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噂話



 

 地下室は、ランタンの揺れる光に照らされても、どこか冷たい空気が漂っている。彼女をベッドに座らせて、待ってもらう間に本棚の本を並び替えた。


「…………こんなものかしら。ここら辺は好きに読んでね。ただ、ここからここまでの本と、机の中の書類は見ないでくれると助かるわ」


「わかりました。……あの、ここは、あなたの部屋なんですか?」


「いいえ。ここは、この場所に気づいた者に代々受け継がれているの。今は私だけだけど」


 ―――図書室で貸し出されている、特定の本に挟まれた栞の絵柄は暗号だ。それを解けば、甲冑の剣の柄を回すように導かれ、隠し扉が開く仕組みになっている。初めてガチャリと音がしたときの驚きは、今でも鮮明に覚えている。階段を降りる間の緊張も忘れられない。


 彼女が普段使っているものに比べればひどく粗末だろうがベッドもあるし、多くはないがこつこつ貯めた給料で買い込んだり、仕事中にちょろまかした保存食の備蓄―――干し肉や硬パン、密封された果物の瓶も、棚の奥に並んでいる。


「それで? 連れてきた私が言うのもなんだけど、あなた、これからどうするの?」


 壁に背を付けて問いかけた。どうにかして公爵家当主の父親と連絡を取り、安全な家に戻りたいだろう。そしたら、第三王子との婚約破棄を進めるのかしら。令嬢を懲罰室に放り込むようなクズ、切り捨てて当然よねーーー。そこまでは口にしないものの問うと、エレノアは青い瞳をゆっくり伏せた。


「……わかりません」


「は? わかりませんって。絶対あのクソ王子を許さない、身ぐるみ剥いで肥溜めに突き落としてやる、とかないの?」


「こ、肥溜めなんてだめです! ……彼はずっと私を嫌っていましたから、いつかこうなる気はしていました。こんな形だとは、思いませんでしたが」


「でも、このままでいいわけないでしょ?」


「ええ。……王家は、この件をどう思っているんでしょうか。父と連絡を取ることも大事ですが、殿下の独断なのか、王家が私を彼の婚約者として相応しくないと考えているのか。それを確かめないと」


「あの野郎が王家に叱られるかってことね? いいわ、確認してあげる。……ただ、誰が何をどう言った、まで詳しくは無理だけど」


「ありがとうございます。充分です」


 そう返事をして、彼女はやっと笑った。ランタンの光が彼女の銀髪を柔らかく照らし、青い瞳に小さな光を宿す。その笑みは、地下室の重い空気を一瞬だけ軽くした。


 保存食は貴族の令嬢には到底食べられないかと思ったが、いただけるものに文句は言いません、とエレノアは答えた。あの出来事で疲れていたのだろう、懲罰牢は石の床でしたからベッドがあるなんてありがたいです、と感謝を述べ、普段の柔らかであろう寝具とは比べ物にならない硬いベッドにも文句一つ言わず、身を守るように自分を抱きしめて、隅で丸まって眠った。


 座面がわずかに傾いだ、地下室に一つしかない椅子に腰かけ、毛布に包まれた彼女の薄い背を眺める。大して知らない他人に、面倒なことをしているという自覚はあった。気まぐれで助けただけだ。彼女はすぐに家に戻り、お互い名前も忘れて、それぞれの生活に戻るのだろう。


 それでいい。

 そうでなくてはならない。




 ∮




 翌朝、学園はにわかに騒がしくなっていた。当然だ。婚約破棄を言い渡され、懲罰室に閉じ込められていた公爵令嬢が消えたのだから。

 その日の昼には、昨晩見張りをしていた召使は、と私にも聞き取りがあった。


「生徒の方が来られて、見張りは不要と仰ったので部屋に戻りました。周囲は暗く、仰った方の顔を直視するのは失礼にあたりますから見ておりません」


 そう答えると、使えない、と舌打ちされ、顔色の悪い兵士たちは去っていく。

 彼らの切羽詰まった表情も無理はない。私の言葉が本当なら、誰かが―――おそらく美しいエレノアに下心を抱いた者たちが懲罰室に侵入したことになる。彼女はそんな輩に攫われたか、暴力を受けて絶望して姿をくらまし、最悪命を絶ったと考えるのが自然だろう。第三王子は本当に、こんな事態を予想もせずに、彼女を閉じ込めたのだろうか?


 実際、学園内の井戸はもちろん、近くの森や川まで捜索が始まっているらしい。ざわめく生徒たちの声が、学校中に広まる。だが誰も見張り役の召使が学園の隠し部屋を知っていて、そこに彼女を匿ったなんて、想像もしないだろう。


 第三王子は一度王城に呼び出されたが、すぐに学園に戻り、以前と同じ生活を送っている。変わらずトレエと呼ぶ気に入りの女子生徒を隣に置き、ピーチクパーチクと輝かしい未来を語り続けているらしい。広場のベンチで笑い合う二人の姿は、遠目にも目立つ。

 そのせいか、学生たちの間で噂は止まらない。好奇心やほのかな悪意に満ちたものばかりで、第三王子がトレエと結ばれるためにエレノアを殺し王家もそれを許したのだとか、公爵家がこっそり彼女を連れ帰ったが、親の期待を裏切った彼女は幽閉されているのだとかを、誰かに聞いた話なんだけれど、と言いながら広め続ける。兵士の監視があるためひっそりと、だが校舎の廊下や中庭の片隅で、エレノアの名は囁かれていた。


 召使の間でも、彼女の失踪は格好の話題だった。本当に何も知らないのか、と私に聞く者もいれば、学園に来て日が浅い者は仕事を放り出してその話ばかりする者まで現れた。

 私たちは教会の貧民救済の一環として集められ、この学園で働かされている。だが、一部の召使が浮かれすぎだと教会からお叱りがあり、全員が週末に王都へ呼び出されたのは、エレノアを匿ってからまだ三日も経っていない頃だった。




 ∮


 


「そういうわけで、明日はここに来れなくなると思う。……退屈じゃない? 今でさえ暇でしょう」


 あの日から、地下室には毎晩顔を出すようにしていた。兵士はまだまだ夜も学園をうろついているけれど、少なくなれば二人で面をして、こっそり外の空気を吸いに出たいなとも考えている。

 学園は王都の外れにあり、教会は王都の中心、王城のすぐ近くにある。その建物は、王城に引けを取らないほど豪華だ。大理石の柱がそびえ、ステンドグラスの窓が昼間なら色鮮やかな光を投げる。教会の力を示すかのように、滑稽なほどに壮麗だった。


 ここには読める本がたくさんありますから、とエレノアは答えたが、すぐに、けれどもし良ければ、王都に行ったら、父に手紙を届けてくださいませんか?と付け加えた。

 彼女をここに連れてきてすぐに、封筒と便箋が欲しいと言われた。その封筒に、白い指がさらさらと何かを書く。便箋を入れ、お願いします、と差し出された。


「この国の、貴族の家に届く手紙や郵便物は、王家や教会に中身が改められています。けれど大きな貴族の家は、独自のルートを持っているんです。この住所宛てに出す手紙は、王家にも教会にも検閲されず、家に届くようになっています。王都の郵便局からこの手紙を出してもらえれば、父に私が生きていることを伝えられるはずです」


「了解。……ああ、でも、一つだけお願いしていい? その手紙には、地下室のことは書かないでほしいの」


 どうしてですか?と首をかしげられ、片手を振る。


「この場所はあまり人に知られたくないの。待ち合わせ場所とかを書いて、私が公爵家の人を確認してから引き合わせるとか……。そんな感じにしてくれると助かるわ」


「わかりました。手紙を書きなおすので、少し、待ってもらえますか?」


「もちろん。クロレディア公爵令嬢……ああ、エレノア様のほうがいいのかしら?」


 エレノアでいいですよ、と、彼女は笑った。


「ありがとう。ねえ、エレノア。手紙を届けるのはもちろんいいけれど、学園にあなたの侍女とかはいないの? そういう人に直接渡した方が、ちゃんと届くんじゃない?」


「侍女は、学園にいますが……」


 エレノアの声が沈む。どうしたの、と声をかけると、椅子に腰かけていた彼女は膝に手を置き、うつむいた。


「家に、手紙が届くかは怪しいです。侍女も、私の友人も、殿下も。わたしの周りの人はみんな、トレエさんのことを好きになるんです。……まるで魔法みたいに」


「トレエって、王子の恋人の?……魔法なんて、何千年前の話よ」


 掌に爪を立てた。わずかな痛みを感じる。


 ――この世界には、魔法が存在する。いや、存在した、の方が正しいだろう。

 遠い昔、地上には魔力が溢れ、魔物が跋扈し、人も魔法が使えたらしい。なぜ魔力が失われたのか、その議論は世界中で尽きないが、正直どうでもいい。

 時が経ち、魔物はいなくなり、人は魔法を使えなくなった。それが全てだ。残るのは世界に点在する魔道具や、魔法をありがたがる国々が必死に崇める、絞りかすのような魔力だけ。


「数百年前なら魅了魔法もあったかもしれないけど、人の心を変えるなんて、今はもうおとぎ話でしょう?魔法崇拝者なんて、コップの雫が垂れるだけで大喜びする連中よ。木の棒を握って光らせて大騒ぎなんて、馬鹿みたい」


「……そうかもしれません」


 彼女の顔が晴れないのを見て、言い過ぎたと反省する。


「……ごめんなさい、言葉が過ぎたわ。せめて、この手紙はちゃんと届けるから」



 せめて家族と連絡が取れれば、彼女も元気になってくれるだろうか。





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