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夜の散歩

 



 美貌の王太子様がやって来てから、学園は一気に騒がしくなった。男子も女子も、アルドゥールについての知識を深めようと必死だ。隣国なこともあって言語は同じ国だけれど、文化や特産について知ることで、商売のチャンスになったりコネを作れれば、ということなのだろう。


 見てラインハルト様よ、今日もなんて美しいのかしら、とある女子生徒がため息をつけば、本当だわ! 今日もアルヴィン殿下とそのご学友と一緒なのね。見ているだけで目の保養になるわ。素敵……!と、別の娘が目を輝かせる。

 ラインハルト様は、この国より何倍も大きな――それこそ世界を支配しているような大国から来た人物だ。表向きは友好的に学園生活を送っているように見えるが、常に護衛に囲まれ、彼に近づく者は厳しく監視されている。エレノアの彼宛ての手紙は肌身離さず持ち歩いているけれど、渡せる機会は全く訪れない。


 どうか少しだけでもお近づきになれないかしら、とうっとりした顔で女子生徒の一人が呟くのに、ほんとほんとと内心頷く。手紙だけ……。手紙一枚渡せばあとはもう近づかないから……!


 ああけれど、と自分の影をそっと蹴りつける。彼は本当に、近づいていい存在なのだろうか。

ーーー何もかも、憎んでいる人間の瞳を知っている。あの歓迎会で見せた、殺意すら籠った冷たく鋭い瞳を、彼はふとした瞬間に周囲に向ける。


 私だってどうにか接点を持とうと頑張っているけれど、エレノアのことがなければ決して近づきたくなかった。

 いったい何を、考えているのだろうか。




 ∮




「こんばんは、エレノア。ごめんなさい、今日も彼に手紙を渡すことはできなかったわ」


「おかえりなさい、ミラ。謝らないでください。私こそ、助けてもらってばかりなんです」


 戻るなりベッドに崩れ落ちて寝転がった私に、エレノアは穏やかに答える。


「あと、相談したいことがあって。読んで良いと言われていた本棚の本を、全部読み終わってしまって。他の本棚で読んでも良い本はありませんか?」


 え、と少し驚いた。もう? 彼女がこの地下で暮らし始めてまだ1ヶ月ほどなのに、天井に届く大きさの本棚二つ分の本を、全て読み切ったというのか。


「早くない? でもそうよね、やっぱりすごく暇よね……」


 私が夜に訪れる以外、彼女には話す相手がいない。退屈で仕方ないだろう、と申し訳なく思いながらも、律儀な子ね と考えた。この本棚2つにある本以外は読まないでほしい、と言ったのは彼女をここに匿ってすぐのことで、私は昼間ここに来ないのだから、守らなくても気づかれないのに。


「もちろん。ちょっと待っててね、今整理するから」


 本棚を漁る。何十冊かの本を抜いて机の横に積み、読まれたくないものを適当に隠す。残るのは古い本ばかりだが、植物学や暦学など、今も学ばれている分野の書籍も多い。少しでも退屈を紛らわしてほしいと思う。


「ここの本、すごくたくさんありますよね。やっぱり上の図書室から持ってきたものなんですか? 学園の印が押されてないし、貸し出しカードも貼られていませんが」


「……さあ、ごめんなさい。詳しくは知らないの」


 目を合わせず答えた。私がこの場所を見つけたとき、すでにこの状態だった。答えを知る者がどこかに生きているのかもしれないが、それが誰かは分からない。


「出来た。……ねぇ、エレノア。少し散歩しない? 今夜は新月だから、少し外の空気を吸っても誰にも気づかれないわ」


「ぜひ!」


 こんなに不自由な暮らしを強いられているのに、文句一つ言わず嬉しそうに笑う彼女。本当に、どうしてこんな素敵な子がこんな目に、と毎日思う。


 ∮


 草木も眠るような夜だった。月はなく、空には無数の星が瞬き、新月の闇を優しく照らしている。

 兵士達がいなくなった頃から、召使の服装をして、2人で深夜、散歩に出掛けるようになっていた。

 かつては第三王子の兵士がうろついていた東塔の周辺だが、今は人影もない。ラインハルト殿下のこともあり、エレノアも婚約破棄の一件も、学生たちの間で、噂にすら上らなくなっている。それでも元から、召使は学園の外に出るには許可が必要だ。クロレディアの使用人が情報を漏らしていたことや、トレエがエレノアを探していたことから、ここを出てうろうろと父親を頼るすべを探すより、ラインハルトに助けを求める方が賢明だと私たちは結論づけた。

 東塔を出て、花壇に向かう。季節の花が咲き誇るさまを見て、エレノアが、わぁ、と嬉しそうな声を上げる。


「この花、見たことがあるんです。昔、ラインハルト様がアルドゥールのお城の裏手にある、エルシーの花が咲き誇る場所に連れて行ってくださって。本当に綺麗で、ここでも咲いているなんて」


 彼女は黒い面を持ち上げ、花に顔を近づける。その笑顔に、面を外さない方がいいわなんて言葉は野暮だと飲み込む。


「ふふ、可愛い顔。『君がこの花を好きになってくれるのなら、毎年君の誕生日に、この花の花束を贈らせてほしい』……だったっけ?」


 そう言うと、エレノアは顔を赤らめる。この間の恋バナから、彼女は王太子との思い出を話してくれるようになった。


「なっ……! ミ、ミラはどうなんですか? 好きな人とか……!私ばっかり話すのは恥ずかしいです!」


 彼女は慌てて聞き返した。肩をすくめて応える。


「いないわよ、そんなの。ずっと面をかぶってるし、出会いなんてないわ」


「そうなんですか? ミラ、あなたはとても綺麗なのに」


 絶世の美少女のあなたが言うの? と思うが、彼女の言葉はいつも本心だと分かるから、少しこそばゆい。


「ありがとう。……大事な人はいるわ。兄がいるの」


「そうなんですか? そういえば、ミラの家族の話、初めて聞きました。どんな人なんですか?」


「一人きりの家族よ。6つ年上で、頭が良くて、顔もすごく格好いいから、いろんな人にモテてた。あの王太子様と同じくらい格好いいと私は思うけど、身内の贔屓目かもね」


「へぇ……。いつかお会いしてみたいです!」


 そんな日が来たらいいわね、と返しながら、花壇の縁を爪先立ちで歩いた。


 …………エレノアと関わり始めた頃は、すぐに全て解決する、そうして他人に戻ると思っていた。けれどまだ、彼女は家族のもとへ帰れず、まるでこの件が片付いてからも、私と関わりたいと思っているかのような言葉を口にする。

 あなたがいるべきは地下ではない。身につけるべきも、こんな面じゃない。

 この子を、この素敵な女の子を、日常に帰してあげたい。



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