球流れ #01
#01
陽が落ちて一斉に輝くネオン。土曜日の20時。大手パチンコホールのデルダス上野店。
そこでは、お目にかかれない珍事が起っていた。
満面の笑みを浮かべる者も、最後の勝負に賭ける山師も、負けて帰路に向かう背中も、皆その場に足を止め魅入っていた。
注目のパチンコ台は、10時の開店から間も置かぬまま、乱雑にランプが光り続け、今も止まらずに煌煌とし、勢いに陰りは見られない。
オーディエンスの羨望の坩堝には、銀球が詰まった箱が20箱ほど詰まれ、さらに置けない球が、客寄せのため、入り口に50箱ほど積まれていた。
これらを換算すると、概ね45万円の計算になる。普通に考えれば有り得ない確率だ。
台のレバーを握っている萩原は、高揚感を得つつ、怪訝な面持ちであった。傍から観れば冷静を装ってはいたが、その実とても怯えていた。
これだけ勝っていれば、只管に高揚し、止め処ない快感で満ち溢れるのだが、萩原は今までに経験したことのない恐怖を覚えていた。
注目の的である萩原を映した防犯カメラ越しでは、店長の青村が眉をしかめていた。青村にとっても想定外の出来事であり、ただただ呆然とタバコを燻らせるだけだった。煙った宙を見上げ、モニタに目を移した瞬間、萩原は左の胸ポケットから携帯電話を取り出し、メールを打っていた。
液晶の文面には
「ばれたかもしれない。たすけて」
と、綴つづられていた。
その宛先名には広枝と云う名前が浮かんでいた―――
その出来事の1ヶ月前。
パチンコホールを出た萩原は、少し離れた場所で、怒りのぶつけどころがなく、街頭の鉄柱を思いっきり蹴りつけ、更に自分の太ももを拳で殴っていた。何度目の事か思い出せない。悔しさと後悔、そして強い依存性。まさにギャンブルが持つ射幸心の的となっていた。
最初の頃は楽しかったし、良い思い出もある。その日は大負けしたが、当初の、なんとなく勝っていた日々の追憶、そこに、ゲームとギャンブルの分別を重ねた挙句、感覚が蒙昧になり麻痺していた。
勝つか、負けるか、そんな事は分からない。確信と云う曖昧な希望だけが、ただただ毎日、脳がパチンコホールへ足を誘導する。
それは純粋に楽しい。と感じさせ、繰り返すことを強いていた。
弁えのない嗜癖が、萩原の首をじわじわと咎る日々だった。
帰宅する前に、喫茶店に入り、重い頭を傾けながら、携帯電話を弄っていた。
失望の淵では何もすることがなく呆然と電話帳のリストを流す。
その中に「広枝」という名前が止まった。子供時代に頻繁に遊んでいた友人だった。奇抜なのに拍子抜けで角が丸い人物だったのを懐かしむ。当時に戻りたい気持ちが喚起するが、戻れないことは知っていた。
喫茶店を出て自宅へ歩く。夕暮れだけは晴れやかだった。
俯きながらの帰路、メールが着信した。相変わらずの迷惑メールだった。架空の女性がお金を支払うので、会って抱いてください。というくだらない有り触れた内容だったが、その相手の苗字が先ほど注視した広枝だった。要らない偶然に一瞬だけ頬を緩めたが、すぐに消去した。今日はどうしようもない日だ。斜光が労る自宅のアパートに帰り、すぐに布団を被った。
深夜の手前。日を挟む時間帯であろうか、萩原はメールの着信音で目を覚ました。
文面は相も変わらない迷惑メールだった。ただ、毎回違う架空の女性から送られてくる名前が、最後に受信した苗字と同じ「広枝」だった。文章など読まず、普段と同じ動作ですぐに削除したが、何故だか重複した宛名の「広枝」が印象に残った。
懐古が手伝い、電話番号が変わっていて繋がらなければ、それはそれで良いと思いつつ、ふと旧友に電話をしてしまった。
その通話は呆気あっけない程にすぐに繋がった。
「はーい、広枝です。久しぶりだねー。」
拍子が抜け、考える余地も無かったが、柔らかい受け応えだった。
畳み掛けるように意気揚々と広枝が続けた。
「電話ありがとう、ハギー。どうしたの?もしかして結婚式の二次会とか?」
電話越しの広枝は無邪気にケラケラと笑っていた。
「あー、えーと、久しぶり。電話帳の整理してたんだけど、広枝が出るとは思わなかったよ」
あまりの反応に、掛けた本人が慄き、声色は大変に素頓狂だった。
萩原は自身を落ち着けるように続けた。
「本当に久しぶり。今、ヒーロは何やってるの?」
"ヒーロ"は学生時代の広枝のあだ名である。
「色々あったんだけど、今は無職同然だよ。探偵ごっこみたいなことやって、日銭稼いで楽しくやってる。社会や傍はたから見たらゴミクズみたいな生活。あはは。」
言っている事は絶望的であるのに反し、本人は揚々としている。広枝は続けて喋った。
「次は誰が結婚するの?知ってる人なら祝福するけど、ちょっとしか知らない人の結婚式って微妙だよね。ビールが呑み放題なのが楽しいだけで、結局は高いよ。二次会で呼んでくれるくらいがちょうど良いよね」
流暢に、それでいて受話器越しに陽気な表情が伺える声色だった。
「全然そういう話じゃないんだ。ただ、お前のことを思い出して電話しただけ」
「すごく嬉しいな」
しどろもどろに萩原は答えた。
「迷惑メールって来るだろ?その迷惑主の名前が二回連続で広枝っていう苗字でさ。ちょうど電話帳の整理をしてたらお前のことを思い出して電話してみただけ。同じ電話番号のままだったら話してみたいかな、と思ったくらい。でも直ぐに出たから、やや驚いてるわ」
「そっか、そっか、ありがとうね。ハギーは、今どこに住んでるの?実家?」
「今は新宿で一人暮らし。と言っても、JRの新宿駅までは歩いて10分くらいだけどね」
実際は、青信号が重なった上で、走って15分ほどのアパートだった。僅かに見栄を張って答えた。
「新宿かぁ。そっちにはあまり行かないんだけど近いねー、東京って狭いし。折角だし、来週か再来週の金曜か土曜あたり新宿で呑まない?」
萩原は、受話器越しに頷うなずいた。
切欠きっかけは、ふと掛けた電話だが、萩原は、旧友の広枝と呑むことになった。