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旅行先はアルドゥール



 


 家を出るとすぐ、ラインハルト様の家臣が待っていました。

 ご報告します、という言葉とともに差し出された紙を見た瞬間、ラインハルト様の表情がわずかに強ばります。


「地下室に、別の資料があったらしい」


「ラインハルト様、それよりも早く教会へ───」


「エレノア、教会に行くのは一日待ってくれ。腐ってもこの国で一番の権力を持つ連中だ。俺たちが聖樹の秘密を握っていると知れば、死に物狂いで抵抗される可能性もある。武力で確実に制圧できるよう、王都にアルドゥールの兵を集める。今、俺と君がのこのこ出向いたら、口封じだってありうるだろう」


 銀色の瞳がわたしを捉え、ついでわたしの拳を見ました。ずっと握り込んでいた拳を、長い指がそっと解きます。


「……わかりました。ごめんなさい、無茶を言って」


「謝らなくていい。焦る気持ちはわかる。それよりこの紙についてだが、地下室に残して調べものをさせていた部下が、床下に隠してあった資料を見つけたらしい。君も一緒に来てくれないか?」


 はい、と頷きました。




 ラインハルト様の家臣の方が見つけた資料は、ベッドの下の空間にあったそうです。地下室に戻ると、ベッドはすでにずらされており、ベッドにあった位置に隠された扉が露わになっています。その下には、確かに人が一人入れるほどの空間が広がっていました。そこに収められていたのは、本棚に並ぶ禁書よりもさらに詳細な、聖樹に関する資料でした。


「凄い量と質だな。さすがはカミドニアといったところか……。うちの国の魔法研究所の連中が見たら、目を輝かせて飛びつきそうだ」


 黄色く変色した紙束をパラパラとめくりながら、ラインハルト様は言いました。魔法に関する言語、呪文学、魔法生物の強弱関係、魔法でしか滅せない魔法的存在について……。貴重な、そして膨大な資料がそこに詰まっていました。


 紙に埃は積もっていたものの、それほど多くはなかったと家臣の方が話します。ミラ嬢も、このベッドの下の存在を知っていたのでしょう、と。


「ドルメニアやガガルチルなど、かなり遠い国の資料もありますね。ミラもこれを読めたのでしょうか?」


「その可能性もゼロではないが……どちらも相当難しい言語だ。資料が下の方に置かれていることから考えても、彼女が読めなかった可能性の方が高いんじゃないか? ただ、彼女の兄である、ゼノン・コウンなら読めたかもしれない。彼が学生時代、この学園で提出したレポートのなかに、魔法語と大陸で使われてる言語の相関についてのものがあった。流し読みをしただけだが、ここにある言語はもちろん、もっと珍しい言語まで触れていた。当然、最高評価を受けていたが、あのレポートを書けるような人間ならば、ここにある文書を全部読めたとしても不思議ではないな」


  ほら、と呟きながら、ラインハルト様はドルメニア語で書かれたレポートの一箇所を指さします。そこには注釈らしい書き込みがあり、その筆跡は、書斎の机にあった書類の最後に書かれていたゼノンさんの署名と、確かに少し似ていました。


「俺個人としては、あれだけのレポートを書ける人間ならば、一度話してみたかったがな……。ただ、ゼノン・コウンについては、既に死んだという前提で考える方がいいだろう」


「ミラのお兄さん……ゼノンさんがいなくなったのはミラが十二歳のときで、同じ年に、ミラが飲むはずだった種がなくなったとお父様は言っていましたね」


「そうだな。その二つが無関係だなんて、考える方が無理がある。それにしても、まだ確認できていない本棚の本も含めれば、相当な量だな。しかも、俺や家臣でも読めないような言語もある。この国の言語学者で使えそうな奴を呼んでもいいが……。どうしたって、時間はかかるだろう」


「そうですね。こんな暗い部屋で……」


 ミラのこれまでのことを思います。私がこの地下室にいた頃は、退屈を感じることもありましたが、夜になればミラが必ず訪ねてきてくれました。他愛もないことや、ラインハルト様について、ランタンの光を頼りに彼女と話をしました。


「……ミラは、今何を考えているのでしょうか」




 ∮




 残りの書類の解読を家臣の方に任せ、地下室を出ました。外はすっかり日が暮れていて、ラインハルト様とこの後について相談しながら廊下を進んでいると、ふいに声をかけられました。


「あの……エレノア様、ですよね?」


「はい。……あなたたちは?」


 そこに立っていたのは、二人の女性でした。糊の効いた新しい仕着せを着ていることから、聞いてすぐに、答えに思い至ります。


「私たちは、学園で働いている召使です。どうしてもエレノア様にお礼を言いたくて」


 彼女たちの着る仕着せには、確かに見覚えがありました。私が召使の待遇の改善を国王陛下に進言してすぐに、彼女たちは顔を隠す面を外すことを決められたのでした。


「あの……ありがとうございます! エレノア様のおかげで、今まで働かされた分の給料が、たっぷり上乗せして払われたんです!」


「本当に!しかも、アルドゥールは約束を守っているか、監視する役人も付けてくれるんですよね? 私たち全員しばらく遊んで暮らせるぐらいのお金を貰えたし、これから学園で働く人は、給料がずっと上がるとか休みが増えたり、勉強に関していろいろ補助があるって聞きました!大体の召使がもう辞めたし、私たちも今週末にはここを辞めて二人で旅行に行くんですけれど、今こうやってお礼を言えたんだから、今週まで残っていて良かったわ!」


 パーッて贅沢する予定です、と言ってから深々と頭を下げる女性二人に、頭を上げてください、とお願いします。彼女たちの明るい笑顔は、ミラのことを考えていた心を、少しだけ明るくしました。


「そうですか。あなたたちが相応しい待遇を受けられたなら、本当に良かったです。……ひとつ、教えてほしいことがあるのですが」


「なんですか? 何でも言ってください」


「ミラのことについて教えていただけませんか? 彼女が、働いていたときの様子とか」


 ああ、なるほど、と。二人の女性は顔を見合わせました。


「うーん……ごめんなさい、私、あの子のことは詳しくなくて、言えることは少ないんです。仕事には真面目でした。すごく古株で、確か十二、三歳くらいから召使してたってどこかで聞いた……。ねえ、ジェシー、ミラが仲良くしてた人とか知らない?」


「全然知らない。あの子、いつも一人だったもの。正直、彼女がラインハルト様の前に出たとき、びっくりしたんだから。しかもエレノア様を助けてたなんて、あんな不愛想な子が……。ああ、でも、教主様には目をかけられてたみたい。定期的に私たちにも、ミラに変わった様子がないか確認するよう言ってたし」


 そこまで話した後、ジェシーと呼ばれた女性は、不愛想、という言葉がミラへの悪口だったと気づいたのか、気まずそうに顔を曇らせます。

 失礼しました。でも、本当にありがとうございました、ともう一度深々と頭を下げ、二人の女性は去っていきました。 


「大丈夫か?」


 彼女たちが廊下の角に消えて、黙り込んでしまった私に、ラインハルト様が声をかけました。


「はい。……でも、私はミラのことを、何も知らないんですね」


 私にとってのミラは、明るく優しい人でした。花の種類に詳しくて、いつも私を気遣ってくれる人。彼女たちが語るいつも一人の人、とは、違う人のようにすら感じられます。

 ……私が婚約を破棄されて、彼女に助けられるより前のミラは、どのように過ごしていたのでしょう。早朝から夜遅くまで働かされて、残りわずかな夜の時間を地下室で過ごしていたとしたら。誰とも話さず、孤独なままだったとしたら。

 そして今も、彼女が一人きりでどこかで過ごしているとしたら。

 昨日まで共にいたあなた。顔も、声も、考えるときに顎に手をやる癖があることも、今もはっきりと思い出せるのに。


 俯いたちょうどその時、廊下の角からラインハルト様の家臣の方が現れました。


「殿下! ご報告が!」


「なんだ?」


「本当に申し訳ありません。拘束中だったトレエ・グランツ男爵令嬢が、いなくなりました!」






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