チューチューハムハム
押し入れから僅かに物音がした。幽霊かと怯えながら覗き込めば、物音はそこに置かれた木箱からしていることが分かった。
木箱は手に持てるサイズだった。小さなホールケーキが一つ、中に入るくらいのサイズだ。
もしも、この物音の正体が幽霊だとしても、これくらいのサイズなら、それほどまでには怖くないと思い、僕は中を覗き込んだ。
そこでネズミが一匹、中に入り込んでしまったのか、必死に外に出ようと藻掻いていた。
その小さいながらも、必死に生きようとする姿は僕の目を引きつけた。ここで逃がせば、ノラネコに食われ、親に話せば駆除されると、子供の僕でも何となく察していた。
それなら……と思い立って、僕はその木箱を手に取った。押し入れの奥に押し込まれていた木箱だ。きっと親がこの木箱を必要とすることはないだろう。
僕はこっそりと木箱を持ち出し、自分の部屋に移動させた。
その日から、僕はこっそりとネズミを飼い始めた。
㊥ ㊥ ㊥
最初はおやつだった。次に自身の夕食の一部、とネズミに与える餌を部屋に持ち込んで、こっそりとネズミに与えながら、僕はネズミを育てる日々を過ごした。
最初は必死に逃げようとしていたネズミも、それが不可能であると察し、尚且つ、餌が定期的に与えられると分かったからか、いつの頃からか、次第に逃げることを諦めて、木箱の中で生活するようになっていた。
できるだけ生活を豊かにするアイテムも与えた。こっそりとハムスター用の玩具も買い、木箱の中に置いてみたが、そこまでうまくは行かなかった。
ネズミはあまり運動のできる環境にないからか、次第に丸々と太り始めていた。既にハムスター用の玩具をいくつか入れていたが、それらで遊ぶ様子がない以上、ここから痩せる方法はないに等しい。
ただ痩せ細るよりはいいだろうと思い、餌の量を減らすこともなければ、過度に運動させることもなかった。
僕はできるだけの愛情を注ぎ、ネズミが幸せに暮らせるだけの環境を整えていた。
そして、そこに小さな変化が訪れたのは、それから少ししてのことだった。
㊥ ㊥ ㊥
最初は小さな変化だった。ネズミの瞳の様子がおかしいと思ったことが始まりだった。それから、すぐにネズミの動きが鈍くなり、気づいた時にはほとんど動かなくなっていた。餌を与えても、それをうまく食べてくれず、どうすることもできなかった。
何をすればいいのか分からず、誰かに相談したかったが、親を始めとする周りの人には、こっそりとネズミを飼っていることを話していなかったので、誰にも相談できなかった。
もしも相談したら、ネズミを如何に治療するかではなく、如何に処分するかを話し始めることだろう。それくらいのことは分かった。
だから、何とか自分の手でネズミを助ける必要があったのだが、そこまでの知恵も方法も、僕にはなかった。
ネズミは日に日に弱っていき、やがて、完全に動かなくなってしまう。
それでも、僅かに息をしていたが、それもしばらくのことで、気づいた時には呼吸をしていなかった。
ネズミが死んでしまった。その事実を目の当たりにし、僕は現実から逃げるように木箱を隠した。ネズミをちゃんと供養してあげるべきだったが、それもできないまま、僕はネズミの様子から逃げることを選んだ。
しかし、それから月日が流れても、僕の頭の片隅には、ネズミが今も眠り続ける木箱のことが残り続けていた。
㊥ ㊥ ㊥
ある日、僕は部屋の中で微かな物音に気づいた。何の音かと耳を傾けて、音の発生源を調べてみたら、そこはネズミの眠る木箱を押し込んだ場所だった。
僕はネズミと初めて逢った時のことを思い出し、もしかしたらネズミはまだ生きていたのかと思った。確かに死んだと思い込んでいたが、実際に死んだかどうかの確認はできていない。確認する前に木箱を隠し、現実から逃げることを選んでしまった。
息が止まったと思い込んでいただけで、微かに息があったのかもしれない。心臓が止まったかどうかに至っては一切の確認をしていない。
そういう希望が芽生え、僕は木箱を取り出そうと思った。ネズミが生きているなら、もう一度、一目見たいと思い、僕は隠していた木箱に手を伸ばした。
その時、木箱から聞こえる物音が激しくなり、僕は少し驚いた。これまでに聞いたことのある物音と違っていることが気になったが、僕はこれもネズミが生き返った証なのかもしれないと思った。
暴れるくらいに元気になったのかもしれない。そう思いながら、僕は木箱を取り出し、ネズミを下手に刺激しないよう、気をつけながら中を覗き込んだ。
そこでは、夥しいほどの羽虫がネズミの死骸を覆い隠すほどに群がっていた。




