九. 唄
語り終え、最後に男は歌を歌う。
呼吸を調え、祈るように閉じられていた眼を、すうっとひらく。
♪〜
あの日の誓いを あなたは忘れてしまわれたのでしょうか
そっと私の手を取り あなたは云われたのです
『身を寄せて冬の寒さを耐え忍び 花を咲かせるこの木のように 幾歳月がながれても互いを慈しみ 心を固く結び合わせていよう』と
あなたの隣りに 私はありました
私の心は あなたと共にありました
♪〜
美しい花が咲いたなら ひとの目はそちらにむかうもの
傍らの花の香りは薄れ 色褪せて見えるのです
けれど物言わぬ花はそこにあり 再び光照らされる日を待っている
あなたの言葉を信じ ひたすらにお待ちしておりました
あなたの隣りに私はいます
私の心はあなたと共にあるのです──
歌声に、道行く者は足を止めた。
切なげに歌いあげるその姿に、気高く哀しい妃の姿が重なり、麗人の眼から、ほろりと涙が伝い落ちる幻さえ見えたのだ。
観客の多くは感じ入って、目頭を抑えている者もいた。
♪〜
宮中に春の訪れを告げる鳥よ 束の間 その愛らしい姿を貸しておくれ
愛しいひと
ほころびかけた梅の枝に止まり 鳥の声を借りて 私は歌います
愛しいひと
耳を傾けて あなたの瞳に宿らせて 昔のように頬笑みかけてください
あなたの隣りに私はいます 姿は見えずとも 私の心はあなたと共にあるのです
♪~
いつの日にか 遠い記憶に沈んでしまった私の姿を掬い上げて この梅を前に誓い合った真心を 思い出してください──
声は絶え、人々の胸に、音の余韻が沁み入った。
その場はしばらくしんと静まり、誰かが手を叩くと、一斉に歓声と拍手が涌きあがった。
「お気に召しましたら、お心づけを。」
優美な指先は、足下に置かれた椀を示していた。
人々がこぞって入れてゆくので、小さな椀からは銭が溢れ落ちていた。
「ありがとう、ございます。」
先ほどまでの、哀愁を漂わせていた表情から一変、男は愛嬌たっぷりに会釈をした。
その花の顏に、人々の心は和んだ。