五『擬龍グラスローディオ二』
巨大な山の頂上の一角、それは山肌では無く巨大な龍の背だった。
翼を広げる姿はまさに龍そのもの。しかし遅れて起き上がる首はまるで壊れた機械のように予測不能な動きを見せる。遠く離れたこちらからでもはっきり視認できる、いや、知覚できる赤黒く淀んだ瞳は起き抜けだというのにこちらをしっかりと見ていた。
魔物の上位種は言葉を話すほど知性に富んでいると言う。南の龍王ともすれば必然。しかし奴は喉を鳴らし、ゆっくりと近づく。とても知的生命体とは言い難い。
ドシン、ドシンと一歩一歩と歩を進める度に呼応するように若者たちの震えは加速する。
レドリックは静かに一瞥する。今にも走りだしそうなその足を見る。
「散れ!」
その言葉を待ってましたと言わんばかりに若者たちは森の中へと姿を消す。暗龍はその姿に見向きもしない。もとより狙いはただ一人、目の前の男だけだ。
ゆっくりと男の前に向かう龍を前に、草場の陰から機を伺う村人が一人、固唾を飲んで時を待つ。それは初めに手を挙げたあの若者だった。流れ出る汗が目の前を伝い零れることも気にせず、ただじっとその時を待つ。
闇龍がその口を大きく開け、何かの予備動作を行う為に立ち止まるその時、手元のナイフを持って縄を切った。切られた縄は張られた弓が解放されるようにミシミシと音を立てる木がその力を解放し、繋がれた岩を闇龍の顔へと強打させた。
「オオオオオオ!!」
首を振り、視界がぼやける龍は、それでも渾身の力を持って立て直し、足らずも溜められた魔力の波動を眼前に放つ。
「我流、裏面刀技・投心」
男は闇龍が力を貯めている間、解放した魔力を鎌の刀身に集めていた。黒く歪んだそれは見るものさえも錯覚させ、曲がった刃はまるで太刀のように真っすぐ長く伸びた。そして波動が放たれたその瞬間、振り下ろされた刀身は波紋の如く前方へと放たれ、様々な色が混ざり合わさった淀んだ黒と深く沈み光さえ飲み込む澄み渡った黒が一点で衝突する。
数舜の均衡の後、研ぎ澄まされた黒が波動を断ち、闇龍へと到達する。
分かたれた波動がレドリック避けるように霧散し、砂煙を上げる。
視界が開かれた時、その目に映るのは透明な何かによって護られた闇龍の姿と、以前向き合うレドリックの姿だった。
「以前の能力を持つ貴様なら、当然それはあるだろうな。しかし―」
透明な防御は帯電しているかのようにバチバチと光を放っている。
「防御は不完全だ!放て!」
声とともに村人たちは立ち上がり、各々が矢を龍の目を目掛けて放つ。無残にも焼け落ちるのがほとんどの中、一つの矢が龍の片目を潰した。
突然狭まる視界に立ち上がり、悶える龍を前に、レドリックは続けざま攻め手を止めない。
「蜃闇-シンアン-」
告げると魔力の塊が龍を囲うように二、三放たれる。視界を失った龍は失った視界の果てに魔力の塊を検知する。目の前の男が実体か、はたまた背後の者がそうか、試行するその刹那が男には無限の時間と同じだった。
意識が背後へと移った時、レドリックは龍の懐へと潜り込み、魔力の刃を織りなす。
「投心、二太刀」
見えぬ防御も懐に入ればその機能を失う。破れかぶれに出された手も空しく、諸共胴体ごと二分する。
分かたれた断面には、同様に二つに断たれた核が見えた。
依り代を失った有象無象の魔獣の残滓は離散し、後には無力に落ちた二片の核が残されただけだった。
一人、また一人と草場から顔を出す。
「やった!?」
「やったんだ!!」
駆け寄る村人たちに揉まれるレドリックは嬉しそうにも、肩の荷が一つ下りて安堵しているようにも見えた。
「お前たちの手助けのお陰だ」
「本当ですか!本当に?」
「ああ」
レドリックは若者たちの頭を撫でた。
そこにはかつての仲間たち、若き兵たちを重ねていた。
男は山を指す。
「奴の無き後には大きな穴が開いている。そこを掘り進めれば新たな鉱石の溜まり場も見つかるやもしれん」
「ありがとうございます!この御恩は何をお渡しすれば良いか」
「元凶は奴でも縁を作ったのは辿れば俺になる。感謝をされる所以はない。だが―」
腰を下ろし、落ちた核を拾い上げる。
「いらぬならこれを貰おう」
「それを旅人様がお望みならもちろん!」
村の若者たちは駆け足で荷物を片付け、いち早く吉報を届けようと歩みを進めた。
レドリックは核を握りしめる。
「グラスローディオ」
瞼を閉じればかつての記憶が蘇る。
そこには横たわる黒き龍と、一人の男。
今ある生い茂った緑も無く、ただの荒野に二つは向き合っていた。
「剣聖、我は貴様の力を見誤っていた」
レガリアは近づく。
「その大陸をも包まんとする巨躯と翼がそう思わせたのか」
龍は不敵に笑う。
「その剣技と不屈の心がそう思わせたのだ」
レガリアは眉をひそめた。
「貴様の力を持ってすれば、よもや我を屠ること能わんと、しかし現実は違った」
レガリアは剣を龍の胸に突き立てる。しかしそれを予期していたかのように龍は以前として表情を崩すことは無かった。
「この一撃でその命を終わらせよう」
硬い皮膚を難なく切り裂き、その刃は地面へと突き立てられた。
感触はある。しかし妙だ。鼓動が剣を伝ってきていた。心臓は断たれても尚、脈動を止めない。
「その剣技が個を断つもので、その不屈が光輝く瞳から成るものあれば、有象無象を屠ることはわけないだろうよ。されど我が肉体は闇であり、心は影なれば、その身では討つこと叶わん」
龍は尾を身に寄せ、眠るように体を縮めた。
「光は闇を拒むが、それがある限り我らは存在を否定されることはない」
「貴様・・・」
龍は静かに目を閉じる。
「小僧と遊んで少々疲れた。王には悪いが暇を頂くとしよう」
龍の体が高質化し、それは鉱物のように生の気配を失っていく。
「願わくば次の眠りは貴様自らに下されると甲斐があるのだがな」
そうして龍は次第に小さな山となり、見る影を失った。
時は流れ、王の前に跪く男。
「卿よ、報告を」
王の脇に立つ大臣がレガリアに問いかけた。
「は、かの闇龍は私の前にその身を伏し、そのままその姿を山へと変質させました。しばらくは持ちましょうが、それがいつになるかも、今がどういった状態なのかも明確にはなり得ませんでした」
大臣が思い悩む素振りを見せる。
「それは、それは卿がかの闇龍を封印せしめした、そういうことか」
「分かりませぬ。奴の言を信じるならば、それは自己防衛の術とも捉えられるやも」
「卿よ」
固く口を閉ざしていた王が遮るように言葉を話した。
「貴殿はかの闇龍を討伐した」
その言葉にレガリアは目を見開いた。
「しかし―」
「良いな」
「・・・はい」
レガリアは唇を噛みしめ、にじむ血を拭った。
「悪かったな。別れの言葉も用意していたんだがな・・・」
二つに分かれた核を強く握りしめると、それはさらに細かく砕け、黒い靄のように散った。
「墓は俺と同じで良いな?」
魔力の靄はゆっくりとレドリックの体内へと流れ込み、消えていった。
「旅人様!」
声に瞳を開き、その方を見やる。
「村を上げて危機を防いだことの祝いをするのです!旅人様ももちろんご一緒に」
「ああ、今行く」
彼の心無き後、真意を聞くことは叶う事はない。しかし疑問に残る。
彼は何故、死を受け入れ望んだのか。
あいつは再び俺の手によって手向けられるこを望んだ。それは本質が武人に寄る所なのだろう。しかしそれは俺である理由であり、そも死を望む理由にはならない。王と慕う姿に操られたような意は見受けられなかった。
「なれば奴に真意を聞かねばなるまい」
レドリックは握りしめた拳を広げ、若者たちのもとへと向かった。
次なる地は北にある。
吹雪の止まぬ極北の防塞国家イルトバーレの先にある氷山地帯。
眠りし王龍の待つ地へと。