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プロローグ

 


「エレノア・クロレディア! お前との婚約を破棄してやる!」


 あらまあお盛んなことで。べつに盛んと言ってもこの場で荒いのは王子様の鼻息くらいで、カミドニア王国の貴族のみが通える学園、そのパーティとは名ばかりの着飾った無礼講、羽目を外すはずだった夜に浮かれた生徒達は、今は静まり返っているのだけれど。

 燭台の明かりが彼らのアクセサリー、刺繍されたドレスや正装の裾を照らす中、グラスを手に談笑していた人々は、今や息を呑んで広間の中央に視線を向けている。豪勢な食事や香水の香りが薄く漂う会場に、王子の声が鋭く響き渡った。


 金髪碧眼の美青年ーーーこの国の第三王子は、学生たちの衆目を一身に集めていた。彼は隣に寄り添う少女の腰をしっかりと抱き寄せ、形のいい唇から言葉を続ける。


「お前のような呪われた娘は、俺には相応しくない! 俺はお前を捨て、可愛いトレエと結婚する!」


「そんな……アルヴィン様、それは陛下や王太子様も承知の上でのことなのですか? 少なくとも父は、クロレディア公爵家はそんなこと、一つも」


「ええい黙れ、俺の伴侶を俺が決めて何が悪い!口答えするなど生意気だぞ!召使、この女を地下の懲罰室に連れて行け!」


 懲罰室、の言葉に周囲はにわかにざわついた。数十年前までは素行不良の生徒を閉じ込めるために使われていたというその場所は、学園の離塔の地下にある。湿った石壁から滴る水音、埃とカビが混じる空気は暗く、寒く、不気味ゆえに、普段は誰も近寄らない。せいぜい、ささやかな刺激を求める学生達が、肝試しや度胸試しに訪れる程度だ。

 少なくとも、いまエレノアと呼ばれた少女、第三王子の婚約者という高貴な身分の令嬢が放り込まれていいような場所ではないだろう。


 嘘でしょう、と誰かが呟き、近くにいた誰かも、そんなことをしたらどうなるか、と肩を震わせた。当然だ。たった今、アルヴィン様とやらが叫んだ婚約破棄を王家が認めていないとしたら、第三王子の独断で婚約者を懲罰室に幽閉するなんて事実が公になれば、大問題になる。

 見物していただけならまだしも、王子に協力して令嬢を閉じ込めるような真似をすれば、一巻の終わりだ。


 だが、この場で一番の権力者は第三王子だ。馬鹿らしいことに、どんなふざけた命令でも、この国の王族が命じる以上、ここにいる全員が従うしかない。

 王子が召使に命じた瞬間、後ろに控えていた側近兼友人たちは、あからさまに安堵の表情を浮かべた。舌打ちしたくなるのを抑える。誰も私の顔を見ていないのだから、音さえ立てなければ、しても構わないのだけれど。


 ーーー召使、それが私たちの役割だ。教会のありがたーい貧民救済策の一環で、孤児や平民が由緒正しい貴族の学園で、貴族の学生たちに奉仕することを許される。

 奉仕とは下働きのことだから、食器の片付けから窓拭きまでこなし、朝5時から夜の22時まで働いて、月に貰えるのは銀貨2枚とわずかな銅貨。働きが認められれば貴族の家に仕えられるかも、と教会は言うが、貴族の生徒たちは私たちの顔も名前も覚えない。召使の大半にとっても、貴族達の爵位や家名なんてどうでもいい。

 学園で働くとき、召使は指定の仕着せと目元だけを切り取った布で顔全体を覆うことを強制される。顔も見せないのに気に入られるかもしれないなんて、笑える話だ。こき使われ、病気になったり使えないと判断されれば、あっさり捨てられる。それが私たちだった。


 今、私が身につけているものと同じ面で顔を隠した召使2人が、エレノアと呼ばれた少女の手を掴む。やる気のなさを、とろとろとした足取りが物語っていた。彼女の細い腕は、抵抗する力もなくただ引かれていく。


 私たちは顔のない道具で、動く家具以上でも以下でもない。王子に命じられれば火の輪くぐりでも、3回回ってワンでもやるしかない。それが公になれば処分されるであろう、貴族を牢に閉じ込めることだって。

 銀髪の令嬢の姿が会場から消えていく。私はその姿を、目元のあたりが切り取られた面越しに眺めていた。


「ふはは、これで俺とトレエの邪魔をするやつはいなくなった! ……トレエ、これで俺と結婚してくれるだろう?」


「アルヴィン様、懲罰室はどこにあるのですか?」


「ん? ああ、離塔の地下室だ。それよりも――」


「そうですか」


 満足げに笑う王子は腰を抱いていた少女ににやけた顔を向け、求婚された緑がかった黒髪の少女は、柔らかく微笑んで応える。


「そこならきっと人が少ないわね。ありがとうございます」


「そうか、喜んでくれるのか! 俺も嬉しいよ。さあ、二人で素晴らしい未来を語り合おう!」


 令嬢の腕を引き、王子も会場を後にする。取り巻きらしい数人の男たちも、二人の後を追うように消えていった。

 渦中の人物たちが去っても、起こった事実は消えない。騒がしさが戻った会場では、着飾った生徒たちが思い思いに感想を漏らした。召使いは動く家具のようなものだから、これを話してはまずいかも、というような話も、彼らは私たちの前で平気で口にする。


「さっきの、凄かったわね……。アルヴィン様、すっかりトレエさんに夢中だったもの。クロレディア公爵令嬢を切り捨てるきっかけを、ずっと探していたわ。ついこの間、アルヴィン様はご友人たちとトレエさんと、カルド地方に出かけてらっしゃったでしょう?その時告白した、彼女からも了承をもらえたって、色々なところでお話されていたわ」


「生徒会の皆さんもトレエさんに夢中だったけれど、彼女はアルヴィン殿下を選んだのね。 フレンツ公爵子息も、騎士団長の息子のゲネオス様も、みんな彼女にアプローチしていたし……。ああけれど、だからといってあの人たちが、トレエさんを諦めると決まったわけではないのよね。見て、フレンツ様やゲネオス様の婚約者たちの顔。真っ青よ」


 くすくす、きゃらきゃら。可愛い顔して可愛くない話をしていると思いながら、もちろん声は出さない。空になったグラスを集め、トレンチに載せて会場を出て、キッチンに向かいながら考える。

 少し驚いたけれど、私には関係のない話だ。フレンツやゲネオスの顔もわからないし、彼らの婚約者だってどうでもいい。


 けれど、とふと思う。見上げた月は不吉なほど細く、薄い雲に半分隠れていた。


 けれど、けれど、エレノア。そうかーーーあの子は、そんな名前だったのか。


 ーーー綺麗な銀髪だなと、それだけだった。半年前、校舎でプリントの束を抱えて歩いていたとき、突風に紙が吹き飛ばされた。通りすがりの銀髪の少女が、それを拾うのを手伝ってくれたのだ。

 ありえない話だった。貴族は私たちを使う立場、叱咤する存在だ。どの召使に話しても信じないか、耳を疑うだろう。

 けれど彼女は大丈夫ですか、と近づいてきて、まだ舞う紙を追いかけ、最後の一枚が私の手に戻ると、随分遠くまで飛びましたね、花の散り際みたい、と笑いかけた。てらいのない笑顔、無邪気な子供のような表情を向けられたのは、本当に久しぶりだった。


 それだけ。それだけのことが、いつまでも頭に残っている。だからパーティの残りの時間、ずっと彼女のことを考えていた。物を運び、グラスを回収しながら、クロレディア公爵令嬢の名が出るたび、聞き耳を立てていた。


 夜会が終わり、貴族たちは去る。

 婚約破棄の一件を除けば、表向きはつつがなく終わりを迎えた。片付けを終え、学園の隅にある召使用の寮に戻る。食堂の木テーブルに皿を置き、パンを2個取った。部屋は湿った空気がこもり、面を外した召使たちが、ああ、今日も大変だったと軽口を叩き、貴族の態度に文句を言う。その姿を眺めていると、まとめ役らしい一人が紙片を手に、台に立った。


「各々の仕事は終わっているな? 明日の分も漏れがないように。……クロレディア公爵令嬢のことだが、食事は運ばなくていいそうだ。一応逃げ出さないように、誰か見張っておけだと」


 はぁい、とやる気のない返事とともに、召使の一人が椅子に座ったまま、ぱたぱたと足を揺らす。近くの席だったから、可哀想にと呟く声も聞こえた。


「あそこ、ほんっとうに汚いわよね。もうずいぶん使われてないみたいだし、貴族のお嬢様が一晩過ごすなんて、考えただけで失神するか死んじゃうんじゃない?」


「ずいぶん寒いしねぇ。……なぁにジェシー、同情してるの?」


「まさか。普段良い場所で寝てるんでしょう? 私たちの藁のベッドとどっちがマシかって思っただけよ」


 王子様の命令なんでしょう? 勝手なことして文句言われたくないわよ、と肩をすくめる赤毛の娘に、向かいの娘もそうよねぇと頷く。


「見張りは誰にするの? 私は無理よ、夜の見回り番があるんだから。明日休みの人が良いわよね。ええと……ミラ」


 彼女たちは面をしていないから、うげ、という顔がはっきり見えた。


「わかったわ」


 パン二つを皿に載せたまま、扉に向かう足を止めずに返す。バタンと扉が閉まる音の後、愛想のない子、という声が聞こえた。

 自室に戻り、パンを腹に収める。窓のない部屋はランタンの明かりが唯一の光源で、壁に私の影を長く映す。埃っぽい空気が鼻を刺した。


 さて。見張りの役目をこなさないと。



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