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怪物の本性




朝靄のなか、教会の門の前で、ラインハルト様に目を見て、問われました。


「エレノア。君がミラを心配する気持ちは分かるが、これから向かうのは聖樹の本体がある教会だ。何が起こるか分からない。それでもついて行きたいというのか?」


「はい、ラインハルト様。どうか、私も連れて行ってください。……私は地下にいた時、彼女のために何もできませんでした。そんなのは、もう嫌なんです。ラインハルト様の仰る全てに従います。決して、勝手に動きません。だから、どうか」


 分かった、と彼は頷きました。

 この場所にミラがいるなら、足を止めることは出来ませんでした。




   ∮




「こ、こ、これは、ラインハルト殿下。突然来られるとは、その……」


「突然? 昨日も俺の部下が訪れただろう。そいつらから教会における召使たちの処遇に関して、既に結ばれた協約に反していたと聞いてな。心当たりがあるだろう?」


 ラインハルト様のお言葉に、教主様の顔は見る間に青ざめました。礼拝堂の燭台の光が、彼の額に浮かぶ汗を照らしています。


「そ、それは……その……」


「お前に聞きたいことはいくつもある。が、それより先にすべき事もあるな……。ミラ・コウンを探せ」


 ラインハルト様の鋭い声が、教会の壁に響きます。後ろに控えていた臣下たちが、迷わず一歩前に踏み出しました。止めようとした教会の神父もいましたが、鍛えられたアルドゥールの騎士たちに敵うはずはありません。空気は、ぴりりと張り詰めました。


「お、お待ちください! ミラなど、あの召使などここには……今、ミラ・コウンと言いましたか?」


「ああ。コウン子爵家の養女で、聖樹のいとし子の、ミラ・コウンを探せ、と言った」


 教主様の表情が変わりました。ギリ、と唇を噛みしめ、周囲を見回します。ですが、教会に配置されている兵よりも多く、鍛えられたアルドゥールの騎士たちを見て、大きく舌打ちをしました。


「神もいないような蛮国の王子風情が……! 我がカミドニアの信仰に、口を出すな……!」


「ようやく本性を現したか。……俺としてもここに長居するつもりはない。洗いざらい話してもらう。……ミラは何処にいる?」


「は! 誰が口を割るものか! あいつはーーーぐっ!」


 憎々しげにラインハルト様を睨みつけ、それでも優位に立とうとした教主様は、瞬く間にラインハルト様の臣下に肩を捕まれ、膝をつかされました。ラインハルト様が剣を抜きます。ごう、と剣から放たれる炎が空気を震わせ、彼の影を揺らしました。


「聞いてはいない。答えろと、命じているんだ。

―――最後だ。ミラ・コウンは何処にいる?」


「クソ!……地下牢に。教会本殿の、地下にいる」


「そうか。……行け」


 教会内の構造をすでに知っていたのでしょう。ラインハルト様の一瞥で、数人の兵士が迷わず右手に進み、薄暗い回廊の奥に姿を消しました。石壁に響く足音が遠ざかっています。


「くそ……! こんなことをして、許されると思うな……!」


「は。許されない、だと?お前たちの神が今すぐ現れて、俺たちを排除してくれるとでも思っているのか。……ついでに聞いておこうか。トレエ・グランツは、お前がグランツ男爵家の養女にした。間違いないな?」


 そうだ、それがどうした!と教主様は吐き捨てました。


「お前は、あれの手先か? ……分かりやすく言おうか。トレエ・グランツが人ではないと、お前たちは知っていたのか」


「……は? お前、何を言っているんだ?」


 冷や汗と怒りの声そのままに、教主様は本当にわからないという顔をしました。その顔に、嘘は感じられませんでした。


「ラインハルト様、それでは……」


「ああ。……面倒だな。この剣で、聖樹を燃やすか?」


「な! お前、何を言っているのか分かっているのか?! 神を忘れた連中が、そのような素晴らしい魔道具を持っておきながら、なんてことを言うのだ?!」


 ラインハルト様の言葉に、冗談の響きがないことを感じたのでしょう。教主様は顔を真っ赤にして叫びました。

 礼拝堂の空気は重く淀んでいます。けれど、私もラインハルト様も、そんなことは気にしませんでした。

ーーー教会の最高権力者が、トレエさんの正体を知らない。それは、彼女の正体は人智の及ばない存在、聖樹ではないかという、裏付けになります。


「……ラインハルト様は、昨晩トレエさんが燃えたことで、樹の力は削がれたと思いますか?」


「多少は。けれど大した影響はないだろう。樹の本体はここにある。……エレノア、くれぐれも」


「ええ。……あなたのおそばに」


 ありがとう、と一瞬だけ、ラインハルト様は優しく微笑まれました。


「何を言っている?! お前たち、訳のわからないことを……! トレエが燃えただと? は! 綺麗事ばかり言っておきながら、アルヴィンの、元婚約者の気に入りの女を殺すとは! 何が善人ぶって召使の待遇改善を、だ。貴様の底が知れるわ! 全くどいつもこいつも……!」


「黙れ。……発言を許していない。何も知らない無能が。お前は、聞かれたことのみに答えていれば良い」


 ラインハルト様の、殺意すらこもった瞳。ひゅぐり、と教主様の喉が鳴りました。広間の静寂が、彼の恐怖を際立たせています。


「殿下! ご報告します、地下牢にコウン子爵令嬢はいませんでした! ただ、地下の一番奥の牢の鍵が開けられており、教会の人間が二人、閉じ込められていました!」


「は、はぁ?! ヨゼフとマイオスが?!」


「だから黙れと言っているだろう。……そいつらの意識は。地下牢の床に異変はあったか?」


「二人は意識を失っており、今気つけを行っております。床に樹の根が這っているなど、異常はありませんでした!」


「そ、んな……ミラは、もしかして、樹の元へ……」


「まだ決めつけるには早い。……だが、ジェイド。教会の中庭、樹本体に変化がないか確認を。任せられるな?」


 はっ!と、ラインハルト様の側近が力強く答えました。ふざけるな、と叫ぼうとした教主様の言葉は、他の臣下に口を抑えられ、遮られます。


「ラインハルト様、私は……」


「君は、とりあえず教会を出てくれ。ここに、長居しない方がいい」






「――――――どうして?」


 ミラがいなくなっているのに去らなくてはいけないのか、と迷い、けれどラインハルト様と約束したのだからと、頷こうとしました。そのとき。澄んだ、けれど猫の鳴き声のような甘えた声が広間に響きました。

 こつり、と足音。石床に反響するその音は軽やかで、けれどだからこそ不気味でした。


「お前はトレエ……ヒィッ?! なんだ、その化け物のような姿は?!」


 教主様が、怯えた声を上げます。ラインハルト様の臣下たちは剣を抜き、緊張と警戒に空気が震えました。燭台の炎が、不自然に揺らめいています。


 そこにいたのは、トレエさんに似た、誰かでした。


「どうして、行こうとするの? やっと来てくれたのに」


 彼女は、甘い声で呟きます。

―――昨日燃えたはずの、トレエさんを模して作られた樹の人形。それが立って、歩いて、彼女の声で話していました。樹の幹のざらつき、絡む蔦。それらが感じさせないかのように、人間のふりをした誰かが、甘い声で、私にだけ話し掛けます。彼女の肌は木の表面のようにひび割れ、目と口であろう部分は不自然にうろがありました。


「あな、たは……聖樹、なのですか」


 私の言葉に、彼女は口のあたりに空いた洞を歪めました。まるで笑うようでしたが、人間の表情ではありませんでした。広間に、湿った土の匂いが漂っています。


「ええ。私は、あなたの番。あなたも、私の番」


「それは、私が、いとし子だからですか?」


「あなたは、ただの餌とは違う。来てくれて、嬉しい。……これで、やっと、やっト、やっと………」


 地面が、ずるりと動きました。……大理石の床が、木の根に押し上げられ、ひび割れています。昨晩とは比べ物にならない気迫。壁に木の根が広がり、天井に届こうとしているかのように上に伸び、空気が揺れました。柱が軋み、ステンドグラスが震えています。


「ミラは……あなたは、ミラをどうしたのですか?!」


「エレノア! ここは駄目だ、離れよう!」


 ラインハルト様に腕を掴まれました。木の根は床の板を更に割って広がろうとしています。足元の大理石はみるみる見える範囲を狭め、太い樹の根がうねっていました。


「……また、何処かに行こうと言うの?」


 ぞわり、と震える声。

―――さらに、大量の木の根が、床に広がりました。


 ラインハルト様が床や壁の根を切り捨てるたび、火の手が上がり、熱風が頬を撫でました。臣下の方たちも剣を振るいますが、どれほど鋭い一閃でも根はわずかも傷つかず、彼らは驚きの声をあげていました。礼拝堂は煙と土と、焦げた匂いで満たされています。


「……火を選ぶの、エレノア? あナたは、こコにいるべきなノに」


「耳を貸すな! ……出口までの道を開ける、俺に続け!」


 ラインハルト様は叫び、扉を塞ごうとする樹の枝を切り捨てます。彼の叫びに、臣下たちの力強い返事が響きました。


 彼が斬った太い蔓や根は、普通の木より早く焼け落ちました。火の粉と熱気を振り切り、ひたすらに走りました。



   ∮




「こ、れ、は……」


 靴は脱げ、裸足で石畳を走りました。火の粉が降り、何度も炎の下をくぐりましたが、痛みや熱さを感じる余裕もありませんでした。ラインハルト様に庇われ、教会の門を出ると。

 王都は、木の根に覆われていました。


 噴水のある広場に続く大通り、礼拝に来た信者向けの商店。それら全てが、錆色めいた茶色の根に絡みつかれています。石畳はひび割れ、建物は蔦に軋んでいました。空には灰色の雲が低く垂れ込め、街が悲鳴と怒号に包まれていました。


「ありえない……。なんだ、この光景は」


 そう、側近の方の一人が、呆然と呟きました。

 根は広がり続けるだけで、人を襲う様子はありません。ですが、街の人々は突然の根と混乱に巻き込まれ、逃げ惑っています。叫び声と根が蠢くきしみ、何かが壊れる音が、ずっと響いていました。


『エレノア』


 ふいに、あの声が聞こえました。


『ここに来て、私のもトに』


 人ではない、恐ろしい声。ラインハルト様には聞こえていないようでしたが、頭に響くその声は、耳を塞いでも止まりません。

 がんがんがんがんがんがんがんがんがんがんがんがん、と私を呼ぶ声は、頭蓋の内側で反響し、息が詰まるようでした。


「もう、嫌………!」


 ラインハルト様は必死に活路を開こうとしてくださいます。ですが、根が、枝が、多すぎるのです。石畳を突き破り、建物を這う根は、まるで生き物のように蠢いていました。


 頭が、おかしくなりそうでした。私は夢を見ているのでしょうか。それとも―――トレエさんの形を真似る樹のもとへ行けば、この悪夢のような世界は終わってくれるのでしょうか。


『こちラへ』


『帰ってキて』


『エレノあエレノアエレノアエれノアエレノアエレノアえレノアエレノア』



「――――――エレノア!」



 涙に滲む視界の中、凛とした声が響きました。


 蹄の音、大きな影が二つ。見上げると、淡い茶色の髪のあなたの姿が。


「………………ミラ?」


 無事だったのですね、とか、どうしてここに、とか。馬に乗った二人は、そんな言葉より早くこちらへ来て馬を止め、不慣れそうによろけながらも、ミラが地面に降り立ちました。


「エレノア、無事でよかった……! 話は後ね。ラインハルト殿下、そして、エレノア。信じて、着いてきてくださいませんか?」


 黄色の瞳を細め、彼女は言いました。怪我はなさそうでしたが、驚く出来事の連続に、私は立ち尽くしてしまいました。代わりにラインハルト様が、彼女に問いかけます。


「ミラ。君はこの根を知っているのか? そうして、そちらの男は―――」


「……疑問が多いのは、当然だと思います。けれど今は、樹が暴走している。一刻も早くクロレディア公爵令嬢を樹に感知されない所へ、連れて行かないといけない。貴女の居場所が分からなくなれば、樹も根を蔓延らせることをやめるでしょう。……殿下。どうかミラの乗っていた馬を使い、クロレディア公爵令嬢と二人で、着いてきては下さいませんか」


 もう一人の男性が、軽やかに馬から降り、ラインハルト様と私にそう言いました。彼はおいで、と呟いてミラの腕を引き、先ほどまで乗っていた馬に彼女を乗せます。自分も同じ馬に飛び乗り、試すように私たちを見ました。


「しかし………」


「分かりました。……ラインハルト様、着いて行きましょう。ミラがそう言っているなら、私は、信じたいんです」


 馬と二人に視線をやり、逡巡するラインハルト様にお願いすると、彼は分かった、と呟きました。

 ラインハルト様に押し上げられ、芦毛の馬に乗ります。


「根は教会を中心に広がっているはずだ。お前達は残って、特に根の多いここの付近の住民たちを避難させろ!」

 

 そう家臣の方に命じた後彼も馬に乗り、手綱を握りました。……かつて私がアルドゥールにいたころ、二人で馬に乗ったことを思い出しました。こんな時なのに、と思いますが、その時の高い視界、思わず見とれた美しい景色を思い出せば、頭に響く声が、少し小さくなった気がしました。


「行きましょう。……王都の外れに、魔物除けのある地下室があります。そこなら、樹もクロレディア公爵令嬢の居場所を感知できなくなるでしょう」


 ミラと共にいた男性が、そう言って馬の腹を蹴りました。動き続ける蔦の中、生えていないところを選び、迷わず王都を離れます。


 ラインハルト様も慣れた手つきで馬を動かし、続きました。蹄の音が、混乱する街の喧騒のなか、響きます。


 ……ラインハルト様の腰に腕を回しながら、あの男性は誰なのでしょうか、と考えました。

 あの線の細い、綺麗な青い瞳をした、黒髪の男性は。


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― 新着の感想 ―
ミラと一緒にいる男性について、色々とどきどきしてしまう。 身分差友情、ミステリー、ホラー、パニックと来てここから物語がどう向かうのか楽しみです。
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