魔王城の秘密
断末魔の咆哮を上げ、巨体が崩れ落ちる。
大地を揺るがし倒れ伏したその体は、あっという間に塵となって暗闇に散っていった。
それが魔王の最期だった。
それまで挟撃するように湧いてきた魔物も塵となって消える。
魔王城はたちまちただの古びた廃墟となった。
「終わった……のか?」
唐突な幕切れに呆然と冒険者は立ち尽くした。
魔王を倒した――すなわち、勇者の称号を得ることになる男だ。
激しい戦いだった。
途中で何体も現れた高位魔族の足止めに残った仲間たちもこれで助かっただろうか。
とはいえ、罠の可能性がないとも限らない。
慎重を期して、勇者は残りのエリアを見回ってから引き返すことにした。
無事であれば仲間もいずれ駆けつけるだろう。
魔王のいた大広間の奥には、小さな扉があった。
封印の類も魔王が消えたことですべて解除されている。扉は難なく開いた。
ランプを片手に剣を抜き身のまま提げ、背をかがめて体を滑り込ませる。
薄暗い通路には、点々と松明の明かりが灯っていた。
摩滅した石畳の通路は古びてはいたが、汚れやほこりはない。
魔物がはびこっていたにもかかわらず、ここは全体的に手入れが行き届いていた。
「魔族が掃除を……?」
時に人間をも喰らう粗暴な種族である。
人間を模した生活というのはいささか奇妙に思える。
不審に思っているうちにまた扉が現れた。古びた重厚な鉄扉がわずかに開き、明かりが漏れている。
勇者はごくりとつばを飲み込んだ。
まさか更なる強敵が控えているなどということはないだろうか。嫌な想像が膨らむ。
開いた隙間から恐る恐る中を伺った。
そこは、居心地のよさそうな部屋だった。
火が燃え盛る暖炉、古びた樫のテーブルと椅子、そして天蓋付きのベッド。
人が生活している空間に似すぎている。
「誰かいるのか……?」
こんな魔王城の奥底に?
「だれ……?」
衣擦れの音がして、天蓋が揺れた。人の声だ。
王都に勇者が凱旋した。
4人で旅立った勇者一行は、2人となっていた。
盗賊は魔王に受けた傷がもとで帰還かなわず、魔法使いも魔族の残党から一行を守って命を落としたという。
そして、勇者は魔王領から一人の少女を連れ帰った。
他国から連れ去られて幽閉されていたという。
少女は長年の軟禁生活で体は青白くやせ細り、言葉が不自由だった。
「まだ日光を浴びるには体が弱く、このようにヴェールをかぶっていますがどうかご容赦を」
謁見の間に魔王討伐の報告に訪れた勇者が、少女を示す。
深々と頭を下げた少女のヴェールの下に垣間見えるおとがいや手の先はほっそりとして、優美だった。
どこの深窓の令嬢だろうかと居合わせた貴族たちがざわめく。
勇者が誇らしげに魔王討伐の顛末を語り、その隣で唯一の生き残りである僧侶は暗い顔で俯いていた。
一行の癒し手として付き添った僧侶にとっては、仲間二人を連れ帰ることができず喜んで報告できることではないのかもしれない。
「魔王討伐の儀、大儀であった」
報告を受けた国王が重々しく頷く。
「さて、そなたらの偉業に対しできる限り報いたいと思うが、何か望みはあるか」
「辺境の地を」
「なに?」
勇者の答えは簡潔だった。
「王都にいては何かと人の目がございます。私は静かに余生を暮したいのです」
「金品でも地位でも、王室で用意できるものはできる限り与えるが……」
「地位があっては次の冒険もできませんから」
「なんと、無欲な」
国王は絶句した。ちらりと脇に控える王女に視線を送る。
王家としては、王を凌ぐ人気となった勇者を適切に遇さねば民の反感を買う。
できれば縁を繋ぎ、取り込みたい。それは王家のみならず貴族たちも同様だった。
ざわめく広間の人々の思惑すべてを振り切って、勇者は城を退出した。
追って未開の辺境領と莫大な金品を贈ることで王家は体面を保つこととなった。
報酬を申し出ず、想い人がいるという王女を慮って婚姻を断り、次期国王の地位に目もくれなかったと勇者の名声は高まる一方だった。
その数年後、再びどこからともなく魔物が湧くようになった。
勇者は冒険の旅に出てしまったのか、与えられた館には人の気配がなかった。
日に日に魔物の脅威は増していく。民は勇者の再来を願った。
何度となく王家は辺境に使者を送ったが、魔物に襲われたのか勇者どころか使者すら戻らない。
やがて斜陽の王国に魔王が復活した、という噂が立った。
「ただいま」
勇者は館の奥の扉を開く。
居心地よく整えられた部屋のベッドの上で、ぱっと少女が身を起こした。
「おかえりなさい!遅かったね」
「ああ、うるさいハエを追い払うのに苦労したよ」
床を軋ませ、ベッドに歩み寄る。
抜き身の剣を乱暴に拭い鞘に納めると、勇者はベッドの縁に腰掛けた。
あの日魔王城で見つけた少女は、すっかり顔色が良くなっていた。
「調子はどうだい?」
「とてもいいわ!」
優しく頭をなでると、少女は嬉しそうに体を預ける。
「ね、私のこと……これからも守ってくれる?」
上目遣いに見上げると、勇者は熱っぽい瞳で見返した。
「もちろんだよ。この命を懸けて君を守る」
「うふふ、ありがと」
少女は両手を差し伸べ、勇者の首に腕を回す。
勇猛な勇者の頬に姫はキスを落とした。
返り血に染まった顔を啜ったその唇が真っ赤に染まっていく。
「私の魔王様……」
うっとりと呟いて、少女はベッドに背を沈めた。
色素の薄い髪がまるで蜘蛛の糸のように布団の上に散らばる。
天蓋の奥には、毛布の山ができていた。
中にくるまれているのは、大小さまざまの魔物の卵だ。
二人はその存在を当たり前のものとして睦み合う。
ここは、彼ら魔族の愛の巣だった。
戻らぬ勇者に業を煮やした王家は、勇者とともに旅した僧侶を探した。
僧侶は一通の手紙を残して失踪していた。
そこには懺悔の言葉がつづられていた。
それは、魔王城の奥に単独で向かった勇者が、一人の少女を連れ帰ったことから始まっていた。
勇者と盗賊はあっという間に少女に夢中になり、一行の内で諍いが起きた。
突き飛ばされたはずみで落ちていた短剣の上に倒れ込んだ盗賊は深手を負った。
異様な雰囲気に魔法使いが少女の排除を決意したが、恐ろしい形相で勇者が妨害し殺してしまった。
あれは何か恐ろしい魔物かもしれない。
だが、残りの道程を命惜しさに僧侶は口を閉ざしたのだった。
ある晩、ふと気が付くと少女が覆いかぶさってきていた。慌てて飛び退いたものの、怪しげな笑みを浮かべて少女は立ち去った。
おそらく自分にも何か……魔物と化すようなものが仕掛けられている可能性があること。
王都に着いた頃から既に体の自由が利かなくなり、訴え出ることが不可能である。
最後の力を振り絞ってこの手紙をしたためる――
震える字で手紙は途切れていた。
やがて魔王の正体は、魔族の女王が自身の身を守るために魅了した存在であることが明らかになった。
あの日、魔王の城の最奥にいた少女こそが、魔族が最後にの残した生命線だった。
だが、気が付くのが遅すぎた。
ただ一度の機会を逃した人類は、その最強の勇者を護衛に据えた魔族と勝ち目のない戦を続けていくことになった――




