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      二

 日没がせまり、鞍馬山は深い闇の中に落ちようとしていた。

 天翔丸は肩で息をしながら、木の根に打ちつけた足の傷みをこらえ、歯ぎしりするように苦痛を噛み殺した。

(なんで)

 吹きすさぶ強風が山肌の残雪を巻き上げ、視界をさえぎられる。目を開けるのも一苦労で、一月(ひとつき)前に開眼した夜目もほとんど役に立たない。

 修行場である根の谷は突き出した木の根で足場が悪く、少しでも集中力をきらすと足をとられて転ぶはめになる。転ぶのはこれが初めてではなく、今までにも数えきれないほど経験しているし、身を切られるような寒さもうずく傷みもいつものことだ。殺風景な山の風景は相変わらずだし、厳しい修行もいつもどおり。

 凍える冬山での、過酷な武術の修行。

 しかしわかっていたはずのこの状況が、どうにも腑に落ちない。

 慣れたはずの鞍馬山での日常に、いらついてしょうがない。

(なんでだ)

 それは一つ、変わってしまったことがあるからだ。

「立ちなさい」

 寒風をつきぬけて、無感情で冷たい声が耳に刺さってきた。

 天翔丸は顔をあげ、その声のぬしに目をむけた。吹き巻く風のむこうで、黒衣の男が闇のように樹間に佇んでこちらを見下ろしている。

(なんでだよ)

 もう何度思ったか知れないその疑問が心の中で嵐のように吹き荒れ、渦を巻く。

 武術の師となっている碧眼黒髪の男。修行におけるその非情さも、容赦のなさも以前と同じだ。

 だが以前とはちがう、明らかな変化がある。

「立ちなさい、鞍馬天狗」

 天翔丸は歯噛みしながら、陽炎をにらんだ。

(なんで、俺の名を呼ばないんだ?)

 鞍馬山へ来て三月(みつき)がたつ。出会った日からずっと、これまでは天翔丸天翔丸と毎日うるさいほどに呼んできたくせに。

 あの日を境に、陽炎は天翔丸という名を呼ぶことがなくなった。

 あのときから、ただの一度もこの名を口にしていない。

 ーー俺は、鞍馬山の主になる。

 都で鞍馬天狗となることを宣言した、あの瞬間から。

 なぜ名でなく鞍馬天狗と呼ぶのか。

 もちろん、直接問いかけることもした。

 返ってきたのは「あなたは鞍馬天狗でしょう」というにべもない返答。鞍馬天狗だから鞍馬天狗と呼ぶ、そういうことらしい。確かにそれは事実だし、鞍馬山の主なると決めたのは自分自身だ。

 だが。

 鞍馬天狗ーー陽炎にそう呼ばれるたびに、いらだちが募っていく。

(なんで)

 なぜ名を呼ばなくなったのか、そのことになぜこんなにも腹が立つのか。答えは見つからず、天翔丸はうずくまりながらいらだちを剥き出しにして陽炎をにらみつける。 

 それを知ってか知らずか、陽炎は無感情な言葉をくりかえした。

「立ちなさい、鞍馬天狗」

「うるせえよ!」

 天翔丸は七星をにぎり、木の根を蹴って突進した。

 ふりあげた幅広の黒剣は、神通力をこめればあらゆるものを消し滅ぼすことができるという鞍馬山の宝剣である。

 しかし神通力をこめる前に剣は錫杖で打たれて弾かれる。激しい錫杖の打ちこみを防ぐのに精一杯で、おまけに強風にあおられて何度も身体をもっていかれ、わかりきっているはずの足場の悪さに無性にいらだつ。

 都で花咲爺や狂骨の群とわたりあって少しは武術の腕があがったかと思ったが、どうやらあれはまぐれだったらしい。

 呼吸が乱れ、集中力が乱れ、剣技も神通力も思うように使えない。

「集中し、呼吸を整えなさい」

「んなこと、わかってる!」

 わかってはいるが、思うようにならない。なにもかもがうまくいかない。

 天翔丸は錫杖をくらってふっとばされ、受け身にも失敗して突き出た木の根に全身を強打した。

「ぐ……!」

 転んださいにすりむいたのか、剣をもつ利き手の甲に血がにじむ。うずくまっていると、小さな木箱が目の前に転がった。怪我の万能治療薬『白椿(しらつばき)』を陽炎が投げてきた。

 それも無言だった。怪我の様子を見にこようともせず、薬を投げ渡して役目はすんだとばかりに眼をそらす。

 そんな陽炎の態度にまたいらだち、心のとげがますます尖っていくの感じる。

(なんで)

 名を呼ばなくなっただけではない。陽炎は必要最低限の言葉しか発さず、そしてまったく触れてこなくなった。

 こうなった今だからわかる。

 陽炎が課してくる修行はずっと冷淡で温かみのかけらもないと思っていたが、前は少なくとも「大丈夫ですか」という言葉をかけてきたり、怪我の具合を見に来たり、ときにはその手で薬を塗ってきたりしていた。日常では食事の用意をしたり、冷える夜は火をたいていったり、酒の酌をしたり髪を結わえたり、さまざまな世話をやいてきた。ひたすら陽炎に憎しみをぶつけていた二月の間、陽炎は決して冷たいだけではなかったのだ。

 だが都から帰山して以来、鞍馬の主となると決意してから、そういうことがまったくなくなった。あるのは一方的な指導だけの武術の修行のみ。まともな会話も接触も交流もない。あらゆる交流を遮断し、全身で拒絶しているのが伝わってくる。

(なんで、拒絶するんだ)

 名を呼ばない。

 ふれようとしない。

 まともに言葉をかわそうともしない。

 毎日一緒にいるのに、目の前にいるのに、はるか遠くにいるかのように感じる。

(なんで……!)

 しかし理由を訊いたところで、陽炎は決して答えない。

 そっちがその気ならもういいと開き直ることができればいいのだが、疑問を払拭することができず心中は荒れつづけ、天翔丸はただひたすらにいらついた。

「早くなさい」

「うるさい!」

 怒鳴りながら薬の入った木箱を開け、傷にぬろうとする。けれど手がかじかんでうまくぬれない。こんな些細な事にもいらだちが積もる。

「くそ……があああ!」

 八つ当たりに、そばにあった枯れ木の株を思いきり蹴りつけた。枯れきった幹はもろく、砕けて木片がとび散る。

 その瞬間、陽炎がこちらを見てはっと息をのむが見えた。

「なんだよ?」

 陽炎は視線をそらし、無表情でつぶやく。

「ーーいいえ」

「いま、なにか言おうとしただろ。言えよ」

「何でもありません」

 天翔丸はずかずかと陽炎に歩き寄ると、その胸ぐらをつかんだ。

「言えよ! なんか俺に言いたいことがあるんだろ! 言え!!」

 天翔丸は顔を寄せ、間近から陽炎の目をのぞきこむ。

 蒼い目にはまったくゆれはなかった。怒鳴っても全身でぶつかっていっても、小さな波紋すらおこらない。深く暗い蒼は深淵を思わせる。その奥底はいくら目をこらしても見えない。

「あなたに告げるべきことは何もありません」

「おまえ……!」

 頭に血が昇り、怒りが噴き出しそうになったとき。

「お日さまが沈んだよっ」

 割りこんできた少女の声で、天翔丸ははっと我に返った。

 いつの間にか日が没し、闇が足元まで忍び寄ってきている。

 白い毛並みの猫又が駆け寄ってきて、つりあがった目で陽炎をにらんだ。

「日が暮れたから修行はおしまい! 陽炎、あんたが天翔丸を独り占めする時間はもう終わりよ!」

 琥珀は白い毛を逆立てながら甲高い声でつっかかる。あからさまに喧嘩腰だ。

 陽炎はそれに言い返すことも不快を示すこともなく、胸ぐらをつかんでいた天翔丸の手をふりほどき、背をむけた。

「おい! まだ話は……!」

 追いかけようとしたが、それをさえぎるように琥珀が前に立ちはだかり、そして大きな声で言った。

「ねーねー、天翔丸! うちを眷属にして!」

 天翔丸の口から思わず溜息をこぼれた。

「……また、その話か」

 都から帰山してからというもの、琥珀は何度も同じ要求をくりかえしている。それも毎日だ。

「うち、天翔丸のそばにいたいの! ずーっとずーっと一緒にいたいの! せやから、お願い! うちを眷属にして!」

「だからぁ、そばにいたいならいればいいって言ってるじゃないか。別に眷属になんかならなくても」

「それじゃあ駄目なの! だって天翔丸は守護天狗なんやから。守護天狗のそばにいていいのは眷属だけなんやから。鞍馬の眷属になるには、うちが『眷属にして!』ってお願いして、天翔丸が『いいよー』って許可してくれなきゃいけないの! それで契約を交わさなきゃならないの! そういうのが天狗の世界の決まりなの!」

「おまえ、なんでそんなこと知ってるんだ?」

「雲外鏡から聞いたんだもーん」

 琥珀は雲外鏡から天狗や眷属に関することを訊き、さまざまな知識を得ている。

 天翔丸は根の谷の片隅に置いておいた鏡をにらみながら不満をこぼした。

「おしゃべり鏡め、余計なことを」

 おかげで、自分も知らないような天狗に関する知識をもって、琥珀の要求が強くなっている。

 しかし文句を言おうにも当人は沈黙している。肝心なときに起きないのは相変わらずで、もともと寝てばかりの鏡であったが、ここのところ呼びかけても目覚める回数がめっきり減った。

「ね、せやから眷属にしてよう!」

「だからぁ、何度も言ってるだろ。眷属になったら、おまえも死物(しにもの)と戦わなきゃならなくなるんだぞ。怖いだろ?」

 琥珀の顔がこわばった。

「こ……怖くないもん! たたかうよ! うち、天翔丸のためなら何でもできるもん!」

 それが口だけの強がりだということはすでに証明されている。

 先日の満月の夜、無数の狂骨が鞍馬山へおしよせる日。自分や陽炎が狂骨たちと戦っている間、琥珀は影立杉の巣の中でずっと縮こまって震えていた。狂骨が怖くて相対することもできない。

 鞍馬天狗は戦うのが宿命。

 死物たちと永遠に。

 鞍馬の眷属になるということは、そんな鞍馬天狗の宿命に巻きこまれるということだ。

 それがどれほど過酷なことか、琥珀はまったくわかっていない。いや、その宿命を受け入れた自分でさえ、まだ完全にわかっているとは言いがたい。そんな宿命に、幼い琥珀を巻きこむわけにはいかなかった。

 だが駄目だといくら言葉を重ねても、何度説得しても、琥珀にあきらめる気配はまったく見られず、その要求は執拗になるばかりだった。

「ねーねー、ねえってば! お願いよ! ねー!」

 天翔丸はたまらず助けを求めた。

「おい、陽炎、なんとか言えよ」

 陽炎は放りだされていた白椿を拾い、それを無限袋におさめながら、こちらを見ることなく冷ややかに言う。

「何をですか」

「何って……だから、眷属は大変だってこととか」

「私は守護天狗の眷属ではありません。眷属となった経験もありません。ですから私が眷属について言えることは何もありません」

「いや、でもーー」

 声をさえぎって、陽炎は冷たく言い放つ。

「眷属になることを許すか否か、決めるのはあなたです」

 そしてそれ以上の会話は不要とばかりに、樹上の枝に跳躍した。

「おい!」

 引き止める間もなく陽炎は枝から枝へと跳躍していき、あっという間にその黒衣の背が見えなくなった。声も届かない、気配も感じとれないほどに離れていき、そして完全に消え去る。

 天翔丸は唇をかみしめた。

(なんで)

 鞍馬山の主になると決意したとき、自然と陽炎との関係も変わっていくだろうと思っていた。こちらが一方的に憎しみをぶつけるだけの関係でなく、受け入れるべきことは受け入れながら、ゆっくり歩み寄っていこうと思っていたのに。

 自分と陽炎の距離。

 近づいていくだろうと思っていたその距離は、離れていくばかりだった。

(なんでだよ……)

 なぜ避けるのか。

 いままで献身的に鞍馬天狗を守っておきながら、なぜ急に拒絶するのか。

 都で出会った道案内人の吉路には、あなたは「誰よりも陽炎様の事を深く理解できる」と言われたが。

(全然わかんねえっ! あいつのことなんて、まっっったくわかんねえよ!)

 心の中で地団駄を踏んでいると、そんな気も知らずに琥珀がすり寄ってくる。

「ねーねー、眷属にして! ねーねー、ねーってば!」

 くりかえされる要求にいらだちが高まり、頂点に達した。

「駄目だって言ってるだろっっ!」

 思わず怒鳴ってしまい、はっとする。しかし遅かった。

 琥珀色の目にみるみる涙が浮かび、大粒の涙となってこぼれ落ちる。

「う……うわ〜〜〜ん!」

 琥珀は泣きながら樹間を走り去ってしまった。

 それを追いかける気力も体力もなく、ただ見送ることしかできず。

「あ〜〜〜もう………」

 最悪だ。

 天翔丸は吹き荒れる風の中で頭を抱えてうずくまり、心の底から溜息をついた。


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