁寧に襖を閉めた。
広枝がその一連の無駄の無い動作に関心しつつ、少年のような不思議な表情で聞く。
「料理は頼まないの?」
「ここはそういう類のお店なんですよ。先生は堂々としていてください」
屈託の無い笑顔でアミは返答したが、その反面、広枝はうろたえていた。
すぐさま、料理は運ばれてきた。
キムチとさっぱりとした漬物の盛り合わせ。
梅のエキスとレモンの酸味が程よい透明なタレに、脂のりの良いタン塩。
醤油と味噌のコクが利いた甘口のタレで味わう、リブロースカルビ、ほほ肉、厚切りのサーロインに、山葵わさびが添えられたハラミ。
脂を温める程度で食べられる新鮮な各種ホルモン。磯の香りが残る大きな車海老と帆立貝は粒の粗い岩塩が絶妙。
一口、一口の肉を飲み込めない程に嚥下を繰り返した。
〆(しめ)には、焼音が残ったまま出される石焼ビビンバを、さっぱりとした若布スープと交互に味わい、最後にはメロンと桃のシャーベット。料理を堪能した満足感は余韻となり、頭の中で反芻させられる。
食後のお茶を飲みながらも、冷や汗が滲む。
予想はしていたが、支払いの額面を見た刹那、眉をひそめた。
広枝は項垂れながらクレジットカードを差し出して囁いた。
「領収書を切って下さい。宛名は広枝探偵事務所で」―――