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夜明け





 種が割れた瞬間、催惑樹は動きの一切を止めた。震える手でナイフを鞘に戻しても炎は消えず、燃え続ける樹の白い光に、2人とも包まれている。

 エレノアの手のひらには、半分に割れた種。ぱらぱらと崩れるように、その形を失っていく。

ーーーその全てが消えるより早く、彼女の手首を掴む。


「エレノア、手は?」


「大丈夫です! ちょうど指の隙間を、こう、ナイフの刃がーーー」


 へら、とエレノアが無邪気に笑って両手を見せてくれる。白く華奢なその手には、切り傷一つない。ほのかに汗ばんだ手のひら。


「そ、う…………」


 よかった。本当に。心の底からの安堵が、胸を満たす。

 その瞬間、ぐら、と足場が崩れた。身体が宙に放り出される。咄嗟に伸ばした手が空を切り、地面に落ちそうになったその時ーーー力強い腕が、私の身体をしっかりと支えた。


「兄、さま……」


「大丈夫? ……よく頑張ったね」


 小さく頷く私の身体を、彼は丁寧に地面に降ろした。その腕には、もう木の根の呪縛はない。ナイフを手に入れて、彼の腕に絡みついていた樹の根だけを白い炎で焼き払えるか、すでに試して成功していたからだ。


「エレノア、怪我は?」


 ラインハルト様もエレノアに手を伸ばす。蔦の塊を降りる彼女を、エスコートするようにそっと支えた。


「ありません! ……ラインハルト様?!」


 彼女の無事を確認した直後、ラインハルト様が膝をつき、地面に崩れ落ちた。


「そう、か。よかった……。はは、すごいな、これ。全く動けん」


 彼の声は力なく、額には汗が滲み、普段の姿からは想像もつかないほど、疲弊が色濃く滲んでいた。


「魔力切れ、ですかね。症状は貧血に近いですか? 魔法を持たない人間の魔力切れは、何が失われるんだ……?」

 

「……考えるより早く、起こしてくれないか?」


 兄さまと気軽に言葉を交わすラインハルト様に、エレノアがそっと膝をつく。彼女の細い腕が彼を支え、ようやく上半身だけを起こしたラインハルト様に、エレノアが勢いよく抱きついた。


「ありがとう、ございます……。大好きです。ラインハルト様」


 銀色の髪が彼の肩に流れ、頭が肩口に沈む。ラインハルト様の目が一瞬大きく見開かれ、すぐに柔らかく細められた。


「……俺もだよ。ようやく、ちゃんと言える」


 大きな手が、エレノアの銀髪を優しく抱き寄せた。


「そうだ……王都は……!」


 数十秒の後、エレノアの声にラインハルト様が顔を上げる。遠くで白い炎が揺らめく王都が、夜の闇を押し退けるように輝いていた。




    ∮




 この7日間、王都は聖樹の蔦の動きこそ幾分収まったものの、住人たちは避難を続けていた。かつては朝も夜も絶えることなく人々で賑わった大通りも、今はひっそりと静まり返っている。石畳の道には蔦が這い、家の煙突や壁にまで絡みつき、まるで王都そのものが巨大な生き物に捕らわれたかのようだった。

 だが今、その全てが白い炎に包まれている。熱を持たない、柔らかな光を放つ炎に。篝火を灯した丘から教会に至る道は、特に白い光が強く揺らめき、まるで天から降り注ぐ光の川のようだった。



「……もし俺がこの剣で種を燃やしていたら、やはり今、王都が燃えていたと思うか?」


 家臣に肩を借り、右手で少し短くなった剣の柄に触れながら、よろめきながら歩くラインハルト様が呟く。彼の剣が放つ赤い炎は、触れれば人を焼く熱を持ち、白い炎とは違い、燃え広がりも傷つけもする。

 種が壊れる時に、いま生えている蔦や根はどうなるか、樹の死と共にこうやって炎が王都を包んだらどうするか、と言うのは、この1週間の間に何度も交わした話題だった。


「恐らくは。この国そのものが焼け、今も命が失われていたでしょうね」


 兄さまが答えると、ラインハルト様はぞっとしない話だ、とうめいた。


 王都以外の都市は、国境を除けば根の被害はさほど報告されていない。だが、たったの7日間で王都全ての人が避難なんて不可能だったし、国境の壁のこともある。ラインハルト様が種を割っていれば、炎は容赦なくこの国を焼き尽くしていただろう。


 白く光る地面を踏みしめ、辺りを見回す。蔦に絡まれ、耐えきれず折れた看板。根の力で盛り上がった石畳の道。だが、この蔦さえなくなれば、元通りになるものも多い。白い炎は燃え滓すら残さない――。それは、すでに確認済みだ。


「……すこし分かれて、私はこちらへ行って良いですか?教会を見にいきたいから、あとで合流しましょう」


 ラインハルト様と、なお周囲を警戒する家臣たち、そうして兄さまに声をかける。手が震えた。


「そう?じゃあ一緒に行こうね」


 兄さまは当然のように言った。ついていきますと、エレノアも私の手を握った。




 教会は、もはや目を開けていられないほど白い炎に包まれていた。かつては荘厳な装飾品が輝き、色鮮やかなステンドグラスが光を織りなしていた礼拝堂も、今は蔦に覆われ、床は見える部分の方が少ない。足元は不安定で、よろよろと蔦の塊に躓きそうになるラインハルト様を、臣下とエレノアが支えていた。

 それでもどうにか、時に家臣が蔦を力ずくで引きちぎりながら、中庭へとたどり着く。そこは―――。




「わぁ…………!」


 エレノアが、感嘆の声を漏らす。彼女の瞳が、星のように輝く。

 召使になる前、何度も訪れ跪いたその庭。周囲を高い石壁に囲まれたその場所は、今、白い光に溢れている。庭の中央に立つ樹は、燃えながらもなお荘厳にそびえ立つ。幹は光を宿し、枝は風に揺れるたび、まるで空気そのものが波打つように輝く。

 その様は。



「美しい……!」



 家臣の誰かが思わず漏らし、すぐに口を押さえた。先ほどまでエレノアの命を奪おうとした魔物だ。確かに美しい、などと言うべきではないのかもしれない。

 それでも、本当に。この世のものとは思えないほど、その光る樹は美しかった。白い炎に包まれながら、聖樹はまるで最後の力を振り絞るように、眩い光を放ち続けている。



「…………ふふ」


 ぺたり、と兄さまの肩に額を押し付ける。魔力切れなんて起こしていないのに、身体から力が抜けて、膝をつく。ミラ、と兄さまの穏やかな声がかかる。


「ミラ? 大丈夫ですか?」


 エレノアの心配そうな声も耳に届く。彼女の手が私の肩に触れる。




「やっと」

「やっと、終わった」



 ずっと憎くて、悔しくて。悲しくて、辛かったの。

 けれど、もう終わったの?

 私は私を許していいの。あなたが生きる未来を、信じても良いの。

 視界がぼやけて、滴が頬を伝う。泣いているのか。また。


「ええ。……あなたがいたからです」


 エレノアの声が、そっと響いた。彼女の手が私の手を握る。


「ねぇ、ミラ。私、あなたと過ごす時間が好きでした。地下室で過ごす時からずっと、あなたが会いに来てくれるのが嬉しかった。けれど私はずっと、あなたと、未来の話をしたかった」


 これでやっと、あなたとちゃんと向き合える。エレノアも泣いていた。泣きながら、笑っていた。

 


 ……夜明けが近づく。美しい木が一握りの光になり、それすらも消えていく。


 誰も何も言わず、その光を眺めていた。









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