九『ある晴れた昼下がり』
商業の街ラニット。先日のホブゴブリン討伐により、鉢合わせをするルート上にた商団は予定していた到着日、潤沢な荷を守ったままラニットに到着した。
街は活気づき、これは何日も持つだろう。
サジはぶらぶらと歩いていると、火器を扱う商店に出会う。
「よっ、久しいな。弾薬を補給したい。それと目つぶしもありゃ嬉しいな」
荷を整理していた商人は手を止めてサジの顔を見ると久しぶりの再会に喜んだ。
「よぉ、相変わらずだな!あいよ、その二つならこんなもんだな」
「んっ、じゃあこいつで。余りは弾薬で調整してくれ」
それから少々の世間話を交えた後、サジは商店を発った。
商人やある程度の富を持つものにとって今回の討伐が恩恵のあるものであっても、それは決して街全体の繁栄に繋がるわけではないことは下級市民の現状が示していた。一歩でも路地に踏み入ればそこには薄汚れた者たちや怪しげな商売人たちのやり取りなどいつもの光景が広がっていた。
ふと、怪しげな男が近づく。
「・・・」
路地を真っすぐ進んでいくと、後からだんだんペースを上げながら近づいてくる男がいた。
サジはあえてペースを変えずに歩いた。
わずかにナイフを取り出す音がする。サジが角を曲がった瞬間、男はナイフを構えて走りだした。
強烈な音と鈍い痛み。男は角を曲がった直後に銃のグリップで殴られた。
「っ!」
反撃の隙も無く男は武器を払われ、手を拘束されて壁へと押し当てられる。
「よぉ、喧嘩は相手を見てやれよ」
しかしそれ以上の追撃は無く、サジは適当に男をあしらうと、そのまま手をひらひらと振って去ってしまった。
呆気に取られた男はそのまま地面に立ち尽くし、すぐに自身の無力さに悔やんだ。
重症なのは街か世界か・・・。
「情報屋のサジで間違いないか」
「今度はなんだ・・・」
サジが振り返ると、そこには魔力の残滓が感じられるのみで、誰もいなかった。
「感知も優秀か」
声の方に振り返ると地面に浮浪者の男が座っていた。おかしい、先ほどまでの進行方向には誰もいなかったはずだ。それに先ほどの背後にいた気配はなんだったのか。
「今日仕入れたモノを手に入れたい。しかし生憎手持ちが心もとなくてな。それに俺はこの街の人間と親しくない。適切な値段であんたに手に入れてほしい」
「ほう、なるほどね。構わねぇが、そのあんたが欲しいモノってのは?」
「イル鉄鋼。魔力を込めれば無くなるまで半永久的に保持し続けることが出来る。鍛冶屋のコルという男が持っているのだが、これは貴族用の武器や防具の為に仕入れたもの。通りすがりにおいそれと売れるものではないのだ」
「それで俺か。まぁあのじいさんとは知った仲だ。どれくらい欲しい」
「貴重だが少量で済む。数センチの端材程度で構わない」
「支払いは?」
言うと、男は荷袋から何かを取り出す。そして指で弾いてサジに渡した。
「少量だがブルーシージをあしらった指輪だ」
サジは困惑した。
「トロア家の貴族に献上しろ。あそこはそういう品に目がない。割の良い依頼を斡旋して貰えるはずだ」
サジはにやりと笑う。
「ほほう、丁度手持ちが寂しかった上に新しいお偉方との繋がりまでとは」
「釣りはいらん」
熱の立ち込めた工房から強面な老人が出てきた。カウンターに置かれた水を飲んでいると人影が見える。飾られた武器や防具を眺めていた。
「おお、悪いな。作業中だったんだ」
声に反応し、サジは手を振る。
「ん?おお、サジか。すまんな、視力は悪くなる一方だ」
「それでも頭領の座を降りないのはさすがだが、息子さんの心象はどうかね」
「あいつはもう少しなんだがな。呆けて目利きさえ出来なくなる前に引き継ぎたいもんさ」
老人は豪快に笑う。
「ハッハッハ、あいつは酒場で良く会う。あいつもあいつなりにそこは自覚があるみたいでな、悩んでんだ」
「今度のお偉方に納品する魔剣でな、そこいらを判断してやろうと思っとるんだ」
「なら良かった。ところで、その魔剣にはイル鉱石ってのを使うんだろ?」
ほほう、と老人はご自慢のひげをさする。
「そいつをほんのちびっと、こんくらいで良い。分けちゃくれんか」
サジは身振り手振りで示す。
「こいつはそれそのものじゃ魔力を留めるだけの石にすぎん。加工ならうちでそのままやったるが、しかしそんくらいとなると、何かに出来るほどの量じゃねぇな」
サジは老人に事の経緯を話す。すると老人は怪訝そうな表情を浮かべたまま、工房へと向かう。
しばらくして戻ってきた老人は机に小さな鉱石の破片をいくつか置いた。見た目は少し緑掛かったことを覗けばごく普通の鉄鉱石と変わらないものだ。
「怪しいか?」
「いや、まぁこれ単体はある程度の希少性を覗けばそれだけの石なんだがよ。気がかりなのは、これを知るのは作り手がほとんどなんだよ」
「というと?」
「大抵は鉄の中に一パーセントも含めりゃその効果を発揮する。だから交じりっ気のないモノを覗いてそれらは鉄製だと言って売るもんだ。だから買い手のほとんどは好事家を覗いて知らねぇ場合が常でな、その効果も知らねぇ。ある時代を除いてな」
「英傑の時代か」
老人はにやりと笑う。
「俺も若かりし頃さ。あん時は芯を除いてほとんどがイル鉱石を用いた武器こそが最強だと言われていてな。周りの鋼材の強度を各段に引き上げるミスラ鉱と魔力を留めるイル鉱、これらを合わせてミスリル鋼材と呼んでいた」
約百二十年前から五十年ほど前まで続いた英傑の時代、この間には数多くの武勇を持つ者たちが生まれ、それらは読み物や吟遊詩人の詩となって彼方まで轟いた。
その中でも一線を画すレガリア卿が最高にして最後の英傑と呼ばれる。
そしてかの英傑たちが用いた武器や防具はどの文献に置いてもミスリル製と書かれていることが多かった。
「まさかあの伝説に聞くミスリルがそう作られていたとはなぁ」
「イル鉱石は珍しいが、まぁ手に入らんことはないんだがな。どちらかといえばミスラ鉱石の方が難しい」
「鉱脈が魔族の支配下になったとかか?」
「当たらずも遠からずってとこだ。あれは鉱石と呼ばれるが、厳密には一部のドラゴン種の皮膚なんだ。それも鉱物みてぇに特別硬いな。けど削りには弱いんだこれが」
「だから芯材に使って、外側をイルで覆うってことか」
「そういうこった」
「こいつに加え面白い話まで聞かして貰ってあんがとな」
そう言うと、サジは小切手を手渡して老人に金額を書かせた。
ドン、と机に酒瓶が置かれた。老人は目を丸くした後、また豪快に笑ってみせた。つられるようにサジも笑う。
「こいつで息子さんと話してやんな」
「悪かねぇな」
老人は照れ隠しに工房へと歩いていった。その背中を見届け、サジも店を去る。
裏路地に戻ると先ほどの男が出会った時と同じように座っていた。
サジは小さな麻袋を渡すと、男はそれを掴み中を確認する。
小さな鉱石を手に取り、太陽に向けると緑が鮮明に輝く。
「確かに受け取った」
「はいよ。じゃあな」
背を向けると、「おい」と声が掛かる。
振り返ると渡した麻袋が投げ返される。
「見知らぬ男がこの街に訪れる。運が良ければ近日中だ。」
「・・・どういう意味だ?」
「そいつを男に渡してやって欲しい」
「名前は?」
「さぁな」
言うと男は立ちあがり、そのままどこかへと去って行ってしまった。
何がどういうことかは分からないが、サジは渡された以上それを返すあてもなく、ポケットにしまった。
不思議な男だった。見かけは浮浪者のようだったが、戦って勝てるイメージのない、そしてどこか気品を感じさせるたたずまいをしていた。
「・・・まずは依頼書でも貰いに行くとするか。強いならそれ向けのが良い」