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ハロー、パパ!

 




「――かつてこの世界は、尊き力に溢れ、人々は祝福されていました。今、嘆かわしいことに御力は薄れ、愚かな者たちはその奇跡を忘れようとしています。しかし、しかし!我々には聖樹があります。美しき樹、慈悲深き樹。樹に祝福された我々は、その感謝を忘れてはなりません。いいですか、あなたたちは召使。樹とお仕えする方々への感謝と敬意を決して忘れず――」


 王都の郵便局で無事に手紙を出したあと、教会で、ありがたーいお話を聞いている。魔法でこの国はハッピーハッピー、感謝して奉仕しろだのうんぬんかんぬん。

 面を外していなくても、隣の同僚があくびを噛み殺しているのがわかる。説法が響く教会の礼拝堂は、大理石の床に赤い絨毯が敷かれ、ステンドグラスから差し込む光が色とりどりに床を映す。だが、壁に並ぶ樹の彫刻がこちらを見下ろすようで、息苦しさが募る。


 この国において、教会は王家以上の権力を持つ。この国で信仰される神聖な存在である、聖樹の管理を任されているからだ。

 かつて、世界には魔法が溢れていた。時と共に失われたが、しぶとく残るものもある。その一つがこの国の誇る魔法、教会の聖域、ぐるりと石壁で囲われた中庭にそびえる、聖樹だった。背は見上げると首が痛くなるほど高く、その根元は苔に覆われ、枝は空に向かってねじれるように伸びている。あれを初めて見た時は、なるほどまだ魔法は存在するのか、と考えたものだ。


 ---かつては魔力の灯があり、水が操られ、風が起こったというが、今や魔法を自在に操れる者など、この世のどこにも存在しない。だが、名残りのようなものは存在する。

 この国では、貴族から孤児まで、五歳になると教会で洗礼を受ける。国中の教会で神父の言葉を受けた後、聖樹の枝を握らされるのだ。祈りを込めると、枝は微かに光を放つ。かつてに比べれば微々たるものだろうが、子供の魔力に応じた強さで光るのだ。平民にとってはただの通過儀礼だが、見栄を重んじる貴族にはその光の強さが重要らしい。

 学園でも、財力のない子爵家の令嬢が枝を強く光らせたことで大貴族との婚約が決まったとか、由緒正しい家の子息がほとんど光らせられず陰口を叩かれているのを耳にしたことがある。たかが木の棒が光ったところで、何も変わらないのに。



「樹に感謝を」


『『『『樹に感謝を』』』』


 馬鹿馬鹿しいと思いながら、無駄に長い説法が終わるのを待つ。学園で誠心誠意奉仕しなさい、という締めの言葉で、召使たちは退出を促される。

 半分ほどがぞろぞろと去る中、ああミラ、教主様がお呼びだから残りなさい、と声をかけられた。




 ∮




 しいて言えば豚。それが教主だった。面会室でたっぷり待たされたあと、その男は現れた。重い足音を床に響かせ、教主はどっかりとビロードのソファに沈む。クッションが軋み、太った体が深く埋まった。部屋は香炉の煙でかすかに霞んでいる。


「公爵令嬢が婚約破棄され、幽閉され、いなくなった。見張り番をしていたのはお前だね? ミラ」


「はい、偉大なる教主様」


 にこりと微笑む。面を外していないから意味はないが、口角を上げる感触だけでも自分を保てる気がした。


「そうか。……見張りをしていたお前は、男子学生二人から『見張り番はしなくていい』と命じられ、それに従った。間違いないね?」


「はい、偉大なる教主様」


 全く同じ返事を繰り返すと、芋虫のような指が椅子の肘掛けを叩く。トン、トン、と鈍い音が部屋に響き、太い首に埋まった顎がわずかに揺れた。


「そうか。――その者たちの名前や顔は?」


「わかりません、偉大なる教主様」


「どうしてだい?」


 同じ声音になるよう、慎重に言葉を選んだ。


「言葉をかけていただくだけで畏れ多いのに、お仕えするべき貴族の皆様のお顔を見るのは失礼と考えました。なので、お顔は見ず、その方の足元を見ておりました」


「ふん。……もう行っていい。―――樹に全てを捧げるんだよ、ミラ。それを決して忘れてはいけない」


「はい、偉大なる教主様。―――樹に、全てを捧げます」


 深く頭を下げ、部屋を後にする。反吐が出るほど巨大な教会だ。廊下に出て、慎重に周囲を確認し、耳を澄ませる。



 そうして、誰もいないと確認して。バン、と柱に手を叩きつけた。


「……………………クソ」


 従順でいなければいけない。だが、どうしても腹が立つ。何が「樹に全てを」だ。


「ぶっ殺してやる。…………え?」


 唇を噛みすぎて、血の味が広がる。けれど顔を上げた瞬間、手の鈍い痛みも熱も一瞬忘れた。

 窓の外、教会の裏口から入ってきた高価そうな馬車が見える。そこから降りたのは、エレノアの面影を持つ男性だった。





 ∮





「よくおいでくださいましたなあ、クロレディア公爵」


「呼んだのはそちらだろう。とはいえ、私も貴殿に用があったが」


「そうでしょうなぁ。いやはや、あなたのご心痛はいかばかりか。たった一人のご家族が、あんなことになるとは……」


 教会の道具になって長いから、入り組んだ建物内の構造は熟知している。

 二人の姿を探す。教会には複数の応接間があるが、公爵は一番上等な部屋に通されていた。金の燭台や聖樹の紋章が彫られた額縁など、数多の悪趣味な装飾品で囲まれている部屋だ。扉は鉄製で聞き耳を立てようもないけれど、隣の部屋に、応接間と通じる、盗み聞きが出来る隠し小窓があることを知っている。


 クロレディア公爵、と教主が呼ぶのに、彼がエレノアの父親だと確信しながら聞き耳を立てる。二人が話していたのは、エレノアのことだった。


「さぞかし心配でしょう。夜も眠れないに違いない」



「娘のことは、もういい。……あれは、呪われた娘だからな」


 ―――は、と。指先が震えた。

 お父様は絶対に私を助けてくれます、と昨晩語ったエレノアの青い瞳が脳裏に浮かぶ。ランタンの光に照らされた、彼女の笑顔。


「おや。意外ですな、あなたがそう仰るとは」


「ふん。それよりも、アルドゥール王国の王太子がこの国に来る話だが」


「あぁ、それですか。どうにか断れはしないのですか?」


「無理だな。むしろ到着を早めるとあちらから申し出があるかもしれない。そのときは、我が国とは比較にならない大国だ。逆らえるわけがない」


 その後は外国や政治の話に移り、二人はエレノアについて何も語らなかった。誰かが通りかかる前にその場を離れる。耳の奥で心臓がドクドクと脈打ち、足元の絨毯が妙に柔らかく感じられた。

 あの子は父親を信じていたのに。彼女の父はエレノアのことをもういいと、呪われた娘と言ったのか。


 教会に用事はもうなく、あとは学園に戻るだけ。けれど足取りは、どうしようもなく重かった。


 今朝郵便局に持って行った手紙は、本当に出して良かったのだろうか。

 そうして、教会で父親が「呪われた娘」と、もういいと言い放ったことを、エレノアに伝えるべきだろうか?



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