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13/16

所信表明  一

 鞍馬山の山中に朝日が射しこみ、満月の夜が終わったことを告げた。

 いつもならほっと息をつく時分であるが、天翔丸は血の気が引いた顔で荒い呼吸をくりかえしている。

(ど、どうして……)

 いつもように、月光に照らされながら狂骨の群が押し寄せてきた。

 狂骨たちの狙いは鞍馬天狗だ。その命を狙い、問答無用で襲いかかってくる死物たち。斬りのけなければ生き残れない。

 なのに、今夜は、狂骨を一躰も斬ることができなかった。

(どうして、七星が光らないんだ?)

 七星は鞍馬天狗が神通力をこめればいかなるものも斬り滅ぼせるという最強の神器だが、しかし鞍馬天狗の神通力がなければ何も斬ることはできない。

 竜王淵の一件があった後も、陽炎との武術の修行は毎日つづけてきた。決して手を抜いてなどいないし、やる気がなかったわけでもない。これは自分の身を護るための戦いで、生きるために戦わなければならないことは充分わかっている。

 それなのに、神通力を使うことができなかった。

 結局、夜通し襲いくる狂骨は陽炎が錫杖で打ち払い、また黒金が羽ばたきで吹き飛ばしてなんとかしのいだ。その間、天翔丸は何もできず、後方で光らない七星を握りしめて動揺するばかりだった。

 これからも満月の夜は必ずやって来る。狂骨たちと共に。

 もっとも有効な対抗手段である七星を、鞍馬天狗が使えないーーそれが何を意味するのか、考えるまでもなかった。

 神通力を使っていないから疲れはほとんどなかったが、自分の今後を思うと恐怖で呼吸が乱れる。震えで立ち上がることができず、七星を抱えながら天翔丸はうずくまった。

「怪我はありませんか?」

 最前線で戦っていた男がそばにきた。

 天翔丸は震える手で、黒衣の裾をつかんだ。

「……どうなるんだ?」

 胸に充満する不安に耐えきれず、天翔丸は黒衣にすがりついて問いかけた。

「陽炎……俺はこれから、どうなるんだ?」

 無言だった。陽炎は立ったまま、蒼い目で見下ろすばかり。

「俺はどうしたらいいんだ?」

「ーーしっかり休息を」

 返ってきたのはその一言だけだった。すがりつく手をふりはらうように黒衣を翻して、陽炎は山中に姿を消した。それを追って、黒金も去る。

 天翔丸はうなだれ、唇をかんだ。

(また……拒絶された)

 もうずっとこんな感じだ。陽炎との会話は激減し、何を言っても必要最低限の言葉しか返ってこない。とりつくしまもなく拒絶されてしまう。

 拒絶されるとわかっているのに……不安でたまらず話しかけて、そのたびに拒絶されるということをくり返している。

「天翔丸、ごめんなさい……」

 琥珀がおずおずと現れて、落ちこんだ声で謝った。

「うち、狂骨と戦えなかった……ごめんなさい」

 天翔丸はうなだれたまま、声を押し殺すようにして言った。

「謝るな。しょうがない」

「でも眷属やのに……」

「おまえが狂骨と戦えないことはわかってる。わかっていて眷属にした。だから、いいんだ」

 重い沈黙がおりた。

 以前の琥珀ならすぐに身を寄せてきたが、眷属となった今は距離をおいたまま問いかけてきた。

「ねぇ、いつまで続くの? 狂骨はいつになったら来なくなるの?」

「……」

 狂骨との戦いには出口が見えない。はたして終わらせられるものなのか、永遠に続くものなのか。

 わかるものなら、こっちが知りたい。

「ねえ、鞍馬山を離れればいいんやない? そしたら狂骨は天翔丸がどこにいるかわからなくなって、襲いかかってこなくなるかもしれないよ。天翔丸は戦いが嫌いなんでしょ? だったら鞍馬天狗をやめればーー」

 天翔丸は思わず声を荒げた。

「やめられるわけないだろ!」

 鞍馬天狗がいなくなれば鞍馬山から死毒が染み出る。それは竜王淵に棲む半海たちを再び苦境に追いこむことになる。緑水が味わった苦しみを彼らに強いるわけにはいかない。

 だから、何があっても、鞍馬天狗をやめるわけにはいかなかった。

「ごめんなさい……」

 はっとして琥珀を見ると、琥珀色の目は潤んでいて、

「眷属やのに、元気にしてあげられなくてごめんなさい……」

 涙ぐみながら猫又は駆け去って行った。

 天翔丸は追いかけようと立ち上がりかけて、しかしうずくまったまま見送るにとどめた。追いかけても、どう言葉をかけていいのかわからない。

(また……泣かせちまった)

 眷属になりたいという望みを叶えてやったのだから元気になると思っていたが、琥珀は以前よりも沈みがちになり、泣くことも増えた。

 これでは眷属にしなかった方が良かったのではと思えてくる。

(あいつ、こうなることがわかってたのかな……だから、無視したのかな)

 琥珀を眷属にした後に、陽炎は無視という強い拒絶を示した。

 考えてみると、あれは琥珀を眷属にするという行動に対する非難ともとれる。陽炎は鞍馬天狗の浅はかさに失望したのかもしれない。

 そう思うと、なけなしの自信がしぼんで、不安が大きく膨らむ。もしかしたら自分の行動はすべて間違っているのではないだろうか、鞍馬天狗の資格などないのではーー。

 天翔丸は頭をぶんぶん振り、暗く落ちこんでいく思考を振りはらった。

(このままじゃ駄目だ)

 自信や資格があろうとなかろうと、代わりはいない。もう鞍馬天狗になってしまったのだから、やるしかない。

 だがいったい何をどうすればいいのか。

 それがわからない。

 天翔丸は立ち上がり、七星を腰元にすえて走り出した。陽炎からはしっかり休息をと言われたが、おちおち休んでなどいられない。

(何とかしないと)

 焦る思いにかられて、山中を走った。


 朝の光を浴びる鞍馬寺は鎮まりかえっていた。

 本堂の扉は閉まっている。

 天翔丸は階段をのぼり、本堂の扉を押した。だが中からかんぬきがかかっていて開かない。

「八雲」

 扉を叩いて呼びかけた。

 返答はなかったが、中に人の気配を感じる。

「八雲……八雲、いるんだろ? 八雲」

 何度も声をかけたが、出てくるどころか、返事をする気もないらしい。

 八雲も拒絶するつもりなのか。

 そう思うとたまらない気持ちになって、天翔丸は声を荒げて激しく扉を打った。

「八雲! 八雲! 出て来いよ! 八雲!」

 怒鳴りながら扉を叩きつづけていると、ふいにぞくりと背が粟立った。

 天翔丸は反射的に、ざっと後ろに跳びのいた。

(これは……死物!)

 扉の中から、鞍馬天狗の敵にあたるものの気配を感じる。

 すると扉をすりぬけて、二人の女の死霊ーー蛍と撫子が姿を現した。

 二人はふわりと宙に浮き、冷ややかなまなざしでこちらを見下ろしてくる。そのさまはまるで、寺門の左右で外敵ににらみをきかせる仁王のようだ。

 蛍は刺々しさを隠さない口調で、

「ーー無作法な。お静かになさってくださいな、鞍馬天狗」

 撫子はやわらかくも淡々とした口調で、

「ただいま八雲様はお休みになられています。いくらお呼びになっても、おいでにはなりません」

「寝てるのか? 朝なのに?」

 天翔丸の疑問に、二人は声をそろえて答えた。

「「はい」」

「じゃあ、起きるまで待ってる」

 天翔丸がその場にどかりと座ってあぐらをかくと、蛍があきれ果てたように言う。

「まったく察しが悪い方ですわね。たとえ八雲様が起きていても、あなたを通すつもりはありません。それがおわかりになりませんか?」

「わかってるから、こうしてる」

「八雲様はもうあなたとはお会いになりませんわ。どうぞ山奥へお帰りくださいませ」

「俺は会いたい」

 蛍と撫子は見合って溜息をついた。

「まるで子供の駄々だわ。どうします? 撫子さん」

「困った山の主ですこと……でも相手が誰であろうと、八雲様の眠りを妨げるものを通すわけにはいきません」

「ですよね。じゃあ……仕方ありませんね」

「そうね蛍ちゃん……追い払いましょう、力づくで」

 瞬間、二人から濃厚な死気がぶわっと押し寄せてきた。

 天翔丸は片膝を立て、反射で七星の柄に手をかける。

 蛍が死気を炎のように猛らせながら、侮蔑をあらわに、

「あら……私と撫子さんを滅ぼしの剣で斬るおつもりですか? 無作法な上に横暴。山の主って、皆こんなに野蛮なのかしら? とんだ山猿だわ」

 撫子は薫るような死気を放ちながら、冷笑し、

「わたくしと蛍ちゃんをお斬りになりたければ、そうなさればいい。ただしーーあなたにできればの話ですが」

 蛍は御幣を、撫子は扇子を身構え、気迫をみなぎらせて、山の主に真っ向から挑む姿勢をとる。

 対し、天翔丸は力なく手を下ろしてうなだれた。

「できねえよ……俺は、神通力を使えなくなった」

 蛍が目を鋭く細め、探るように問いかけた。

「……それはどういう意味ですか?」

「言葉どおりだ。俺はもう七星を使えない。何も斬れない」

 撫子は警戒をみなぎらせて問いかけた。

「……なぜ、それをわたくしたちに言うのです? これから戦おうという相手に、なぜご自分の弱みをさらすようなことを?」

 天翔丸は放り投げるように言った。

「隠したって、どうせすぐにわかることだ。俺にはもう戦う力はない」

 二人の死霊は険のある目で山の主をにらんだ。

「それでも、力を尽くして戦うものでしょう? 生きるために」

「あなた……そんなふうでは死んでしまいますよ? いいのですか?」

 天翔丸は嘆息しながら言った。

「いいも悪いも……しょうがないだろ」

 そのとき、鞍馬寺の本堂から足音がし、閉まっていた扉が壊れんばかりの勢いで開いた。

 現れた住職の姿を見て、天翔丸は息を飲んだ。

 白い衣を羽織った八雲は長い黒髪をふり乱し、死人のような青ざめた顔で苦しそうに呼吸を荒げ、しかし眼光だけは鋭くこちらをにらみすえている。

「八雲! どうしーー」

 八雲は階をまろぶように下り、天翔丸にとびかかった。そして山の主を地面に押し倒し馬乗りになって、その胸ぐらをつかんで怒鳴りつけた。

「ーーおまえは、どうして、そうなんだ!?」

 その剣幕に驚いて、天翔丸は痛みも忘れて硬直する。

「物事がうまくいかないとたいして戦いもせず、すぐに投げやりになる! おまえがいつ、どう死のうがおまえの勝手だ、だが蛍も撫子も、死にたくて死んだわけじゃない! 生きたいと願い、生きるために全力で戦い、しかし命を断たれた! そういう相手を前に、死ぬことをしょうがないなどと言うな!!」

 天翔丸ははっとして死霊二人を見た。二人はいずれも怒りと悲しみをないまぜにしたような、涙をこらえているような表情をしている。

 その顔を見て、自分の発言の無神経さに気がついた。

「ご、ごめん……!」

「軽々しく謝るな。よけいに腹が立つだけだ」

 八雲は天翔丸を厳しく叱責し、突き飛ばすようにして手を離した。

 そして二人の死霊にいたわるように声をかける。

「蛍、撫子、すまなかったな。ぶしつけな客の応対をさせて」

 二人は声を震わせながら頭を下げた。

「八雲様、ごめんなさい……ゆっくりお休みしていただきたかったのに……」

「八雲様、申し訳ありません……お役に立てず……」

 八雲は首を横にふった。

「おかげで少し休めた。もう夜明け、死物は眠る時間だ。俺の中でゆっくり休め。……こいつとは、俺が話をつける」

 二人の死霊はこくりとうなずき、八雲の両掌に吸いこまれるように入っていった。

 八雲はよろけながら扉前の(きざはし)に腰を下ろし、欄干(らんかん)にもたれて深く息を吐いた。見るからにしんどそうだ。

 天翔丸は地面を這いながら少しずつ近づき、声をかけた。

「八雲……大丈夫か?」

「大丈夫なように見えるか?」

 冷たい返事にめげそうになりながらも、そのただならぬ様子が気になって、問いかけた。

「……どうしたんだ? 何かあったのか?」

「別に。大したことじゃあない。昨夜は、鞍馬山全域が戦場と化す満月の夜。狂骨たちは四方八方から来るが、その九割は南からやってくる。なぜなら南には都があり、死物の巣窟である葬送地があるからだ。よって鞍馬山の南に位置する鞍馬寺は、狂骨襲来の最前線となる。俺は日没から鞍馬寺の山門前に陣をはり、結界術で狂骨の入山を防いでいた。日の出まで、それをつづけていたーーまあ、いつものことだ」

 八雲の視線を受けとめることができず、天翔丸はうつむいた。

(俺のせいか)

 狂骨は鞍馬天狗を狙って押し寄せる。 

 鞍馬天狗が最前線で戦うことができていれば。

 鞍馬天狗が滅ぼしの剣で狂骨を斬れていれば……八雲はこれほど消耗しなかったかもしれない。

 そんなことも知らずに、何かあったのかーーなんて。

「八雲、ごめん……」

「なぜ謝る?」

「だって八雲がそんなに疲れてるのは、俺のせいだろ?」

 自分が情けなくていたたまれない思いにかられていると、八雲がそれをはらいのけるように言った。

「うぬぼれるな。俺は俺の寺を守るために戦っただけだ。鞍馬天狗を守るためじゃない。そこをはき違えるな」

 おずおずと顔をあげると、八雲はけだるそうに髪をかきあげながら言った。

「ーーで、用件は何だ?」

「その……相談したいことがあって……」

 八雲は深く溜息をつき、手招きした。

「ちょっとこっちへ来い」

 天翔丸は呼ばれるままにそばへ行き、近づいた瞬間、首に両手をかけられて、くっと絞めつけられた。

「おまえは本当に莫迦だ。いまだ敵と味方の判別もできないのか? 言ったはずだ。俺はおまえには従わないと。敵に相談などもちかけてどうする?」

 天翔丸は首にかけられた両手をそのままに言い返した。

「八雲は敵じゃない」

「敵だ。おまえの言動に、俺は心底からいら立つ。何から何まで、いちいち腹が立つ」

「でも、敵じゃない」

「……なにを根拠にそう判ずる?」

 天翔丸はじっと八雲を見つめながら言った。

「だって、話を聞いてくれるじゃないか……俺のことが嫌いでも、それでもちゃんと返事してくれる……」

 たとえそれが叱咤でも。

 拒絶せずに面と向かってくれるーーそのありがたさが身にしみる。

「俺……陽炎に無視されたーー」

 涙がぽろりとこぼれて、それで堰が切れたように涙がどっとあふれた。

 天翔丸はあわてて両手で目を覆い、歯をくいしばって嗚咽しそうになるのを必死にこらえる。

 八雲は渋面になって言った。

「おい、こら……勝手に愚痴りだして、勝手に泣き出すな」

「な、泣いてない!」

 天翔丸は袖で涙をごしごしとぬぐって泣いたことをごまかそうとした。

 八雲は脱力したように溜息をついた。

「危機感がなさすぎて阿呆らしくなるわ……この状況がわからんのか? おまえはいま、俺に首を絞められ殺されかけてるんだぞ?」

「……殺すつもりなんかないくせに。手にぜんぜん力が入ってないじゃないか」

「いまは疲れきって、力が入らないだけだ」

「八雲は僧侶なんだから、殺生なんてできるわけないんだ」

「俺は破戒僧だ。戒律を破るくらいわけない」

「むやみに殺生するような奴が、死霊の蛍や撫子にあんなに好かれるわけないだろ」

 八雲は口をつぐみ、天翔丸をじっと見据える。

「悪ぶるなよ」

「ふん……物事の正邪も、男女の機微もわからない子供が、わかったようなことを言うな。いまおまえを殺さないのは、鞍馬天狗の首に手をかけることによって、あることを試しているからだ」

「試す?」

 八雲は首から手を離し、山奥の方へと目をやった。

「やはり来なかったな」

「え?」

「鞍馬天狗が、その命令に従わない不届き者と会い、首に手をかけられている。主の命にかかわる危険きわまりないこの状況に、護衛がこない。この前は駆けつけた陽炎が、なぜ今日は来ない?」

 その指摘に、天翔丸ははっとした。

「いま、陽炎はどこで何をしている?」

 天翔丸は山奥の方に目をやった。その姿は見えないが、今までの傾向からいくらか想像はできる。

「山の見回りをしてるんじゃないのか?」

 八雲は深い溜息をついた。

「狂骨は鞍馬天狗のもとへもっとも多く押し寄せる。いくら群れてこようと鞍馬天狗が七星を使えば薙ぎ払うのはたやすい。だがおまえにそれができなかったのなら、そばで護衛をしていたものが一番疲労しているはずだ。山門で結界を張っていた俺でさえ歩くこともままならないのに、一番の重労働をしたあいつが、悠長に山の見回りなどできると思うか?」

「…………え?」

 思いもよらない指摘に、天翔丸は戸惑った。

「いや、でも……陽炎はいつもどおりだったぞ? 平然としてて……余裕で、狂骨を倒してた」

 いつものように並外れた武術と霊力で、押し寄せる狂骨たちをことごとく倒していた。無表情からは何も読みとれなかったが、その動きには疲労のかけらも見えなかった。花咲爺のような相手ならともかく、ただの狂骨は陽炎の敵ではない。

「陽炎は、強い」

 天翔丸の言葉に、八雲が異を唱えた。

「その認識が根本的に間違っている」

「え?」

「おまえはあいつを買いかぶり過ぎだ。いくら武術に優れていようが、頭が切れようが、不死身じゃない。狂骨と戦えば疲れもするし、まかり間違えば死ぬ。陽炎は、殺しても死なない死物とは違う」

「じゃあ、何だ?」

 天翔丸は前のめりになって問いかけた。

「陽炎は何者なんだ?」

 突き出した頭を八雲にがしっとつかまれて、髪をわしゃわしゃと乱された。

「な、なにすんだよ〜!?」

「まったく、おまえという奴はぁ……まだその問いで止まっているのか」

「え?」

「『陽炎は何者なのか?』ーーおまえ、いままで何回、その疑問をもった?」

 天翔丸は思わぬ問い返しに戸惑いながらも考えた。

 指折り数えていくと、両手では足りない。

 たぶん、陽炎と出会ってからずっと、この疑問は頭にある。

「……わかんねえ」

「わからないくらい何度も疑問に思っているのに、いまだに答を得ていない。だからおまえは進歩しないんだ。同じことでぐだぐだと悩みつづけて惑っている。知りたくてたまらないくせに、なぜ本気で知ろうとしない?」

「知ろうとしてる! でも聞いても、あいつは何も言わないし……!」

 ダン!

 八雲は拳で扉を強く叩いた。

「おまえは閉じられたこの扉をしつこく叩きつづけ、蛍と撫子に追い払われても食い下がり、俺が敵意を示してもなお、俺と話そうとした。なぜ、陽炎にそれをしない?」

「え?」

「なぜ陽炎に無視されたことがつらかったんだ? 泣くほどに」

 天翔丸は口をつぐんでうつむいた。

 あのときのことを思い返すと、胸の奥が痛い。あまり深く考えるとより強い痛みに襲われそうで怖い。

 天翔丸ははたと気がついた。

(俺は、怖い……のか? 陽炎が?)

 それは思いもしない感情だった。

 陽炎に復讐すると息巻いていたときも、鞍馬天狗になると決めてからも、陽炎に対して腹が立ったり苛ついたりすることはあったが、怖いなどと思うことはなかった。

 怖いのは狂骨や自分の宿命であって、陽炎ではないーーはずだが。

(いつからだ? 俺はいつから陽炎を怖いと? いや、ちがう……陽炎が怖いんじゃない。俺が怖いのは……怖いのはーー?)

 黙りこんで考えていると、八雲は再び溜息をついた。

「何も語らない陽炎にも問題はあるが、拒絶されたくらいで引き下がるおまえにも問題はある。己の心から逃げているようでは、陽炎を理解するなど到底無理だ」

「八雲は陽炎のこと、知ってるのか? あいつの正体は何なのか」

「……一応な」

 天翔丸は八雲の袖をつかみ、声を張りあげた。

「教えてくれ!」

 八雲はにべもなく言った。

「それはできん」

「どうして!?」

「俺が知っているのは生物(いきもの)(しゅ)における正体だけだ。陽炎がなぜ、いつから鞍馬山にいるのか、なぜあれほど鞍馬天狗を護ろうとするのか、その理由や生い立ち、くわしい経緯までは知らん。おおよその見当をつけてはいるが、あくまで俺の憶測にすぎん。不確かな情報を聞いても、おまえはよけい惑うだけだ」

「でも……!」

 八雲は袖を引いて天翔丸の手をふりほどいた。

「おまえが話さなければならない相手は俺じゃない。おまえが知りたい答えはここにはない。知りたければ、陽炎を探せ」

 欄干に手をかけながら身体を持ち上げて、

「話は終わりだ」

 そっけなく言い放ち、八雲は扉を閉めて本堂の中へと消えた。

 天翔丸は閉じられた扉を見つめた。

(あいつとも、もう一度話せるかな)

 閉じられていた鞍馬寺の扉は叩きつづけていたら開かれた。もう話すことはないと突き放された八雲とも、もう一度話すことができた。

 ならば、陽炎とも。

(話したい)

 それで陽炎のことがわかるのなら。

 天翔丸は立ち上がり、扉の向こうにいる住職に向かって言った。

「俺、陽炎を探しに行く。八雲、ありがとな!」

 そして鞍馬寺を後にし、足を急がせた。


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