夢通い
*ここから先微ホラー表現あります
「報告を。……見張りの兵は、何をしていた?」
ラインハルト様の声が、冴え冴えと響きました。
家臣の方はその鋭い視線の下、背筋を正しています。
「はっ! 彼女は王都郊外の貴族牢の塔に拘束し、交代で監視を行っておりましたが、次の見張り番の者が来た時には居なくなっていたと……。窓も扉も壊されておらず、現在は周囲の捜索を行っております!」
彼の声には、焦りが滲んでいました。
「そうか。……協力者がいた可能性は?」
ラインハルト様の問いに、報告していた方の後ろから、騎士服を纏った男性が一歩進み出ました。ラインハルト様に近い、側近の方です。
「絶対にないとは言い切れません。しかし、低いと考えます。……塔の周囲は鼠一匹逃さぬよう、厳重に見張っておりました。脱出に協力した者がいるなら、見逃すことはないでしょう。とはいえ、彼女をみすみす逃がし、しかも逃走経路すらまだ確認できていないのは、全て私の責任です。どうか、いかような処罰も」
ラインハルト様は片眉を軽く上げ、静かに彼を見据えました。
「お前が逃すなら手落ちではなく、あの女がそれ以上の何かを隠しているということだろう。あの女の素性と周囲、男爵家が彼女を養子にするまでの経緯、教会との関わりについて、より念入りに調べておいてくれ。逃亡を理由に、グランツ男爵家への立ち入りもだ。……そろそろ、教会に向かわせた連中も戻ってくる」
ラインハルト様はついで、わたしを見ました。鋭さの抜けた、けれどどこまでもまっすぐな瞳です。
「エレノア、トレエ・グランツは君について知りたがる素振りをずっと見せていた。君に伝えはしなかったが、君と会いたい、と面会すら望んでいたんだ。万が一のことがあるから、くれぐれも俺から離れないでくれ」
静かに頷きました。
図書室の地下の調査結果をすぐに受け取れるようにと、私とラインハルト様は、学園で用意された、隣り合った部屋に泊まることになりました。そうして学園で、教会に遣わせた臣下の方々の報告を聞きます。彼らによると教会の者たちはミラについて、知らない、来ていないの一点張りだったそうです。
「彼女はラインハルト様、エレノア様の恩人であり、万が一の事があればアルドゥールは決して彼女を害した人間を許さない。教主にはそう伝えておきました」
報告する臣下の方の声は力強く、しかしどこか苛立ちを孕んでいます。ラインハルト様は顎に手をやり、静かに頷きました。
「そうか。トレエ・グランツについては何を話していた?」
「それなのですが……。彼女は半年前、教会の中庭、聖樹の根本に立ち尽くしていたところを発見されたとのことでした。最初に彼女を見つけた召使を見つけることができ話を聞きましたが、トレエは自分の名前しか覚えておらず、話も要領を得なかったと。……中庭は普段は立ち入り禁止で、入り口には見張りもいたはずなのに、彼女は急に現れたとのことでした。そして記憶がないのであれば洗礼も受けていないのではと考えた教会が聖樹の儀式を受けさせた時、彼女が握った枝はいまだかつてないほど強く光ったそうです。それを見て、教会は彼女を教会に縁ある貴族の家の、養子にしようと考えたのだとか」
なるほどな、とラインハルト様は小さく呟き、目を細めました。窓の外は夕暮れを超えて、校舎の屋根に藍色が広がっています。
「それと、召使の待遇の改善を命じた今も、教会はそれに従う気がないようです。教会の召使達は変わらず面をつけ、仕事の時間や内容も変化はありませんでした。それを堂々と我々の前でも変えないのですから、反発でしょうな」
「チッ……。だがちょうどいいな。それを理由に、明日乗り込もう」
彼は私に視線を向け、穏やかに言いました。
「エレノア、君ももう休むといい」
頷きました。空気はひんやりと冷たく、遠くで鳴る鐘の音が、夜の訪れを告げていました。
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「エレノア様」
名を呼ばれ、振り返ります。そこにはミラが立っていました。暗闇の中、彼女はいつも通りの明るい笑顔を浮かべています。
「ミラ……! 無事だったのですね!」
私は駆け寄り、彼女の手をぎゅっと握りました。
「教会にいたのですよね? 怪我はありませんか?」
彼女もまた、私の手を握り返してくれました。やっと見つけられて良かった、と胸を撫で下ろし、言葉を続けます。
「お父様のこと、聖樹のこと、トレエさんのこと……今日一日で、たくさんのことがありました。でも、あなたが無事で、本当に良かったです……!」
「エれノア様」
ミラは笑顔のまま、私の名前を呼びました。ですが、その声にはどこか不自然な、ぎこちない響きがあった気がします。気のせいでしょうか。暗闇の中ーーー光源なんてないのに、なぜか、彼女の顔だけははっきりと分かります。
「はい……。どうしましたか?」
「エレのアさま」
「わタしの、エレノあさマ」
彼女の手、こんなに冷たかったかしら。そう考えている間に、ぎちり、と。
突然、ミラは、私の両手を骨が軋むほど強く握り潰しました。
「痛っ……! 痛いです、ミラ!」
悲鳴を上げ、手元に落としていた視線を彼女の顔に向けます。
ですが――そこにいたのはミラではありませんでした。
髪型こそ同じでしたが、それはミラではなく、その顔、その身体は、人の体躯ほどの蔦が絡みついた、異形の怪物でした。
「おイで、エれのア」
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「――――――ヒッ!?」
悲鳴と共に、飛び起きました。
そこは学園で用意された私の部屋、柔らかなベッドの上でした。あの後、ラインハルト様と夕食を取り、ベッドに潜り込んだのです。ぜいぜいと荒い呼吸が部屋に響き、心臓はバクバクと暴れていました。窓の外では月明かりが薄く差し込み、部屋の家具に青白い影を落としていました。
どうしてあんな、恐ろしい夢を見てしまったのでしょう。
「ミラ……。どうか、ご無事でいてください……!」
彼女は今、どこにいるのでしょう。私にできることは何か―――。
ふと、地下室の書類のことを思い出しました。あの場所なら、彼女の手がかりが見つかるかもしれません。この国の王族の婚約者として育てられた私には、言語学者ほどではないにせよ、四カ国の言語を読む力があります。少しでもお役に立てれば、きっと彼女を見つける糸口が掴めるはずです。
「…………よし」
そっとベッドを抜け出し、寝間着のまま廊下へ向かいました。目指すは地下室―――ミラがほとんど毎日訪れてくれた、あの場所です。
ミラはきっト、そこにいルはずデす。
∮
東塔の図書室前も、その近くも、人の気配はありませんでした。ラインハルト様の臣下の方々も、今は休息を取っていらっしゃるのでしょう。地下室に辿り着くと、ランタンの光を頼りにベッドの下まで進みます。古い紙の匂いが鼻をつきます。
「違います……。これも違います」
自分の呟きも気にならないほど、ひたすらにページをめくりました。書類のインクはところどころ褪せ、文字が滲んでいるものもありました。それを、必死に読み解きます。
「これでもありません。このままでは、ミラが―――あっ」
声が出たのは、つい手が滑って、資料の一枚がベッドの下に落ちてしまったからでした。
ベッドの下にもぐりこみ、探します。
「ありません、ありません……。これは?」
頭をぶつけ、肩のあたりを何度か擦りながら、ようやく紙切れを取り戻しました。上半身を戻そうとした時、指先が何かに触れ、手が止まります。
「これは……隙間ですか?」
ベッドの底の板に、指先が入るくらいの溝がありました。指を引っかけると、随分と抵抗がありましたが、ベッドの底の板がずれる音がしました。そしてまた、紙のような感触を捉えます。
資料、でしょうか。臣下の方々の報告に含まれていなかったということは、気づかなかったのでしょう。ベッドをずらしてすぐに床下に収納があれば、そちらに注目するのも当然です。
この床下にあるものよりも、重要な書類なのかしら。そう考えながら体を起こし、この紙束は何だろうとランタンをかざして、息を飲みました。
それは、歴代の樹のいとし子に関わるものでした。
それも、何百年と続くこの国の、いとし子たちの絵姿や名前、発現した魔法などが記されているのです。
手書きなのは、ここを知って過ごした誰かが、手ずからまとめたものだからでしょうか。これが本当なら教会すら持っているか怪しいほどの重要な資料に、指が震えます。一番最後のページから読み、ミラの名前も私の名前もないことを確認しました。パラパラとめくって、あるページで指が止まります。
「―――え?」
それは、500年ほど前にいとし子となり、おそらく木に捧げられた女性でした。
可愛らしい容姿に、綺麗な黒髪。彼女の発現した魔法は魅了であり、子爵家の令嬢だったものの、種を飲み魔力を強めたことでその魅力は誰も抗えないものになったそうです。カミドニアの王族はもちろん、他国の有力貴族すら彼女を妻に望みましたが、18歳で失踪。
木に吸収されたのだろうという一文が、端的に、この書類の他の方々と同じ末路を示していました。
そうして、彼女の美しさに心を奪われた画家が、名前と共に精巧な絵姿を遺していたことから、顔と名前を知ることができた、と紙には記されています。
「どう、して………」
けれど、重要なのは、そんなことではありませんでした。
500年前にいなくなった、いとし子であるその女性の名はトレエ。
その絵姿は、アルヴィン様の恋人であり、今は失踪中のトレエさんと、全く同じものでした。