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7/16

      七

 樹皮をめくって影立杉の樹洞に入ると、中のひんやりとした空気に天翔丸は大きく身震いした。寒さは外とさほど変わらず、水で濡れそぼっている全身に底冷えするような寒さがしみる。

「先に着替えを」

 つづいて樹洞に入ってきた陽炎が指示してきた。

「言われなくても、わかってる」

 天翔丸は言い返しながら几帳(きちょう)の裏に回り、濡れた緋色(ひいろ)の衣を脱ぎ捨てた。

 いつも修行のときに着ているこの衣は、布地は分厚いが軽く、衝撃や汚れにも強くて(よろい)のように頑丈だ。戦いには適しているが、なぜか寒さを防ぐ機能はほとんどないに等しい。

 天翔丸は乾いた手ぬぐいで身体をふき、小袖(こそで)を一枚だけ羽織った。

 几帳から出ると、陽炎は火をおこしていた。(たきぎ)をもった手は目に見えるほどに震えている。いまだ陽炎の正体はわからないが、自分と同じように寒さで震える生物らしい。

「おい、おまえも着替えてこいよ」

 陽炎はこちらを一瞥し、せっかくの気遣いを一蹴した。

「いえ、私は後で」

 着替えよりも火に薪をくべることを優先させる気らしい。

 天翔丸は陽炎の手から薪を奪いとった。

「んなこと、俺がやる」

「いえ、私が」

「あのさ、震えてたらまともに話せないとかなんとか偉そうに言ったのはいったい誰だ? 竜王淵の奴らのことを話すのはおまえだろ。そんな震えながら話されても、俺が話に集中できない。だから、さっさと着替えてこいっ」

 陽炎はその意見について考えこみ、

「……では」

 納得したのか立ち上がり、几帳の裏へと回った。

 天翔丸はまったくと息をつき、薪をぽいぽいと火にくべた。火が赤々と燃え上がり、少しずつ樹洞が温められていく。

 火に両手をかざして暖をとっていると、頭上から手ぬぐいがふってきた。

「わっ、なんだよ!?」

 墨色の小袖に着替えて出てきた陽炎が、手ぬぐいで天翔丸の髪をわしゃわしゃと拭きながら不満げに言った。

「髪が濡れています。なぜ拭かないのですか?」

「拭いたぞ」

「拭き方がいいかげんです。これではせっかく着替えても、また衣が濡れてしまうではありませんか」

 たしかに髪からぽたぽた落ちた水滴で、小袖の肩が濡れてしまっている。

「うっせーなぁ」

 天翔丸は頭を拭かれながら言い返して、ふと懐かしいような思いにかられた。

(そういや、久しぶりだな)

 こんなふうに陽炎に世話を焼かれるのも、小言を言われるのも。

 最近は身の回りの雑事はもっぱら琥珀の役目となっていて、陽炎が鞍馬天狗の巣であるこの影立杉の樹洞に来ることもなくなっていた。

 小袖だけでは寒いな、と思っていたら、背から毛皮をかけられ身を包まれた。

 髪にふれてくる大きな手は優しい。

 天翔丸は心身で温かさを感じて、安堵の息をついた。

(久しぶりだ……)

 顔にかかった髪をかきあげようとしたとき、手が陽炎の手にふれた。

 ふれた瞬間、陽炎の手が弾けるように離れる。

 陽炎は我に返ったようにまだ拭ききれていない髪から手を離し、まるで逃げるように身を引いて距離をとった。

「……あとは自分で」

 そう言って離れていく陽炎を、天翔丸は冷えた目で見やった。

(また拒絶か)

 自分からふれてきておいて。

 そっちがふれるのはいいが、こっちがふれるのは駄目だということだろうか。まったく意味がわからない。

 不可解な拒絶をとがめる気にもなれず、落胆しかける気持ちを懸命に持ち上げながら、天翔丸は無言でまだ乾ききっていない髪を自分で拭いた。

 陽炎は火をはさんだ対面に座り、火に薪をくべながら話しはじめた。

「鞍馬山の東側、山沿いを流れる鞍馬川の途中に竜王淵と呼ばれる淵があります。彼らはその淵に棲んでいる岩魚の一族で、代々、鞍馬天狗に仕えてきた眷属です」

 天翔丸は素朴な疑問を口にした。

「棲んでいるのは岩魚なのに、なんで竜王淵?」

「大昔、竜がいたこともあったとか。竜王淵という名は、その名残りです」

「竜って本当にいるのか?」

 いぶかしげに問うと、陽炎は当然のことのように答えた。

「います」

「おまえ、見たことあるのか?」

「あります」

 天翔丸は一瞬言葉を失いながら、問いをつづける。

「竜って……水の神様のことだよな?」

「はい。竜は水の世界の王であり、覇者です。水神、竜神といってもさしつかえないでしょう」

 人間にとって竜とは、祈りを捧げる相手だ。

 干ばつのときには雨乞いをし、洪水のときは水が鎮まるよう祈って請う。

 ただ一方的に祈るだけで会えない、そんな相手だ。

「本物の竜と、会ったことがあるのか?」

「はい。とある竜と会って話したことがあります。ずいぶん前のことですが」

 竜の姿を、天翔丸は造りものや絵でしか見たことがない。

 人間の世界では伝説上の生物だ。

 しかしそうではないらしい。

 もっとも天狗がいるのだから、竜がいてもおかしくはないのだが。

 竜と会って話したことがあると、そんなことは大したことではないように言う男に、天翔丸は驚かずにはいられない。

(こいつ、本当に何者なんだ?)

 謎は深まるばかりだ。

 それともこちらの世界では、竜を見たり、竜としゃべったりするのは珍しくないのだろうか。

 天翔丸のとまどいをよそに、陽炎は話をつづけた。

「昔、天からおりてきた竜族の王が淵を見つけ、棲処にしようとしました。しかし淵は鞍馬山の裾にあり、棲むには主の許可がいります。すなわち、淵に棲むには鞍馬天狗に従うことが絶対条件なのです。ですが竜は気位が高く、素直に従うような生物ではありません。竜はその当時の鞍馬天狗となわばり争いをし、結果、鞍馬天狗によって追い払われたそうです」

 天翔丸は思わず身を乗り出して声をあげた。

「天狗が、竜を追い払ったのか!?」

「はい」

「竜と戦って、鞍馬天狗が勝ったのか!? 本当に!?」

「古のことなので、私は直に見たわけではありませんが、そういう出来事があったのだと確かに言い伝えられています」

 天翔丸はあぜんとした。

 竜と戦うなんて、すごく恐れおおいことのような気がする。まして邪険に追い払うなんて。

「鞍馬天狗って、罰当たりだな……」

 思わずつぶやくと、陽炎がとがめるように問いかけてきた。

「あなたは竜を恐れているのですか?」

「恐れるっていうか……だって、竜は神様なんだろ?」

「あなたもそうです。山の主は山の神なのですよ。確かに竜は崇められるほどの絶大な力をもっていますが、珍しい生物ではありません。各地の水場に少なからず存在しています。存在価値と希少価値でいえば、竜よりもあなたの方がはるかに上です。いつの時代も、鞍馬天狗はこの世にただ一狗しかいないのですから」

 竜などとるに足らないと言うような口ぶりだったが、どうやら本当に大したことはないと思っているらしい。

「あなたの存在価値は、他に比べるものがないほどに高いのですよ」

 陽炎にとって、竜の存在価値はそのあたりにいる妖怪と大差ないらしい。

 価値があるのは、鞍馬天狗のみ。

 天翔丸は冷ややかに言い捨てた。

「本当にそう思ってんのかよ」

「大げさでも比喩でもありません。これは事実です」

「俺を拒絶する奴に言われてもな」

 陽炎の言葉が途切れ、重い間が漂う。

 (とげ)のある嫌な言い方をしてしまったと、天翔丸は内心おちこんだ。

 でも言わずにいられなかった。

 こっちがこんなにいらついているのに、相手が平然としているのを見ると不快な感情がこみあげてきて、どうしようもなく傷つけてやりたい衝動にかられる。

 口では何を言ったとしても、どんな態度をとっていても、陽炎は鞍馬天狗を護るのだとわかっているのに。

 護ってくれる相手を傷つけたいなんて、そんなふうに思ってしまう自分が嫌で嫌でしょうがなかった。

 天翔丸が自己嫌悪に陥っている一方、陽炎は表情を変えることなく話を戻した。

「岩魚は、元は竜の眷属でした」

「竜の眷属……?」

「はい。岩魚は竜と共に竜王淵へと潜り、竜が去ったのを機に竜の眷属をやめ、鞍馬の眷属になったそうです。大昔のことなのでくわしいいきさつはわかりませんが、それ以後、竜王淵の岩魚たちは代々、鞍馬の眷属として忠義を尽くしてきました」

 水の妖怪というと、河童や(がま)などが思い浮かぶ。

 岩魚の妖怪というのがどうもぴんとこなかったが、あの水神を思わせるような水を操る能力を目の当たりにすると、竜の眷属だったということも納得がいく。

「現在の竜王淵の主の名を緑水(りょくすい)といいます。半海の父親です。緑水は先代の鞍馬天狗に忠誠を誓い、鞍馬の眷属として実直にその任を果たしてきました。通常、岩魚の寿命は長く、数百年は生きますが、しかし緑水の命はまもなく尽きるようです。半海はそのことで、鞍馬天狗であるあなたの責任を問おうとしているのです」

「責任?」

 天翔丸は眉をひそめた。

「責任ったって……俺は、何もしてないぞ」

「鞍馬天狗が何もしていないーー半海は、そこを問題視しているのかと。先代が墜ち、あなたが降山するまで、十五年かかりました。守護天狗がこれほど長く不在であることは、普通はありえないことです。その間、あなたは何もしなかった」

「……なんだよ、それ?」

 天翔丸は不快に顔をしかめた。

「俺はいま十四だ。先代の鞍馬天狗が墜ちたのは、俺が生まれる前のことだろ。何もしなかったって言われたって、どうしようもねえだろ」

「なぜ、生まれてすぐ鞍馬山へ来なかったのですか?」

「え?」

「緑水が寿命を縮めたのは、鞍馬山に鞍馬天狗がいなかったせいです。先代亡き後すぐは無理だとしても、あなたがこの世に生まれてすぐ、十四年前に鞍馬山に降山すれば、こんな事態にはならなかった」

 天翔丸は腰をあげ、いきり立った。

「なんだよそれ!? 全部俺が悪いって言うのか!? そんなこと責められてたって、どうしろって言うんだよ!? 俺は鞍馬山のことなんか何も知らなかったし、知るすべもなかった! 無茶言うなよ!」

「半海に、そう怒鳴るのですか?」

「なに?」

「いま私が述べたことは、おそらく半海があなたに問うてくるだろうことです。あなたにとっては理不尽な責めでしょう。しかし彼らにも、鞍馬天狗を責めずにいられない理由があります。鞍馬天狗となった以上、主となる前の預かり知らない責めも、受け止めなければなりません」

 熱くなる天翔丸はいさめるように、陽炎はどこまでも冷静な声で言った。

「あなたは話し合いに行くのでしょう? そのように感情的になっていては、説得など無理です」

 そう言われて、天翔丸は目的を見失っていたことに気がついた。

 目的は、半海を説得して、琥珀を助けること。

「気を鎮めてください。落ち着いて、どんな言葉にも冷静に対処してください」

 天翔丸は一度大きく息を吸って吐き、腰を下ろした。

「……続きを話せ」

 陽炎の方もひと呼吸をおいて、話をつづけた。

「半海は話のわからない男ではありません。道理をわきまえ、自分の置かれた立場も状況もよくわかっているはずです。通常であれば話せばわかる相手ですが、ただ、今はもっとも敬愛する父親の死を目前にして、気が動転しているのだと思います。なぜ半海が鞍馬天狗を責めるのか、それは緑水の寿命を縮めた原因が、鞍馬山にあるからです。鞍馬山は、主がいなくなると死毒を発生するのです」

「死毒……?」

「死毒とは、死物が出す毒のようなものです。それにふれると生気が削がれます。死毒は山を下って竜王淵の底に汚泥のようにたまり、緑水は死毒を飲みこんで岩魚の一族を護っていたようです。そしてーー」

「ちょ、ちょっと待て」

 陽炎が急ぎ話を進めようとするのを、天翔丸は止めた。

「死物が出す毒、だと?」

「そうです」

「それって……つまり、鞍馬山は死物ってことか?」

「いまは違います。あなたが降山したことで鞍馬山は甦り、死毒の発生は止まりました」

「でも、一度死んだってことだよな? この山は生物なのか? 死物なのか? そもそも山は生きたり死んだりするものなのか? 鞍馬山って何なんだ?」

 言ってて、言いようのない不安がわき上がってきた。

 この山が得体の知れないもののような気がして、背がぞくりとした。

「鞍馬天狗はーー俺は、いったい何を護るんだ?」

「それは……その話は、また別の機会に」

「なんで? なぜいま話さない? これって、俺にとってすごく大事なことじゃないのか? 鞍馬天狗なのに鞍馬山のことを知らない、そんなんで主と言えるのか?」

「あなたは主です。まぎれもなく、鞍馬山の守護天狗です」

「わけのわからないものを護れるか」

 守護天狗は山を護るものだと陽炎が言うから、そういうものなんだろうと思っていた。

 だが、肝心なことを聞いていない気がする。

 その肝心なことを陽炎が話さないことに、強い疑念を抱いた。

「おまえ、俺に何か隠してないか?」

「話さないとは言っていません。別の機会にと言っているのです」

「機会なら、いままでいくらでもあったよな? だって、俺とおまえは毎日顔を合わせて修行してるんだから。なんで話さなかったんだ?」

「いまは話している時間がないのです。半海は非道なことはしないと思いますが、父の死を前に追いつめられているいま、絶対に大丈夫だという確証はありません。琥珀を助けたいのなら、なるたけ早く話し合いに臨むべきです」

 言い訳、回避、そんならしくない言いように、天翔丸は確信した。

 陽炎は何かを隠している。

 それも鞍馬天狗にとって、重要なことを。

「鞍馬山から発生した死毒のために竜王淵の主が死に瀕している、いまはその事実を認識するにとどめてください」

「はぐらかすのか」

「本当に時間がないのです」

 これ以上いくら追及しても、陽炎は話さないだろう。

 天翔丸は疑念を呑みこみながら、話のつづきを聞くことにした。

「半海の願いは、父親を助けたいという一念だと思います。しかし今宵が緑水の生死の境ならば、もはや手遅れ。残念ながら、緑水を救える手だてはありません」

「半海が要求してきたテンコウランってなんだ?」

「『天紅卵』とは、天狗の卵のことです」

「天狗の卵……天狗は、卵から生まれるのか?」

「はい。天紅卵の大きさは様々ですが、紅色をした木の実のような形をしています。天紅卵は、『天樹(てんじゅ)』という木に実ります。天狗のいる山には必ず天樹があり、それに天紅卵が実り、そこから天狗が生まれるのです」

 天樹という言葉は、記憶の隅にあった。

 山姥の巴から天狗の生態を聞かされたときに、ちらっと耳にした。

「天狗は生気の強い生物です。その天狗を内包している天紅卵は、生気の塊とも言われます。そのため、天紅卵を食したものは寿命がのび、死に瀕しているものは命をとりとめると言われています」

「じゃあ、天紅卵があれば、半海の父親を助けられるんじゃないのか? 天紅卵は本当にないのか?」

「今日の夕刻、根の谷で、あなたが蹴った木の株を覚えていますか?」

 天翔丸は今日の記憶をたどり、いらついて木を蹴ったことを思い出した。

 軽く蹴っただけでもろく砕けた、枯れきった古い木の株があった。

「あれが天樹です」

「……え?」

「鞍馬山の天樹は朽ち果てました。もうこの山に天狗は生まれません。あなたが最後の鞍馬天狗です」

 最後の鞍馬天狗。

 その言葉に、天翔丸は身震いした。背に何か重いものがずしっとのしかかってきたような、そんな感覚に襲われる。

「最後って……そんなことはないだろ。何か方法はあるんじゃないか? いつだったか俺に喧嘩を売ってきた比良天狗、あいつは元は比叡山の守護天狗だったんだろ? だったら、鞍馬天狗も他の山から来るかもしれないじゃないか」

「確かに、天狗が必ずしも生誕地の山を護るとは限りません。眷属天狗も、守護天狗も、山移りすることは少なからずあります。しかし鞍馬山は別です。古来より鞍馬天狗は、鞍馬山の天樹から生まれた天狗の中から選出されてきました。鞍馬生まれの天狗しか、鞍馬山が主と認めないのです」

 鞍馬天狗になるには、山の審判を仰がなければならない。

 尸珞の場に入って、石にならずに生きていられるかどうか。

 それが鞍馬山の(ことわり)

 しかしその理には穴がある。

「それ、おかしくないか? 俺は天樹から生まれたわけでも、この山で生まれたわけでもない。俺は、母上から生まれた」

「ええ、あなたは唯一の例外です。鞍馬生まれではないのに、鞍馬山に認められた初めての鞍馬天狗です。そもそも人間から生まれた天狗が守護天狗になることも前代未聞。あなたという存在は、奇跡なのです」

 陽炎の口調が、冷静ながらかすかに熱を帯びている。

 これは本当にすごいことなのだと訴えるように。

 しかし何をどう言われても、どうせ拒絶されるのだと思うと、どうでもいいような投げやりな気持ちになる。

「奇跡、ねえ。一度奇跡が起こったんなら、また起こるんじゃないのか? 俺の他にも鞍馬天狗が現れる可能性はあるだろ」

「そうだとしても、もう奇跡に頼るわけにはいきません。あなたの代わりはいません。あなたの命は何よりも重いのだということを肝に銘じてください。あなたが墜ちれば、鞍馬山は滅ぶのですから」

「いっそ滅んだ方がいいんじゃないのか? こんなわけのわからない山」

 放り投げるように言った言葉に、陽炎は鋭い声で釘をさしてきた。

「その言葉、決して半海に言ってはなりませんよ。鞍馬が滅べば、竜王淵も滅びます。緑水は長年、鞍馬の眷属として山を護るために尽力してきました。主のあなたがそのようなことを言っては、緑水が浮かばれません」

 はりつめた表情で戒めてくる陽炎を、天翔丸は冷ややかに見返しながら言った。

「冗談だ」

「冗談ではすみません。半海はあなたの責任を問おうとしているのですよ? 守護天狗がそんな無責任な発言をしてはーー」

「あぁ、わかったわかった。言わなきゃいいんだろ」

 天翔丸はぞんざいに説教をさえぎって、思いついたことを提案した。

「天紅卵を、他の山からもらうことはできないのか? たとえば、栄術(えいじゅつ)に頼むとか」

 栄術は愛宕山の守護天狗。天狗という種族での、天翔丸の唯一の知り合いだ。

 会ったのは一度だけだが、事情を話して頼めば、天紅卵を譲ってもらうことは不可能ではないように思えた。

 しかし陽炎はかぶりを振った。

「それはなりません。それをすれば、あなたは愛宕天狗と敵対することになります」

「敵対?」

「天紅卵を求めることは、これからその山に生誕する天狗の命を奪う行為です。守護天狗は多くの眷属天狗を従えて、群で山を護ります。眷属を失えば、戦力を削がれることに。ですから、守護天狗に天紅卵を求めるということは、その護山全体への宣戦布告を意味します」

「それが天狗の世界の常識か?」

「はい」

「だったら、俺は半海に宣戦布告されたことになるのか? 半海は敵なのか?」

 陽炎は視線を落とし、声を押し殺すようにつぶやいた。

「たとえ鞍馬天狗と敵対しても父親を救いたいーー半海の覚悟のあらわれかと」

 天翔丸は深く嘆息した。

「敵ばっかだな……」

 八雲といい、半海といい。

 鞍馬天狗の敵は死物ばかりではないらしい。

 争いたくなどないのに、なぜか敵が増えていく。

「天紅卵を求めることが守護天狗への宣戦布告になることを、半海は知っています。知っていて、天紅卵を要求してきた……敵と判断するのもやむを得ないでしょう」

「ーーそれでいいのか?」

 視線をあげてこちらを見てきた陽炎に、天翔丸は問いかけた。

「半海はおまえの知り合いなんだろ。敵だと判断してしまって、本当にいいのか?」

 陽炎の口調はずっと冷静だったが、半海を敵とすることを語ったとき、かすかに蒼い瞳がゆれたような気がして。

 今回のことを陽炎はどう思っているのか、その気持ちを知りたかったが、返答はそっけないものだった。

「仕方がありません。それが習わしですから」

「俺が聞いてるのは、習わしとか常識とか、そういうことじゃない。おまえがどう思っているかを聞いてるんだ」

「私のことを考慮する必要はありません」

「考えることもするなっていうのか?」

「余計な雑事(ざつじ)です。あなたは鞍馬天狗としてこの事態をどう乗り越えるか、今はそれだけを考えるべきです」

「……そうかよ」

 燃えていた薪が崩れ、火の粉がはぜる。

 長く話している間に凍えていた身体は暖まり、いつのまにか震えは止まっていた。

「話は終わりか?」

「はい」

 天翔丸は羽織っていた毛皮や髪にかけていた手ぬぐいをその場に捨て置き、立ち上がった。

「今から竜王淵へ行く」

 そして、つづいて立ち上がろうとした陽炎に、突き飛ばすように言った。

「おまえは来るな。竜王淵へは、俺一人で行く」

 自分の正体を隠し、鞍馬山のことを隠し、あくまで拒絶してくるのなら、一緒にいてもいらつくだけだ。

 だったら、いっそ一人の方がいい。

 そう自分に言い聞かせるように思いながら、天翔丸は替えの緋色の衣を着て、自分で髪を結い上げ、七星を腰元にさして、一人で支度をした。

 その間、陽炎は無言だった。

 火の前に座したまま、火を見つめて……いや、うつむいているので火を見つめているかもわからない。ただ、凍りついたように動かなかった。

 その姿に、天翔丸は内心とまどった。

 てっきり激しく反論してくるかと思っていただけに、黙りこむというのは予想外だった。

 だがいまさら引くに引けない。

 天翔丸は身支度を終えて、影立杉の出口へとむかった。陽炎のかたわらを通りすぎようとした、そのとき。

「ーー一人は、いけません」

 突然、陽炎が手首をつかんできて、押し殺すような声で言った。

「私が不要だと言うのなら……それが鞍馬天狗としての判断ならば、その意にそうよう善処します。ですが、一人で行くことはなりません。守護天狗には護衛が必要です。絶対に、必要です」

 そして顔をあげ、蒼い目でこちらを射るように見る。

「一人では駄目です。竜王淵へ行くのなら、誰か(とも)を連れていってください」

 天翔丸は口をつぐんでうつむいた。

 琥珀は連れ去られてしまったし、八雲には敵に回ると表明されたし、黒金に頼んでも鼻で笑われるだけだろうし、雲外鏡は目覚めもしない。

 こんな状況になって、思い知らされる。

 自分には、誰もいないのだーーこの男しか。

 しかしそれを認めたくなくて口を閉ざしていると、ふいに陽炎が言った。

「竜王淵がどこにあるか、知っていますか?」

「え?」

「淵の正確な場所をあなたは知らないはず。一刻を争ういま探している時間もない。あなたには、道案内が必要です」

 陽炎は手を離し、薪の火を消して、立ち上がった。

「私が案内します」

「なに勝手に決めてんだよ!? 俺はもう、おまえとはーー」

「私が目障りならば、眷属を従えてください。あなたは確かに鞍馬天狗ですが、付き従うものがいないこの現状においては、真に主とは言いがたい。眷属ができるまでは、あなたが何と言おうと同行します」

 断ち切るように言って、陽炎は先導をはじめた。

 天翔丸は追いかけながら、その背を睨みつける。

(勝手な奴だ)

 来るなと言ったのに。

 道案内など頼んでもいないのに。

 歩み寄ろうとすると、冷たく拒絶するくせに。

 こちらが離れようとすると、ついて来る。

(本当に、勝手な奴だ)

 心の底から腹が立つ。しかし敵ばかりの中、危険と困難が予想される難事に陽炎が同行してくれることに、この上もない心強さも感じていた。


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