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逆鱗

 



「ねぇ、ミラ。あなた、最近変ね」


「そうね。パンを3個も取るようになったし、夜、どこかに抜け出してるでしょう?」


 召使のための寮で声を掛けられ、足を止めた。声を掛けてきたのは、同じ召使の女子2人だった。返事をせず、面越しに彼女たちを見つめていると、彼女たちはどこか所在なさげに口ごもり、もごもごと言葉を話す。


「別に悪いってわけじゃないのよ? 仕事をサボってるわけでもないし。でも、こんなこと初めてだから、どうしたのかなって思って」


「そうよ、あなたってただでさえ、その……。教主様もあなたのことを気にしてるみたいだし……。公爵令嬢の失踪とか、いろいろあったじゃない?」


「そ、そうよ」


「……あなたたちに迷惑はかけないわ」


 それだけ告げて背を向ける。なによ、心配してあげたのにと、憤り混じりの声が聞こえたが、今度こそ返事はしなかった。




 ∮




 日の出前に起床し、学生たちの朝食の準備を始め、食事の片付けが済むとすぐに洗濯に取り掛かる。昼食の支度が終われば、生徒たちの寮の清掃がある。特に最近は、王太子の来訪で学園全体が慌ただしくなり、仕事量は増していた。大量のシーツを手早く洗い、学生たちの為に授業の準備や片付けも行う——そんな日々。

 長く召使をしているから、仕事の量や忙しさについても、もう文句はない。むしろエレノアを匿うようになってからは、倉庫の片隅で使われていない質のいい毛布を見つけたとか、準備を召使が行なった講義で教師がこんなことを話していたけれどけれど本当か聞こうとか、そんな日々を楽しいと感じているほどだった。誰かのために何かをする、というのは楽しい。特に、あんなに素敵な女の子のためなら。


 けれど、そんな日々に、違和感を感じられてしまっているらしい。




 ∮




「そういう訳で、ごめんなさい。色々届けたいのだけれど、怪しまれているみたいなの。もしかしたら、ここに来る頻度さえ、減らした方が良いかもしれない」


「……分かりました。あの、私に何ができることはありますか?」


 その日の夜伝えた言葉に、エレノアは白い手を握りこんだ。あなたに助けてもらってばっかりで、私は何もできない。それが悔しいんです。

 そんなことを、彼女は言った。


「ミラ、あなたはいつもパンを持ってきてくれるけど、あなたの分はちゃんと足りていますか? 出会った時よりも、痩せた気がするんです」


「あら、問題ないわよ。ダイエットに成功したのかもね」


 軽く笑って答えたが、エレノアの顔は晴れなかった。


「そう、ですか……。お仕事も大変なのに。朝から晩までずっと働いてて……。召使の方がこんなに忙しいなんて、私、知らなかった。知ろうともしなかったんです」


「そんなことないわ。安心して、エレノア。……ただ、王太子様に早く繋げられないのは私のせいね」


 ごめんなさい、と吐いた言葉は、明らかに自嘲が籠っていた。

 この国の生徒達に大人気で、ファンクラブすら出来そうなラインハルト殿下の周囲は、本人の友好的な振る舞いに反して、厳重な警備が敷かれていた。大国の王太子様なんだから当然、と思いつつも、違和感が膨らむ。

 ―――例えば、王太子が連れている側近たち。殿下は大勢の従者を従えていて、中にはこの国の王家よりも権力を持つ名家の子息もいるらしい。従者たちの顔ぶれは頻繁に入れ替わり、昨日はいた顔がいなくなることも多い。学生たちは王家に用があるんだと噂していたが、何をしているのだろうか、と思う。

 何よりも、その様子。ラインハルト様はふとした瞬間を除けばにこやかに周囲に接するけれど、周りの彼らは、なんというか、殺気立っているのだ。交友のための滞在ではなく、まるで敵国にいるかのように。


 まぁ、今考えても仕方ないか、と2個のパンと林檎をエレノアに手渡した。まだ余裕はあるけど、この部屋の瓶詰めなどの備蓄も減ってきた。堂々と買い足すのも控えたほうがいいだろうし、考えるべきことは多い。

 ありがとうございます、と受け取りながら、エレノアに見上げられる。


「じきに王太子さまのためにまたパーティが開かれるらしいわ。歓迎のときより砕けたものになるそうだから、その時こそ彼と連絡が取れるかも」




 ∮




 もう慣れたものだけれど、贅を凝らした食事と着飾った音楽隊の演奏が響き合う中、アルヴィンはトレエを隣に置いて、機嫌よく王太子と言葉を交わしていた。豪華なシャンデリアが天井から吊り下げられ、深紅の幕が張られた広間は、まるで王宮の舞踏会のような華やかさだ。別にお城の舞踏会に行ったことはないけれど、こう、イメージとして。


 赤い髪に似合いの礼装を身につけ、凛と立つラインハルト殿下の姿は、誰もが見とれるほどに美しかった。臣下と言葉を交わす姿に、令嬢たちは感嘆の息をつく。

―――その腰に、剣がさげられていることだけが気になった。

 

 夜会は佳境に入り、演奏も穏やかな、聞いていて心地いい曲ばかりになる。酒が入って気が大きくなったのか、アルヴィンはどすどすと、ラインハルト殿下に近づいた。大国の王太子相手になれなれしく手を振り、いやまったく我がカミドニアはいい国でしょう、と肩を抱こうとしてさりげなく払いのけられる。


「そうだ殿下、あなたは未だ婚約者がいないのだろう? なら、この国の令嬢から妃を選ぶのはどうだろうか。あなたに憧れている令嬢は多い。妃となれるならば、遠い異国の地に行っても構わないと思う者もいる。……そうすれば、一層、我が国と貴国が強く結ばれることもできる!」


 我ながらいい考えだ、もちろん可愛いトレエは渡せないがな、と胸を張る第三王子の姿に、寒気が走る。……クソ野郎だわ、こいつ。エレノアを捨てておきながら、他人に婚姻を勧めるのか。どの面下げて。


 アルヴィンの言葉に、ラインハルト殿下はうっすらと笑みを浮かべ---ゾッとするほど低い声で呟いた。


「婚約者、か。笑わせる」


 王太子の長い足が折り曲げられ、クソ野郎の腹に触れた。―――瞬間、アルヴィンは勢いよく吹っ飛び、床に激しく叩きつけられた。誰もが数秒間、何が起きたのか理解できず、呆然と立ち尽くした。この国の兵士たちも動かない。


「げほっ……! な、なにをする?!」


 アルヴィンが咳き込みながら叫ぶ。なにをする、か、と。ラインハルト殿下は、笑みを浮かべたまま応えた。


「随分と面白いことを言うと思ってな。……なぁ、ずっと聞きたかったのだが。お前は、どの面を下げて、ここに立っていられる?―――エレノアを殺しておきながら、どうしてお前は、生きているんだ」


 今、彼はあの子の名前を出したのか。その場にいる全員が気圧され、息を呑んだ。王太子は気品のある人物として学園で持て囃されていたが、今、同じことを言う者はいないだろう。

 ―――銀色の瞳は、ゾッとするほどの殺意を宿していた。長い指が剣の柄に触れ、ゆっくりと剣を抜き始める。


「は、はあ!? エレノアって、おまえ、あの女のことを言っているのか?!なんのつもりだ、俺はカミドニア王国の王子だぞ! 許されると思うなよ!」


「赦し? まだ勘違いをしているらしい。……裁くのは俺だ。お前を殺すのも。婚約者ひとり幸せにできない人間が、どうしてのうのうと生きられると思うんだ」


「 た、助けろ! 誰か! 早く!! 兵士、 誰か、この男を捕らえろ……どうしてだ、どうして誰も来ない!」


 立ち上がることもできず床に尻餅をついたまま、第三王子は震える瞳で周囲を見回したが、トレエはいつもと変わらず、うっすらと笑って彼を見つめるばかりだった。それどころか、誰も一人として第三王子の元に駆け寄らない。普段アルヴィンが連れていた友人兼護衛兼ちやほや係の側近たちも、王太子と目が合いそうになると、そっと視線を逸らす。


「汚い口で、彼女の名を呼ぶな。……誰も来ないのは当然だ。王城でエレノアを殺したのは誰か、そいつを殺すと言ったとき、お前の父はどうか国は見逃してくれ、と言った。自分と息子の首は並べて晒して良い、どうか国を戦火に包まないで欲しい、と。……愚かだが、自らよりも国を選べるのだからまだましだ。分かるか? お前は、見捨てられたんだ」


「う、嘘だ! 嘘だ、嘘だ! ジェルド! アイルスト、俺を助けろ――どうしてこちらを見ない!?」


 誰も何も言えず、沈黙が広がった。

---国力の差は歴然としている。もしここでカミドニアの兵士がラインハルト殿下を殺せば、その罪でここにいる全員が処刑され、王城も燃え、カミドニアは滅ぶだろう。ならば、出来がいいわけでもない予備の王子一人の命で機嫌を取るしか、王国に残された手段はない。

 エレノアよりアルヴィンが優先されたように、アルヴィンよりもラインハルトが優先された。アルヴィンは、切り捨てられたのだ。


「どうしてだ……! なんで俺が、あんな女のために、こんな目に……! そうだ、あいつ、昔、アルドゥールにいたらしいな。その時にお前と浮気していたんだろう。は! 尻軽なものだ、そんな女のためにここまで来たというのか。馬鹿なことはやめろ、俺は何も悪くないのだから!」


「黙れ」


 王太子の声は、ぞっとするほど低く、冷たかった。


「あの世で、彼女に詫びるといい」


 ごう、と空気が揺れ、トレエの表情が初めて崩れた。―――どうしてか、熱い。

 

 ラインハルト殿下は、エレノアを幼馴染である以上に、大事に思っていたのだろうか。だからこの国に来る予定を早めて、いま、アルヴィンに剣を向けているのか。

 このまま何もしなければ、アルヴィンはラインハルトに殺される。それなら、だからこそ、これでいいのかと思う。


 だって、エレノアは生きている。そして彼女はいくらゴミカスクソ野郎だとしても、アルヴィンの死を望まないだろう。

 私個人としては、第三王子の生死なんて枝毛よりどうでもいい。けれどエレノアは、大事な幼馴染が、彼女を失った復讐で人を殺したと聞いたら、間違いなく傷つき、責任を感じる。あの子は、そういう子だ。

 


 エレノアの、ラインハルトに向けた手紙はまだ持ち歩いている。

 ―――すべきことは、分かっている。



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