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十『老爺の余暇』

「フフン~フフ~フ~フフ~フン」

鼻歌交じりに老人はタバコを吸う。

人気のない森の中、小川で小岩に座る老人は慣れた手つきで針に餌を指していた。そばを見るとこれまでに数匹の釣った川魚が容器の中を泳いでいた。

白髪にゆったりとした服を着た老人は、眼前の小川のように流れる緩やかな時を生きていた。

ぴくりぴくりと竿が反応を見せる。

ただその時を待つ。老人は顔色一つ変えることをしない。

「よっ」

持ち上げると、そこには丸々と太った魚が垂れさがっていた。

手際よく針から外すと、釣った魚を容器に入れ、木で出来た簡素な釣り竿に糸を巻き付けて片づけを始める。

「フン~フフフ~ン」

竿を担ぎ、釣った魚を抱えて老人は立ちあがり、森を抜ける。

ふと何かに気が付き、耳に手を当てる。

「よっ、なんだ?」

老人は誰かと会話をしているようだった。

「おう・・・おう・・・そうか。分かった・・・ああ、午後に顔出すとする。・・え?ああ、まぁ五匹ってとこだ。・・・いや、全然足りねぇって・・ハハッ、んじゃあな」

老人は魚を見た。五匹が悠々と泳いでいる。そして振り返り、森の方を数舜眺める。頭を掻くと、ままいいかとその場を後にした。

しばらくが経った頃、町に戻ると人々がまばらに行きかっていた。

見た事のないローブの男が家の陰で壁にもたれかかり、水を飲んでいる。

顔は良く見えなかったが、見た事がないのは確かだ。

「よう、兄ちゃん」

「どうも。嫌に暑いですね」

男は会釈をする。

「若いのにそんなこと言っちゃあいけないな。ほれ、これ見てみ」

魚は少し元気を無くしているが、ゆらゆらと揺れていた。

「大漁ですね」

「うちの若ぇのがよ。これじゃ全員分足んねぇっつうんだよ。年寄をなんだと思ってるんだか」

「お元気そうに見えますよ」

「あいつらと同じこと言いやがらぁ。担がれてもよ、なんも出来んのだがよ」

老人は家のノブに手を掛ける。どうやら男が休んでいた場所は彼の家だった。

「あんた、名は?」

「レドリックと言います」

「ほん、飯はもう食ったか?」

レドリックは少し答えに間を置く。

「・・・いえ」

「まぁ入れよ」

レドリックは言われるがまま、彼の後に続き家へと入った。

中は素朴な平屋で、失礼ではあるがいかにも独り身のご老人の家といった感じだった。

そんな中にあって異質さを醸し出しているのが壁に掛けられた一振りの剣。少し反りのある片刃をしている。

刀身は六十センチほど。何より気になったのは使っていないかのように美しく欠けも見られない姿にあった。

「ま、このご時世だ。使いどころってのはないんだがな」

老人が言う。どうやら興味深そうにしているのを見られたようだった。

「ご自身で使われるのですか?」

「物干し竿には見えんだろう?」

「ええ、まぁ」

レドリックは困惑しながら立っていた。何か手伝えることはないかと様子を伺っていたが、老人は座るように目配せをした。

慣れた手つきで魚を裁く。一人暮らしが長いのだろう。さすがに家族の事は聞けなかったが、誰かに任せている様子は無かった。

魚を焼き始めると、老人はレドリックに水を差しだした。

「遅れたな。オルドだ」

「どうも」

「まぁなんだ。暇な老人に付き合えよ」

オルドはレドリックの向いに座った。

「休むつもりではあったので、お昼もご馳走して頂けるなんて感謝しかありません」

「ほーかほーか。あては?」

「この大陸を転々と、今はイルトバーレに向けて北へ」

「あそこは冷えるからな。着込んでけよ」

「痛み入ります。オルドさんはここに住んで長いんですか」

オルドは少し考えた様子だった。

「まぁ、生まれじゃないんだが、それなりにはなるか。元々はずれの方にいたんだが、定年というやつか、引退はしてないんだが、大抵の事は若いモンに任せてある。だがまぁ組織ってはよ、旗頭が必要なもんだろ?だから俺みたいな奴でも入り用ってな」

レドリックは剣を思い出す。組織というと何か軍のようなものだろうか、と。

気づけば自分の事と重ねていた。

「そこにとって象徴となるべき存在なのでしょうね、栄誉あることです」

「ああ、だが象徴ってのは良くも悪くも色を染め上げちまう」

含蓄のある言葉だ。そしてそれは嫌というほど味わってきた言葉でもある。

それから少しの間、二人は他愛もない会話を続けた。

魚の焼けた良い匂いがする。オルドが立ち上がり、焼き魚と米、汁物を盛り付ける。

「たんと食え」

「いただきます」

どれも素朴で、特別丁寧に作ったというものでは無かった。しかし心の奥底にゆっくりと染み渡る味わいは、まるでこの老人を表しているかのようだった。

「して若者よ」

昼を済ませた後、オルドが口を開いた。

「はい」

「武芸に明るかろう?」

「・・・多少は」

「運動だ。付き合え」

日も傾きはじめ、暑さも峠を越えた頃、二人は屋外へと出た。

大樽の中には大小様々な木製の武器が入れられていた。

オルドは予想通り、壁に掛けられていたものと同様のサイズの刀を取った。

「同じものを」と言うと、オルドは意外そうに笑い、投げ渡した。

手に取り、振りながら感触を確かめる。刀身はかつての物とさほど違いは無い。

刺す、叩くよりは斬る、()る印象か。

レドリックは探り探り両手で握り構える。

それに合わせるようにオルドも両手で構えを取る。似たように見えて練度の差は歴然だった。

「先手をやる」

「・・・では」

言葉を終えた時、レドリックは強く足を踏み込み、距離を詰める。

あえて、僅かに大振りに振るう。オルドはそれをいなしながら躱し、気づけば首元に刃が到達していた。

寸前で止まる。それはピタリと急停止したのでは無く、そこまで到達するように力が込められていたようだった。

「まだ手心の必要が?」

「・・・失礼しました」

距離を離し、再び構える。

何度も何度も打ち合う。三度目からだろうか、四度目からだろうか、その時には時間を考えるという感覚がすとんと抜け落ちた。

力で攻めてみる。早さで攻めてみる。手数で攻めてみる。初撃を誘ってみる。タイミングをずらしてみる。

あらゆる要素を排除し、ただ武芸という括りの中で行われる戦いにおいて、レドリックは僅かに及ばなかった。

しかし、この打ち合いは両者にとって心地の良い時間だった。レドリックの引き出す攻め手の数々に、経験から成されるオルドの技運びに、両者はいつ訪れるとも知れない底の探り合いを魅せられていた。

「オルド様!」

レドリックは声の方を振り返ると同時に手元の鎌と切り替え、魔力を流す。

目の前の者は短刀を携え、確かな殺意を持って首元に切りかかっていた。

暗殺者のような身を隠す装い。

何よりも驚くべきは、向かい合う二つの殺意はオルドの両手により制止させられた事だった。

「オルド様!何故!」

「この兄ちゃんは客だ、せっかちめ」

その言葉にぎょっとし、相手は得物をしまった。

「大変なご無礼を!」

小麦色の肌の女は深々と土下座をした。

「げっ、そういえば時間か!」

「はい、お呼びに参りました」

「急ぐぞ、ケイ。またな若者よ!」

ケイは立ち上がり再度頭を下げると、先を行くオルドを追った。

どっちがせっかちなんだか、とレドリックは見送る。

村の入り口に向かうと、馬車が迎えた。

二人を乗せ、走り出す。

「王、かの御仁は一体」

「ああ、偶然会ってな。しかしあの殺意」

「はい、止めて頂かなくては今頃・・・」

「気にするな。それより遅刻の言い訳を考えてくれ」


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