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何も知らない

 

 


 ぱちり、とエレノアの大きな瞳が瞬いた。青い瞳が一瞬翳り、それを隠すように笑みを浮かべる。

 おかえりなさいミラ、と何度も温かく迎えてくれた、誰の心も綻ばせるような笑顔。悲しみを秘めて、それでも見せないようにしていると分かって、胸が苦しくなる。

 遠くから聞こえる鳥のさえずりが、静かな部屋に柔らかく響いていた。


「そう、ですか……。ごめんなさい! 急に、違う国へ、なんて……。あの、それでもせめて、私がカミドニアにいる間は、こうやって一緒に話したり、食事をしても良いですか?」


 その声は明るく振る舞おうとしていたが、言葉の端々の寂しさを隠せていなかった。彼女の細い指が、無意識かテーブルの縁をなぞる。


 もちろん、と頷いた。ごめんね傷つけて、と言えない謝罪を心の中で呟きながら、靴底で踏み潰す。

 共に夕食をとり、デザートの最後のひと口を飲み込んだ。フォークをテーブルに戻しながら、地下室での暮らしに比べたら、今はずっと素敵よねと呟いた。


「それでも、わたしはあの地下室の日々も、とても好きでした」


 そう、エレノアは笑みを浮かべる。


「実は……わたしはあなたと出会う前、人と話すことを怖いと思っていたんです。皆がトレエさんを好きだと言っていたけれど、わたしは同じになれなくて。そう考えていることが周囲にバレたらどうなるんだろうと、そればかりで。だから、地下で1人でいることは苦ではありませんでした。それにあなたが訪れてくれること、持ってきてくれるいろいろなものや、それ以上にあなたの心遣いが、本当に嬉しかったんです」


「…………そう。少しでも、あなたの役に立てていたなら、よかった」


 あなたに渡せるものがあったことが、ただ嬉しい。

 夜になると、ミラ、眠るまで私の部屋で過ごしませんか?と言われて頷く。ハーブティーを飲みながら地下室での思い出話や上手になった刺繍の腕について、思いつくまま話していると、彼女の瞼は、ゆっくりと、うつらうつらと落ちてくる。


「眠いの?……ほら、もう寝なさい。おやすみなさい」


「ええ。……ミラは、いつもそう言ってくれますね」


 天蓋付きのベッドに彼女が潜り込むから、その肩まで毛布をかける。


「おやすみなさいって言って、毛布をかけて、肩をとんとんって。……私、あなたにそうして貰うのが好きです」


 むかし、お母様にそうしてもらったことを、思い出します。眠いのだろう、小さな、とろりとした声だった。



「……………………そう。なら、よかった。わたしも、こうしてもらった事があるから」


 その言葉は、眠りに落ちる寸前の彼女には、届かなかっただろう。


 ……器用に針を操る指先。とても頭がよくて、すらすらと詩歌を諳んじられること。夜風に揺れる花を、愛おし気に眺める瞳。思い出すのは、そんなものばかりだ。

 拳を握る。ーーー最後に相応しい、素晴らしく、優しい時間だった。

 手の甲に滴が落ちて、シーツにしみこむ。彼女の寝顔がぼやけて、理由に思い至る。


「…………なんだ」


 私、まだ泣けたのね。




 ∮




「どの面を……どんな顔をして戻ってきたんだ、ミラ!貴様がクロレディア公爵令嬢を匿っていたのか、この裏切り者、恥知らず、育てられた恩を忘れて、地獄に堕ちろ!」


 教主の声は怒りに震え、顔は赤く染まっていた。教会の礼拝堂は教主の怒声が壁に反響し、空気は重苦しい。燭台の炎が揺れ、男の顔に影を落とす。


「ふふ」


「ふ、ふふふ……バカみたい」


 この男は、教会の権力の強さゆえに、自らより下の国王がエレノアに謝罪したと考えているようだけれど。お前たちはもう見限られていると知ったら、どんな顔をするだろうか。許されないから、謝罪すらさせて貰えないと。

 そうしてアルドゥールは大国で、その王太子は賢く鋭い。すぐにお前たちの所業に気が付くだろう。あの子がアルドゥールに渡った後に。


 目を吊り上げる男の顔に、思わず笑ってしまった。私が本当に、ずっとお前達を、聖樹を、神を信仰していると思っていたなんて。

 教主の顔がさらに歪む。怒りが頂点に達しているのがわかった。


「ふ、ふふ……。教主様。ラインハルト様は、あなた達がクロレディア公爵を気に食わないから、エレノアの死を隠蔽したと考えているようだけれど。本当はあなたは、あの子―――エレノアは、聖樹に捧げられたのだと思っていたのでしょう? 彼女がもう18歳を越えていたから、種が失われてもいとし子を捧げられたのだと安心していた。だからあなたも王家も、彼女を失踪扱いにして、今まで通り無かったことにした。そうでしょう?……残念ねぇ、そうじゃなくて」


 私の言葉に紅潮した顔は、赤黒く変わる。


「貴様……! 孤児の分際で、与えられた恩を忘れたのか!」


「恩? あなたたちへの恩なんてあったかしら。ふふ、冗談よ。いるから今、ここにいるんじゃない。……あの子はもうラインハルト様といる。あなた達如きでは絶対に手出しできないところに。なら、もう捧げることが出来るのは、私しか残っていない。そうでしょう?」


 笑えるくらい、教主の顔も、仕草も、滑稽だった。


「連れて行け! 牢にぶち込め! 全く、どいつもこいつも…!」


 召使ではなく、ジャラジャラと装飾をつけたカソックを着た教会の人間が、私の腕を掴んだ。その痛みを無視して、壁の彫刻に視線をやる。


 ーーーーーーざまあみろ。




 ∮




 凛とした空気が綺麗で、そうしてふとした瞬間に浮かべる笑顔が、とても可愛らしい人でした。

 朝目を覚ますと、ミラはいなくなっていました。自分の部屋に戻ったのかしら、と思って朝の準備をしてから3つ隣の部屋に声を掛けると、部屋はもぬけの空です。


 朝食の席にも現れず、ミラはどこにいるのでしょうか、とラインハルト様に尋ねると、彼は不思議な顔をしました。


「臣下から報告があった。……彼女は早朝、王城を出たと」


「そうなんですか。用事や、買いたいものでもあったのかしら?」


「彼女は、教会に向かったそうだ。自分の足で向かったのだからと、臣下も止めはしなかった」


「教会、ですか……? どうして」


 彼女は教会の召使でした。けれどいま、アルドゥールと教会の仲は、良好とは言えません。もし、彼女の身に、なにかがあったら。


「そうだ、ミラには家族が、お兄様がいると聞いています。お兄様のために、彼女が教会に行った可能性はありますか?大切な人だと、話していたんです」


 アルドゥールにともに来てほしいと伝えて、断られた昨日の夕方を思い出します。この国を離れたくない、と言った彼女。大事なお兄さんが教会で働いていて、会いに行ったのかもしれません。ちくりと胸を刺すものを考えないようにして言うと、ラインハルト様は、遠くを見るような瞳をして、私に言葉をかけました。



「そのことなんだが。ミラの家族についてはこちらでも調べさせてもらっていた。……エレノア。君はミラがコウン子爵家という家に引き取られた、貴族であったことを知っているのか?」


 え、と驚きの声が漏れました。そんなこと、一言も聞いていませんでした。


「家族についてもだ。今君はミラにお兄さんがいると話したが、ミラのお兄さんは……コウン子爵家当主のたった一人の子供、彼女の血の繋がらない兄に当たるゼノン・コウンは、すでに死んでいる」




「ラインハルト、様。なに、を、おっしゃっているんですか?」


 新月の夜、一緒に花壇を歩いて、兄がいるの、この世の誰より格好よくて素敵な人よ、と本当に愛おしげに話していたミラ。


「隠すつもりはなかった。君にちゃんと彼女について話したいと……。その前にこちらで集められるだけ情報を集めておかなければいけないと思っていたが、ミラがいなくなってしまったことを考えたら、明らかに失策だった。……けれどあまりにも彼女について、そして君を助けるまでについて、わからないことが多すぎるんだ」


 ラインハルト様は私と目を合わせて、そうおっしゃいました。


「まずは君が匿われていた地下室についてだが、あの場所に君は読まないで欲しいと言われていた本が、多くあっただろう。あれはすべてこの国では禁書とされるもの……。この国の魔法文化や教会について、否定するものばかりだった。ご丁寧にタイトルや著者の名前は削られたり、本の中身をよく読み込まないとわからないようになっていたが。そうして教会とミラを養子にしたコウン家は強いつながりがあったこと、コウン家ももう取り潰され、存在しないこともわかっている」




 なぁ、エレノア。

 彼女は、ミラ・コウンは、何者なんだ?




「ミラは良い人です!……彼女はずっと私を助けてくれたんです。あんなに忙しくて、なのに食事も何もかもわたしを優先して、自分をおろそかにしてしまっても、ずっと……!」


「知っている。間違いなく君にとっても、俺にとっても恩人だ。だが、わからないことが多すぎる。彼女についても、この国についても。―――エレノア。俺は、君を愛している。君が生きていると知った今、二度と失いたくない。共にアルドゥールに来て欲しいという気持ちは、今も変わっていない」


 この場所で、こんな状況で伝えるつもりはなかったがな、とラインハルト様は言いました。……そのお言葉に、もう驚きはありませんでした。彼がカミドニアで私を探して下さったこと、私を見る、その瞳の優しさ。ラインハルト様からの手紙が、頂く言葉が、本当に優しく、誠実で、真摯なものばかりだったこと。

 その全て、暖かな感情によるものと、知っていました。


「ありがとう、ございます。でも、わたしはこんな形で彼女と、ミラと、お別れしたくありません」


 一度アルドゥールに行くと伝えておきながら、我儘だとは分かっていました。ごめんなさい、と俯く私に、けれどラインハルト様は頷いて、また、優しい目で私を見ました。


「分かっている。君が、そう言うであろうことも。なら、共にこの国の真実を暴こう。そうして答えを知って、彼女を取り戻そう。その時にもう一度、俺の言葉に返事をくれないだろうか」


 はい、と頷きました。


 凛とした空気が綺麗で、そうしてふとした瞬間に浮かべる笑顔が、とても可愛らしい人でした。星の下、花壇の縁をつま先立ちで歩くあなた。ランタンひとつっきりの光のもと、穏やかに笑う、その顔も。

 とても優しい、わたしの恩人。そうして、友人と呼びたい人。


 あなたは―――いま、なにを、考えているのですか。








次話よりしばらくエレノアの視点になります。






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