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14/16

      二

 武術の修行は毎日行われるが、満月の夜の翌日は例外だった。

 その日だけは修行をせず、日中の休息が許されている。

 夜通し戦いつづけた鞍馬天狗の消耗を回復するための指示だと思っていたが、八雲の言葉が本当ならば、それはむしろ陽炎自身の回復のための休息なのではないかと思えてきた。

 天翔丸は山中を駆け、その所在を探した。

 まずは修行の場である根の谷、そして鞍馬天狗の巣である影立杉。そのふたつを探して、自分が知っている心当たりは終わってしまった。その後、半日あまりをかけて山中を駆けぐるりと山を一周したが、陽炎を見つけつことはできなかった。

 天翔丸は嘆息した。

(俺、本当に何も知らないんだな……あいつのこと)

 死物とちがって、生物には休息が必要不可欠だ。不死身ではない陽炎もしかり。だが陽炎が疲れたときにどこで休息しているのか、そもそもどこに居住しているのか、そんなことすら知らない自分にあきれた。

(うぅ〜〜、知ってやる。絶対、つきとめる!)

 そう心の中で息巻いたとき、心当たりの場所がもう一カ所あることに気がついた。

(……あんまり行きたくないけど、しょうがない)

 気が進まないという思いを抑えつけて、天翔丸はそこへ向かった。


 ここへ来るのは、二度目だ。

 一度だけ入ったことがあるが、それきり近づくことなく、意識的にずっと避けてきた。草木一本生えていない、大小の石が転がっているだけの不毛の場。ここは鞍馬山の主しか立ち入ることのできない場所で、他の生物が入れば石と化す。

 天翔丸は久しぶりに尸珞の場へとやってきて、外側から眺めながら改めて思った。

(あー……やっぱり、嫌な場所だ)

 この殺風景な風景も、そして主以外の生物の命を奪うという非情さも、どうにも好きになれない。不吉な岩場に近づかないように距離をとりながら、天翔丸は陽炎の姿を探したが黒衣の姿は見当たらず、その気配も感じない。

(やっぱり……あの方法しかないか)

 こちらが探して見つからないのなら。

(呼んで、みるか)

 以前は、鞍馬天狗が呼べば陽炎は必ず返事をするという確信があった。しかし一度無視されて以来、その確信は心もとないものとなり、名を呼ぶのすらためらうようになってしまった。だがもう他に方法はない。

 天翔丸は意を決し、少し緊張しながら大きく息を吸って、そして声をはりあげた。

「陽炎———————————————————————っ!!」

 声があたりに響きわたり、山いっぱいにこだまする。

 長い余韻が消えても、陽炎は現れなかった。

(ちょっと待つか)

 もし陽炎が離れたところにいたのなら、駆けつけるまでにいくらか時間を要する。天翔丸は樹の根元に腰掛けて待つことにした。

 しかしいくら待っても陽炎は現れない。

(遅い)

 最初は腹立ちばかりであったが、次第にそれは不安へと変わりはじめた。

(もし、来なかったらーー)

 かすかに呼吸と鼓動が乱れはじめ、大きな不安の波が押し寄せてきた。

 天翔丸は待つことに耐えきれなくなって立ち上がり、尸珞の場にむかって声をかけた。

「おいーー七星を使えなくても、鞍馬天狗なのか?」

 昨夜は七星を一度も使うことができなかった。それは鞍馬天狗として、致命的な欠陥のような気がしてならない。

「ここに入れるのは鞍馬天狗だけなんだろ? 俺が鞍馬天狗にふさわしくなかったら石になるのか?」

 返ってくる声はなく、何の反応もない。

「おい、応えろよ」

 いらつきながら、天翔丸はじりっと足先を岩場に入れた。何も変化はなかったので、大きく一歩足を踏み入れる。さらに一歩、二歩と進んで完全に岩場に立ち入っても、自身が石と化すことはなかった。

 どうやら鞍馬山は、七星を使えなくても主と認めているらしい。

 ほっとすると同時に溜息が出た。

(あぁ……気が滅入(めい)る)

 都にいたときは、こんなときには馬に乗って駆け回り、気を晴らしていた。しかし鞍馬山ではそのような気分転換もできず、山から出ることもかなわない。

 そう思うと、ますます気持ちが塞いだ。

 天翔丸は岩場を歩いて進み、尸珞の場の中心にある大岩の上にのぼった。

 仰ぐと、頭上にはうとましいほどの快晴の青空が広がっている。尸珞の場には木々の枝ものびてこられず、ここだけぽっかりと穴が開いたようになっていて青空がよく見えた。

 行き止まりで途方に暮れるような思いで空を仰いでいるうちに、ふいに天翔丸は思った。

(なんか……ここって、出口みたいだな)

 広くて、開けていて、さえぎるものは何もない。

 自分は飛べないから出口は山の下にあるものとばかり思っていたが、よくよく考えれば翼をもつ天狗の道は山の上にあってしかるべきだ。

(威吹は、ここから飛び立ってたのかなぁ)

 先代の鞍馬天狗には大きな翼があったらしい。

 山中はどこも木々が立ち並んでいて翼を広げるには具合が悪そうだが、ここなら大きな翼を思いきり広げられる。

 飛行をさえぎるものはない。

 山の主しか立ち入れないから誰にも邪魔されることなく、いつでも思うままに飛び立てる。

 空へ。

 頭上の空が鞍馬山の出口で、この岩場は鞍馬天狗が飛翔するための絶好の足場のように思えた。

(俺も飛べたらなぁ)

 初めて天狗をうらやましいと思った。

(……まぁ、無理だけど)

 深い溜息をつくと、急に強い眠気に襲われた。そういえば昨夜は一睡もしていない。天翔丸は腰元から七星を鞘ごとぬき、かたわらに置いて、大岩の上にごろりと横になった。

(はぁ……これからどうすれば……ーー)

 嘆息しながら目を閉じ、うとうとしはじめたときだった。

 ーー……滅ぼせ。

 ふいに声が聞こえた。頭の中に直接響いてくるあの声。

 天翔丸はうんざりした。

(またか)

 鞍馬の宝剣七星はときどき語りかけてくる。言うことはいつも同じだ。

 ーー滅ぼせ。

(うるさい。俺は滅ぼさないって言っただろ)

 無視して寝てしまおうとしたが、無視できない事態が起こった。

 少し眠ろうと思って横たわったのに、なぜか上半身がむくりと起き上がる。どこからかわいてきた闇が幾本もの手のように身体にからみつき、無理やり引き起こされた。

(え……?)

 あっけにとられている間にも、闇にからめとられた足が立ち上がり、手がかたわらの七星をつかんで、鞘から引きぬく。

 そして、七星の刃が妖しく輝きだした。

 天翔丸はぎょっとした。

 七星だけでは輝けないはずだ、鞍馬天狗の神通力がなければ。

(まさかーー七星が、俺の神通力を奪ってるのか?)

 あらゆるものを消し滅ぼす剣が、闇の中で妖しく光っている。その剣を自分の両腕がもって身構えている。

 それをただ見ていることしかできない。

(こ、これって夢、だよな?)

 見えるのはただ、煌々と光を放っている七星だけ。昼なのに真っ暗なのはおかしいし、夜目が効くのに盲目のように何も見えないのもおかしい。

 まして、鞍馬天狗が七星に操られるなど、悪い夢としか思えない。

(絶対、夢!……だよな?)

 だが確信がもてなかった。教えてくれる者は誰もいない。呼吸が乱れ、鼓動が速まり、不安がふくらんで胸に充満していく。

 はたしてこれは、夢かうつつか?

 ーー滅ぼせ。

 七星の命令が脳に響く。

 それに呼応して両手が剣をふりかぶり、そして勢いをつけてふりおろした。

 瞬間、天翔丸はぞくりとした。

(いま……何か斬らなかったか!?)

 両手に何かを斬り滅ぼした手応えがあった。だが自分が何を斬ったのかわからない。何も見えない。

 ーー滅ぼせ……鞍馬よ、滅ぼせ!

 その声に応えて、また身体が勝手に動き出す。今度は足が歩きだした。天翔丸は動くまいと抵抗したが、歩みを止めることはできなかった。

 自分の身体がまったく思い通りにならない。

 七星の命令に逆らえない。

(やめろ! やめろぉ……!)

 叫ぼうとしたが、声を出すことすらままならない。

(誰か……!)

 助けを求めて心の中で叫んだ、そのときだった。

「ーー天翔丸!」

 耳に届いたその声で、天翔丸は目が覚めた。見開いた目にまぶしい日差しがさしこんできて、やはりいまは昼なのだとわかった。

(良かった、夢だ)

 ほっと息をつこうとして、目にとびこんできた光景に天翔丸は戦慄した。

 尸珞の場が自分の足元で地割れのように深く鋭く裂けている。先ほどまではなかった亀裂だ。

 自分の右手が七星を握っている。いつのまにか身体が起き上がり、かたわらに置いていたはずの七星を鞘から抜いて、七星の黒い刃が明滅していた。眠っている間に、自分が七星をふるったのは明らかだ。

(夢じゃない!)

 全身から血の気が引いた。

 ーー滅ぼせ。

 再び七星から命令が下り、激しく動揺したときだった。

「天翔丸!」

 その声で我に返り、見ると、尸珞の場の外に陽炎の姿があった。陽炎は生と死の境界線のぎりぎりのところからもう一度叫んだ。

「天翔丸!」

 夜が明けて闇が晴れていくように、不安が消えていくのを感じた。

 陽炎が来てくれた。そして名を呼んでいる。

「天翔丸、こちらへ! 早くそこから出てください!」

 天翔丸はうなずき、そちらへ行こうとすると、また頭に声が響いた。

 ーー滅ぼせ。

 ぐぐっと腕が勝手にもちあがり、神通力で刃を輝かせながら、七星が陽炎に切っ先を向けて命じてきた。

 ーーあやつを滅ぼせ。

 胸の奥底から怒りがせりあがる。

 天翔丸はからみついてくる闇の力を気迫で押し返し、一喝した。

「あいつは滅ぼさない!」

 どうやっても抵抗できなかったのに、なぜかその一声で闇の呪縛がとけ、身体の自由をとり戻せた。天翔丸は自身からの神通力の流出を止めて、七星の刃から光を消した。

 ーーほろ……ほろぼ……。

 声はとぎれとぎれになりながら、なおも話しかけてくる。

「うるさい。俺が話したいのは、おまえじゃない」

 天翔丸は断ち切るように言って、剣を鞘におさめた。それで声はぴたりとやんだ。

「陽炎!」

 天翔丸は陽炎にむかって走っていき、手をのばした。

 その手が境界を出た瞬間、陽炎に手をつかまれて、尸珞の場から引っぱり出された。

「わっ!?」

 勢いそのままに陽炎に抱きしめられた。しめつけてくる力が強くて少し苦しかったが、抵抗はしなかった。それは鞍馬天狗を護るための行為だと知っている。

(いつもの陽炎だ)

 少し強引だが、ここぞというときには必ず来てくれる。

(ったく、さっさと来いよな)

 黒衣に顔をうずめながら安堵していると、陽炎が声を震わせながら言った。

「……どこへ行くのですか」

「え?」

「いま、飛ぼうとしたでしょう?」

 抱きしめる腕にさらに力をこめながら、陽炎は強くいさめるように言った。

「あなたの護山はこの鞍馬山です。ここがあなたの棲処です。主が護山から飛び出ていくことはなりません」

 天翔丸は眉をひそめた。

 鞍馬天狗になると決めたとき、むろんそれは承知している。

「そんなこと、言われなくてもわかってーーうぐっ!」

 しめつけられる痛みにたまらず声をあげた。

 陽炎は力をゆるめず、語気を強めていく。

「尸珞の場から飛び立って、どこかへ行こうとしたのでしょう? 翼を広げて、手の届かないところへ!」

「は? なに言って……い、痛いって! 離せよ!」

 腕から逃れようともがいたが、逆に体勢を崩されて地面に押し倒された。

「行ってはなりません! 飛んではなりません!」

 陽炎は鬼気迫るような表情で叫んだ。

「飛ばせません……!」

 その言葉に、天翔丸はとまどった。陽炎はいつものように鞍馬天狗の呼びかけに答え、助けにきたのかと思ったが、そうではないようだ。

(もしかして、俺をつかまえに来たのか?)

 鞍馬天狗がどこかへ飛んでいかないように。

 陽炎はまるで翼をもつものの羽ばたきを阻むように、両腕を地面に押さえつけて動きを封じてくる。

「い、痛いって! どこへも行かないから、ちょっと離せ!」

「離せば飛んでいくでしょう」

「だから行かないって! っつーか、行けねえよ! 俺には翼がないんだから、飛べるわけないだろ!?……わっ!?」

 今度は身体を引き起こされ、抱えこまれて衣越しに背にふれてきた。もしも翼があるならそこから生えてくるだろう肩甲骨のあたりを、しきりに指でなぞってくる。陽炎はそうやって鞍馬天狗に翼がないことを確認しながらぶつぶつとつぶやいた。

「翼がない……翼はない……飛べないーー」

 黒衣に埋もれながら天翔丸は戸惑った。自分に翼がなく飛べないことなどわかりきっていることなのに、何をいまさら。

(こいつ……なんか変だ。どうしたんだ?)

 言っていることやっていることが支離滅裂。冷静の代名詞のような男が、冷静さを失っているように見える。明らかにいつもの陽炎とは違う。

 しかし無視はされないから会話はできそうだ。

 天翔丸は身体をよじって胸元から離れ、顔を突き合わせて陽炎に話しかけた。

「俺は、鞍馬天狗になるって言っただろ? 鞍馬山の主になるんだから、この山で暮らすことも承知の上だ」

「それは、いつまでですか?」

「え?」

「ずっと鞍馬山にいますか? 一生をここで暮らしますか?」

 とっさに返事に窮し、口ごもった。鞍馬天狗になるとは言ったが、それが一生つづけていけるものなのか、わからない。いまでさえ主としてやっていけるのかあまり自信が持てないでいるのに、そんな先のことまで頭が回らない。

「それは……まあ……俺がいなくなったら、半海たちが困るだろうし」

「もし半海たちがいなくなったら、鞍馬山を出て行くこともあるということですか? あなたは鞍馬天狗になると言いましたが、もしもうまくいかない場合は辞める可能性もあるということですか?」

 あやふやな返答に鋭く切りこんでくる。執拗に、追いつめるように。

「この先、あなたはーー」

「先のことなんかわかんねえよ! もしもの話をされても、そのときになってみないとどうするかなんてわからない。そうだろ?」

 陽炎はうつむき、押し黙った。黒い前髪がその顔に影を落として表情はよく見えない。

 うつむきながら鞍馬天狗の両腕をつかみ、その手はゆるめようとしない。

「なぁ、なんなんだよ?」

「……考えませんでしたか? 鞍馬から飛び出したい、と」

 内心ぎくりとした。

 ーー飛べたらなぁ。

 そう思ったことを見抜かれたようで、こちらを見てきた蒼い目から目をそらしてしまった。陽炎がぐっと腕をつかんできた。

「主が山を離れることはなりません」

「だから、それはわかってるって! それよりおまえ、どこにいたんだよ? ずっと探してたんだぞ。山中を探して、ここへもおまえを探しに来たんだ。いったいどこにいたんだ?」

 いた場所を言うだけの簡単な問いかけに、陽炎は答えなかった。何も言わず、指がくいこむほどに強く鞍馬天狗の腕を掴んでいたその手をゆるめて、あっけなく離れた。

 まるで落葉のように、力なく。

 そのまま離れてどこかへ行ってしまいそうに思えて、天翔丸はあわてて黒衣の袖をつかんだ。

「俺は、おまえのことをちゃんと知りたいんだ! おまえが何者で、どうして鞍馬山にいるのか。山の主は、山に棲んでいるもののことを知らなきゃならないと思うから」

 知らないことで半海たちを苦しめた。もう同じ過ちは犯したくない。

「だから、話してくれ。ーー頼む」

 自分なりに精一杯の誠意をもって問いかけたが、しかし答えは返ってこなかった。陽炎はうなだれるようにうつむいて、こちらを見ようともしないーー鞍馬天狗が目の前にいるのに。

 その姿に胸がつぶれそうな思いがして、天翔丸はたまらず黒衣の胸ぐらをつかみ引き起こしながら怒鳴った。

「俺を、見ろ!!」

 その顔を見て、息が止まった。

 陽炎は無表情だった。先ほどまであったゆれや震え、感情の手がかりとなるものが跡形もなく消えている。

 そして冷たい蒼い瞳でこちらを見据えながら、抑揚のない声で言った。

「いずれ斬り捨てる復讐相手のことなど、知る必要はありません」

 手をはらわれて、天翔丸は後方によろけた。

(駄目だ)

 こちらが語りかければかけるほど、近づこうとすればするほど、拒絶は強くなっていく。かたくなに。

 ならば、いったいどうすればいいのか。

 絶望的な思いにかられたとき、頭にまた声が響いた。

 ーー滅ぼせ。

 びくっと全身が跳ねた。

 ーーそやつを滅ぼせ。それで憂いは消える。

 手を動かされる感覚がぞわりと腕を走る。天翔丸はあわてて七星を鞘ごと腰元からぬきとり、地面にたたきつけた。そして得体の知れないものを見るように警戒しながら、後ずさる。

 陽炎が七星を拾いあげてさしだしてきた。

「七星を手放すことはなりません。これはあなたの身を護るためのものです」

「違う! この剣は、俺を護るものじゃない! さっき、眠ってるとき、七星が俺をあやつって尸珞の場を斬らせたんだ! 勝手に俺の神通力を使ってだ! この剣は変だ……おかしい! 俺は滅ぼさないって言ってるのに、何度も滅ぼせ、滅ぼせって……!」

「何であろうと、七星を手放してはなりません。鞍馬天狗は七星の使い手なのですから」

「それは、逆じゃないのか? 俺が七星を使うんじゃなくて、七星が俺を使おうとしてるんじゃないか? 何かを滅ぼすために、俺の力を利用しようとしてるんじゃないのか?」

 言いながら不安がどんどんふくらんでいく。

 違う、と否定してほしかった。

 だが陽炎は問いに答えることなく、危険な剣を押しつけてくる。

「七星をとりなさい」

「この剣は、おまえも滅ぼせって言ってきたんだぞ!? 俺におまえを斬らせようとした! それでも七星を持てって言うのか!?」

「それでもです。何があろうと、あなたは生きのびなければなりません。たとえこの世を滅ぼしてもーー私を斬っても」

 その無情な言葉に、胸がしめつけられるような痛みを感じた。

 天翔丸はこみあげてくるものをこらえながら、しぼりだすように問いかけた。

「おまえ……なんなんだよ?」

 天翔丸と呼んだり、鞍馬天狗と呼んだり。

 身をていして護ってきたり、冷たく拒絶したり。安堵と温かさ、冷酷さと痛み。その時々で感じるものがあまりに違いすぎて、激しく混乱する。

 七星も、陽炎も、自分の味方だと思っていたが、はっきりそうだと言いきれなくなってきた。敵なのか味方なのか、それすらもわからない。

「いったい、なんなんだよ!?」

「鞍馬天狗ーー七星を」

 それが役目だというように、陽炎は無感情に剣をさしだしてくる。

 すると右手がまた勝手にぞわりと動きだした。手が七星の鞘をつかみ、瞬間、手をつたって剣の声が雷鳴のように轟いた。

 ーー滅ぼせ!

 天翔丸は悲鳴をあげるように叫んだ。

「やめろっ!!」

 ガッ!

 鈍い音がして、嫌な感触が手に走った。

 天翔丸は陽炎を見て息をのんだ。

「……!」

 足元で陽炎がうずくまり顔の左側に手をあてている。その手の下から、赤い血がつたうのが見えた。

 滅ぼしの力は抑えたが、剣を拒もうとした動作で鞘が陽炎のこめかみにあたってしまった。故意はなかったが、この手で陽炎を傷つけ、その血を流させてーー血の気が引いて全身が震えた。

 そのときだった。

「あ〜〜……もう我慢の限界だァ」

 頭上から低い濁声がふってきた。見上げると、いつのまにか黒金が枝にとまってこちらを見下ろしている。

「陽炎、口も手も出すなっつーのがおめえの希望だったから傍観してたけどよォ、もう無理だ。悪いが口出しするぜェ」

「黒金」

 陽炎は首を横にふって黒金に言った。

「……いいんだ」

「よくねえ。いいわけねえだろ。このままじゃ駄目だァ、おめえも、この莫迦も」

 黒金が鋭利な目でぎろりとこちらを見て、

「そのまぬけ面、ちょいと貸してもらうぜェ」

 有無を言わさずに蹴爪で胴体をわしづかみにすると、ばさりと大きな翼をひろげる。

 次の瞬間、両足が地面から離れ、ぶわっと身体が浮き上がった。

「うわあ!?」

 猛烈な速さで上昇していくさなか、眼下に陽炎がこちらに向かって手をのばしているのが見えた。何かを叫んでいるようだったが声は聞きとれない。

 あっという間に地上から遠ざかり、陽炎の姿が見えなくなって、鞍馬山も視界から消えた。


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