四
天翔丸は野実の案内で愛宕山を歩いた。
前方を行く野実は、蹴爪のある足で地を蹴り、ぴょーんぴょーんと跳びはねて、斜面をのぼっていく。背についている小さな羽はぱたぱたと動いているものの、それで飛翔する様子はない。
「野実は飛べないのか?」
問いかけると野実はぴくりと立ち止まり、さっとそばの木の幹に身を隠してもごもごと言った。
「これは生まれつきでして……翼とは名ばかりで。足で跳びはねて山を行くしかなく、『野実は蚤のようだ』とよく笑われます」
たしかにその跳ねるさまは蚤のようにも見える。
「天狗でありながら、ろくに飛ぶことができず……誠にお恥ずかしいかぎりです」
「何が恥ずかしいんだ? 別に飛べなくたって、なんてことないじゃないか」
幹からひょこっと顔を出してきた野実に、天翔丸は笑いかけた。
「俺も飛べない。同じだ」
野実は目をまんまるくして、食い入るようにじいっとこちらを凝視してくる。
「ん? どうした?」
「お、同じなど……恐れ多いことにございます。世に名高い鞍馬天狗と」
天翔丸は眉をひそめた。
「ーーそれ、嫌だな」
「はい?」
「鞍馬天狗って呼ばれるの」
鞍馬天狗になると決意はしたものの、そう呼ばれることにいまだ慣れず、呼ばれると居心地が悪い思いがしてしまう。まだ覚悟ができていないからなのか、それともーー陽炎がそう呼んでくるようになったからか。
とにかく、気に食わない呼ばれ方だ。
「俺の名は天翔丸だ。そう呼んでくれ」
野実はとびあがって仰天し、蝉のように幹にしがみついた。
「め、滅相もありません! く、くく、鞍馬天狗を、お、御名で呼ぶなど……!」
「なんでだ?」
「守護天狗は護山の名で呼ぶことが天狗一族の通例にございます! 御名で呼ぶことは大変失礼で、不敬なことです!」
そういえば、そうだった。しかし天翔丸にとってはぴんとこない決まり事だ。
「俺がいいって言ってんだから、いいじゃないか。天翔丸って呼べよ」
野実は平身低頭で、声を震わせながら言った。
「ご、ご容赦ください! それだけは……それだけは……!」
そこまで拒絶されては仕方がない。弱いものいじめをしているような気になってきて、天翔丸は溜息まじりに言った。
「そんなに嫌なら、いい」
先を行く野実についていきながら、天翔丸は山登りをした。
山の傾斜はなだらかで上りやすく、視界は開けていて眺めがいい。
樹間から見えた風景に、天翔丸はあっと声をあげた。
「なぁ、野実! あれって都だよな!?」
「え? あ、はい。人間の都でございます」
懐かしさが胸にこみあげてきた。
眼下に故郷である都が広がり、一望できる。
「いい眺めだなぁ」
都が見え、他の山並みが見え、そして頭上には空が広がっている。射しこんでくる光も明るくて清々しい。開放感に思わず深呼吸する。
天翔丸は山歩きが楽しいものだと、初めて知った。
「愛宕山は、いい山だな」
素直な感想を述べると、野実はうれしそうに目尻をたれた。
「ありがとうございます。そう言っていただけると、天狗冥利に尽きます」
「山を褒められるとうれしいのか?」
「え?」
野実は目をぱちくりとした。
そのきょとんとした様子から、天翔丸は自分が天狗らしからぬことを言ってしまったことを悟り、言葉を足した。
「俺は都で生まれ育って、守護天狗になったばっかりだから、そういうの、よくわからないんだ」
ああ、と野実は得心がいったように言って教えてくれた。
「護山を褒められれば、もちろん、うれしゅうございます。我が主と共に、眷属一同で力を合わせて護っている山でございますから」
「そうか。そういうものか」
そう言って、天翔丸はうつむいた。
鞍馬山を褒められても、たぶん、自分にはうれしいという感情はわかない。
謎の多い鞍馬山はいまだにわからないことが多く、正直、愛着がもてないでいる。
(これって……やっぱり、まずいよな?)
山の主が、自分の山を大事に思えないなんて。
ひどい欠陥のように思われて、さすがに口にするのははばかれる。無言で山を登りつづけていると、やがて傾斜の険しい岩場へとさしかかった。
すると激しく何かがぶつかり合うような音が聞こえてきた。それも一つや二つでなく、無数にだ。
「野実、この音は何だ?」
「ただいま、皆様、武術の修練の最中でして。ここが愛宕山の修練場にございます」
天翔丸は門のようになっている大きな岩の間を通り、空を見上げて息をのんだ。
「……!」
上空は翼を羽ばたかせる鳥でいっぱいだった。無数の鳥が目にも止まらぬ速さで交差し、激しくぶつかりあっている。おのおのが武器を持ち、何度も打ち合い、戦っていた。
それは鳥ではなく、天狗。
野実が見上げ、無数の天狗たちに向かって声を張り上げた。
「皆様〜! 鞍馬天狗、ご来山にございま〜〜〜す!」
戦闘がぴたりと止まり、天狗たちの視線が一斉に天翔丸に注がれる。
天狗たちは次々と降下し、木々の枝にとまり、そして来山者を見おろした。
天翔丸は思わず後ずさる。
気のせいだろうか? こちらを見おろす彼らの視線はいずれも鋭く、冷たいような気がする。
すると、はるか上空から雲を突き抜けて一狗の天狗が下降してきて、天翔丸の目の前に降り立った。
「うわっ……!?」
大きな翼から巻き起こる風で、身体が後方へもっていかれそうになる。
天翔丸は踏ん張りながら、上背のある相手を見上げた。
一度会ったことのある天狗だった。栄術に付き従い、鞍馬山に襲撃してきた比良天狗を炎で撃退してくれた。そんな経緯があったので、天翔丸は親しみをこめて声をかけた。
「由良、だったよな。久しぶりだな」
しかし挨拶を返すこともせず、由良はいきなり言った。
「お手合わせ願う」
「え?」
「まいる」
由良の掌底から紅蓮の炎が噴き出して、天翔丸はぎょっとする。
野実があわてて双方の間に入った。
「ゆ、由良様、お待ちください!」
「どけ、野実」
「なりませぬ! 主様から、鞍馬天狗を歓迎し、丁重にお迎えするよう仰せつかったではありませんか!」
「天狗は戦闘種族。戦うことで相手を知り、己を表す。力を尽くして戦うことこそが挨拶であり、この上もない歓迎だ」
むちゃくちゃな。
天翔丸はそう思ったが、天狗の世界ではあながちでたらめでもなさそうだった。木の枝から見下ろしてくる天狗たちが口調をそろえて言う。
「言葉での挨拶など無用」
「戦いがすべてを証明する」
「翼なき己がまことに天狗なのか、戦って示せ」
「鞍馬天狗の資格があるか否か、滅ぼしの剣を使って示せ」
「戦え」「戦え」「戦え」
無数の天狗たちが合唱し、山にこだまする。
吹きつけてくる敵意に天翔丸は反射で七星の柄に手をかける。
瞬間、剣の声が頭に響いた。
ーー戦え。
ぎくっとし、あわてて七星から手を離して、大声で天狗たちに言い返した。
「俺は戦いに来たんじゃない! ただ、栄術と話をしにーー」
その瞬間、由良の炎が燃え上がった。
「!?」
天翔丸はとっさに野実をかかえ、後方へ飛び退いた。
ドオオォン!
由良の放った炎が地面に着弾し、燃えるはずのない土を真っ赤に焼く。
由良は野太い声に怒りをにじませて言った。
「我が主の御名を軽々しく口にするな」
炎のような迫力で、文字通り炎を燃え猛らせながら凄まれて、天翔丸はごくりと唾を飲みこみながら言い訳するように言い返した。
「……そう呼んでいいと、本人から言われたんだけど」
「承知している。我が主がおまえに名呼びを許可されたその場に、私もいた。だが、我らはおまえを認めてはいない」
「……意味がわかんねえ。なんで栄術の名前を呼ぶのに、おまえらに認められなきゃならないんだ?」
素朴に発した疑問に、由良は火を噴くように怒号した。
「眷属の我らをさしおいて、我が主に馴れ馴れしくするなっ!!」
怒声が山に轟き、びりびりと空気が震え、肝が縮んだ。
由良は鋭い眼光に炎のような怒りをたたえながら言った。
「滅ぼしの剣を抜け。なおも我が主を名で呼ぶと言うのなら、その資格の有無を証明するために、眷属筆頭である私と戦え」




