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相応しき日々



「――――――は?」


 エレノアの頬が、ほのかに赤く染まった。


「なぜ?」


 ラインハルト殿下の表情は、変わらなかった。


「ああいや、否というつもりはないんだ。正直なところ、クロレディア公爵家よりも俺の傍にいる方が、エレノアの身の安全が保証できることは間違いない。エレノアが良いならば、王城で俺の隣の部屋を用意させよう。鍵はあるし、エレノアの許可なくして開けないことも誓おう。……エレノア、君もそれで良いか?」


 彼の声は穏やかで落ち着いていた。部屋の片隅で揺れる燭台の炎が、その表情を柔らかく照らす。


「え、ええ……。あの、ミラ。あなたは、これからどうするつもりなんですか?」


「私? 別に、いつも通りよ」


 軽く肩をすくめて答えた。


「……君のことは、学園の多くの生徒が知っている。余計な諍いに巻き込まれることもあるだろう。君がいいなら、エレノアの部屋のそばに君の部屋も用意しよう」


 ラインハルト殿下が、静かに提案した。心から私の安全を気遣ってのものだと分かって、瞳を伏せる。


「…………なら、お言葉に甘えさせてください」


 正しいマナーも、言葉遣いも記憶の彼方だ。不躾な召使に、彼は驚くほど寛容だった。

 ……だからこそ、探るような視線を居心地悪く感じる。もっとも、そうなるようなことを言い出したのは私自身なのだけれど。




 ∮




 今まで働いていた、王族だって通う学園の貴族の寮は格式高く、美しい場所だった。けれど、カミドニアを簡単に左右できる王太子様と、彼の大切なエレノアのための部屋は、王城でも特別素晴らしい、貴賓室が用意されていた。

 しかも恐ろしいことにラインハルト様は私も恩人だからエレノアや自らと遜色ない対応を、と言っていたらしく、下働きのミラは、たった一晩で王城の執事や侍女───ちゃんとした身分の、人に仕えるプロ達がちやほや顔を洗う湯まで用意してくれるような身分に、なってしまったのである。


 まずはふっかふかのベッド。おそらく絹でできた滑らかなシーツが敷かれ、厚い羽毛布団に潜り込むと、三秒も経たずに深い眠りに落ちることができた。部屋の隅には彫刻が施された木製のドレッサーがあり、銀の鏡の上には繊細なガラス瓶に入った香油が並んでいた。窓からは庭園の緑が覗く。


 食事もまた、驚くべきものだった。エレノアは毎日のように一緒に食べましょうと誘ってくれたが、今までの食事はパンにスープがあれば上等で、食器といえばスプーン一本がせいぜいだった。それが長テーブルの左右に手の指より多いカトラリーが並べられ、料理も見ているだけで冷汗が出るような豪華なものに変わる。

 最初は圧倒されて腹痛を理由に逃げ出そうかと思ったし、この国でも有数の高貴なお嬢様の前でテーブルマナーを披露するなんて、と食事の最中に目が回った。

 そこでエレノアに次からは一人で食事を食べたいとお願いすると、カトラリーはナイフ、フォーク、スプーン一本ずつに減り、メニューもカトラリーに合わせたものに変わった。それでも味は変わらず驚くほど美味しく、皿に盛られた名前もわからないような魚料理や新鮮な果物の香りが食欲をそそる。


 エレノアも同じものを用意されて、いや私のためにアルドゥールの王太子の想い人の食事のランクを下げるなんて殺されない?と思ったけれど、彼女はこういった食事も楽しいです、ととんでもなく美しい手つきでカトラリーを操る。

 部屋には地方特産のハーブティー、化粧品まで用意され、その効果は鏡に映る自分を見て、こんなに顔色が良かったかしら、と思うほど。

 だが、そんな変化もエレノアに比べれば些細なものだろう。


「あなた、本当に美人ね……」


 エレノアは地下での過酷な生活から解放され、以前とおなじ待遇を取り戻したことで、その美しさはさらに磨きがかかっていた。銀髪は陽光を受けて輝き、白い肌は絹のよう。

 ラインハルト様が次々とドレスや宝石を持ってくるし、彼女も制服や仕着せから解放されたけれど、ミラ、このドレスにはどんなアクセサリーが似合うと思いますか?と尋ねられた時には、私の貧相なセンスを頼らないでと内心で叫びそうになった。し、ちょっとうめいた。

 結局、紺地に銀糸で花の刺繍が施されたドレスにサファイアのピアスと高いヒールの靴を選んだが、完成したエレノアの姿はあまりに美しくて膝から崩れ落ちる。

 無論、彼女の姿を見たラインハルト様とは、無言で二人で頷きあった。素材が最高って最強!


 エレノアには私なんかではなくラインハルト様と一緒にいて欲しいし、彼が贈り主なのだから、ドレスの組み合わせは彼が選ぶべきだ。そう心から思っているけれど、彼は彼で、忙しくしているようだった。


 ―――彼は舞踏会のあの夜、間違いなくアルヴィンを殺すつもりだった。

 側から、というより一般的に考えれば、それは紛れもなくアルドゥールからの侵略行為なのだろう。アルドゥールに逆らっても、害をもたらしてもいないカミドニアの王族を、憎しみのために殺そうというのだから。

 エレノアはアルドゥールに深い血縁を持つわけでも、ラインハルト殿下と将来を誓い合っていたわけでもない。彼の行為は横恋慕からの殺人であり、正当性のない侵略になる筈だったのだ。


 けれどその盤面は、エレノアが生きていた事でひっくり返った。

 彼女が生きて、しかも待遇はともかく読書に集中できるのは久しぶりでした、刺繍も沢山できてこんなに上手くなりました、と悲壮感ゼロで元気いっぱいだった事で、怒れる大国の王太子様は、もとの人格者に戻った。


 侵略は直ちに中止。ただし婚約破棄をしたアルヴィンへの怒りは普通にあるのでどうしようかな、というのが今のカミドニアの現状らしい。


 ちなみに婚約破棄の夜に地下牢に忍び込もうとしたクズ二匹については、すでにラインハルト殿下に伝えてある。殿下とその側近は情報に深く感謝を述べてくれたうえで、厳格に対処する、家は取り潰しだし、本人は重い罪を科す、と話した。

 鉱山とか金糸雀とか話していたけれどよく分からない。ラインハルト殿下に知りたいなら教えるがと言われたが、思いっきり首を振った。怖いもの。

 今はアルヴィンを始めとした学園や教会の人間たちについて、誰がどのようにこの一件に関わったのか、エレノアの失踪を隠蔽したのは誰かなど、詳細を知るための捜査が始まっている。


 ───アルヴィンの恋人、トレエは今のところ、大人しく調査を受けているらしい。聞き取りにも持ち物などの確認にも、素直に応じているそうだ。

 ただ、一点気になるのが、彼女はしょっちゅう、エレノアの居場所を聞きたがっているらしい。

 誰も教えないが、それでも構わず、アルヴィンのことも自分のこれからも気にすることはなく、ひたすらにエレノアがどこにいるのかを知りたがっている、と聞いた。


「………………伝えないでくださいね」


「無論だ。───彼女については報告書が上げられているが、気味が悪いな」


 エレノアとラインハルト様二人のお茶会で、なぜかエレノアが私も呼んで、三人でテーブルを囲んだ時のことだった。エレノアが離席し、ふいに二人になったタイミングで、彼にそう言われた。


「クロレディア家でエレノアが父に送った手紙をトレエに横流しした者も見つかったが、そいつもトレエは悪くない、の一点張りでな。トレエにエレノアについて何かあれば教えてと言われていた、彼女は心配そうだった。お嬢様が生きていると知れば喜ぶと思った、手紙も欲しいと言われたから渡した、だそうだ。似たように、異様にトレエ・グランツに好意を持っている人間は学園にもいた。だが、いずれも以前より、エレノアと距離の近い者ばかりなんだ。これではまるで、トレエは第三王子の恋人となり、その結果婚約者のエレノアと関わるようになったというより───」


「……トレエ・グランツはエレノアと接触したがっていて、その手段としてアルヴィン殿下の恋人になったようだ、と?」


 ああ、と彼は頷いた。銀色の瞳は遠く、鋭い。


「記憶がない、など怪しいものだ。君はどう思う? 彼女は教会の関係者で、君も教会の人間だったのだろう」


「…………トレエ・グランツが教会に現れたころ、私は学園で働いていましたから、教会での彼女については何も知りません。教会についても……。私があの場所で過ごした数年よりよほど多くを、すでにアルドゥールの方々は知っていると思います」


 本当に。圧倒的な力の差をもってアルドゥールは教会でも捜査を行っているが、裏金だの賄賂だの身分の低い信者を使っての強制労働だの、私が教えられただけでも、教会の悪行は出るわ出るわという感じだった。……鼠一匹がこそこそ数年這い回るよりも、大国の権力の数日の方が勝るのは、少し、呆気ないような、虚しいような気持ちもあるが。


「そうか? 君なら何かを知っているかと思ったんだが。ああ、そういえば。君はエレノアにテーブルマナーは自信がないと話していたそうだが、十分に振舞えているな」


「…………学園で、貴族の方の振る舞いを見ていましたから。そのおかげかもしれませんね。……グランツ男爵令嬢についても、本当になにも分かりませんが、彼女は大人しく取り調べを受けているのでしょう?好意を抱かせる何かがあるとしても、空を飛べるわけでも、千里を一日で駆けられるわけでもない。なら、エレノア様が彼女と二度と関わらなくてすむ国に行かれれば、それで終わりなのでは、とは思います」


「…………エレノアから聞いているのか? 俺が彼女に、共にアルドゥールに来てほしいと伝えたことを」


 いいえ、と笑う。ただ昨晩彼女が頬を赤らめて、両手で顔を覆っていたところを、ちらりと見ただけだ。


「返事について彼女はなにか、………いや、君は聞いたとしても、俺には言わないか」


「ええ。───私は、あの子の味方ですから」


 好きな人が、故郷に共に来てくれるか。それを気にする彼の姿は、とても尊い身分の方である、ということを知っていたとしても、どうしても微笑ましかった。

 エレノアから相談はされていないけれど、確信している。お腹が痛くなりそうなほど豪華な日々は、もう直ぐ終わる。彼の申し出を受けて、もうじき、エレノアはアルドゥールに渡る。


 早く、その日が来ればいい。






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