98.目覚め
「……何だよ……これは」
冒険者……ジークは、目の前に浮かぶ“黒髪の少女”へそう問いかける。瞳を閉じたまま……まるで眠っているような表情をしながら……その“少女”は、空中宮殿の祭壇に浮かぶ。
しかし、その冒険者の言葉に……姿を変えたバハムートが返答することは無かった。少女はただそこに佇み……沈黙を守り続けている。
「おい、バハ姐──」
リヴァイアサンは、姉の様子を不審に感じながらも……微動だにしないその体へ触れようとする。宙に浮くその体に、青髪の竜の腕が伸びた瞬間──。
「──よせ、リヴァイアサンッ!」
突如響き渡る、アルディートの叫び声。この場に居る誰も……同胞であるアリアやリュートですら聞いたことの無い声色で、甲冑を身に纏う“魔軍の長”は叫んだ。
呆気にとられるジークやリュートたち。しかし……アルディートの“警告”も空しく……既にリヴァイアサンの手は、“黒髪のバハムート”の体に触れていた。
「──」
青色の髪の少女……リヴァイアサンの瞳に映ったのは……目を閉じたまま口角を上げる、不敵な表情の“姉”の姿。その瞬間──少女は悟る。なぜ……アルディートが取り乱したのかを。
「──しまっ」
瞬間──リヴァイアサンの体にかかる、限りなく重い重力。その力が、華奢な青髪の竜の体を祭壇の近くから、宮殿の外周付近まで吹き飛ばす。
それに反応して──エリュシオンを閉じ込めていた“水の渦”が消えた。
「クソっ……! 竜娘──」
──冒険者、ジークは駆け出す。ただならぬ雰囲気を纏うバハムートへ向かって──手を伸ばす。筋肉がちぎれそうになるほどに力を込め……少女の体に触れようとした瞬間──。
「──おはよう、みんな」
「──なに、を」
瞳を閉じた少女が発した言葉は──まるで衝撃波となって──ジーク達へ襲いかかる。冒険者もリヴァイアサンと同じく吹き飛ばされ……その後方に位置しているファフニールや魔軍の長達も……“バハムート”から放たれる圧に圧倒され……空中宮殿から放り出されそうになっていた。
「ちい……ッ! 何なのだ……これは」
「知ーらない。でも、気づいてるでしょ? あの子、“変わってる”よ、多分ね」
リュートはいつもの調子で言ってみせるが、しかし余裕のあるのは言葉だけだ。魔軍の長の中ではひときわ小さい体の魔物少女は、飛ばされないために瓦礫を掴むので精一杯。
アリアも、影に潜る隙すら無く……この場に居る誰もが、一歩も動けない状態だった。ただひとり──エリュシオンを除いては。
「……あぁ、これが──これこそが」
巨竜……アジ・ダハーカを背景に、エリュシオンが叫ぶ。
「竜の時代の──はじまりなのですッ!」
アジ・ダハーカ、あるいはヴリトラが、“黒装束”の言葉に合わせるようにして雄叫びを上げる。すると……祭壇の上に浮く“少女”もまた……両手を胸の前に合わせ、祈るような姿勢を見せた。
「──バハ、ムート」
冒険者の言葉は黒色の空の元にかき消え──“少女”から再度放たれた“竜の力”によって、宮殿の祭壇前に居た者は……みな吹き飛んだ。 そう──エリュシオンは、“降ろした”のだ。破滅の竜……アジ・ダハーカの力を……竜の巫女たる少女に。バハムートの力が、そうであったように。
ジークが空から落ちながら見た最後の光景は……既にアジ・ダハーカに支配された……“バハムート”だった者の姿であった。
・
・
・
「……う」
冒険者の瞼が微かに開く。視界がぼやけ、意識が混濁する中で……ジークは自分の世界が“逆さま”になっていることに気づく。
だが……どれだけ力を込めても……冒険者の体に力が入らない。エリュシオンに吹き飛ばされた影響か──定かでは無いが、しかし……仮に体を動かせたとしても……空中では何も出来ないだろう。
「……く……そ」
ジークの意識は、まだもやのかかったような状態。それでも冒険者は……その手を“祭壇”へ……より正確には“竜の巫女”へ向けた。
どれだけ力を込めても、どれだけ腕を伸ばしても、どれだけ指を開いても……その手が、少女を掴むことは無い。
「──ジークさんっ!」
空中に響き渡る女性の声。それと同時に……冒険者の落下する体は何者かに支えられ……安定していく。
「……ど、どうすれば……」
その女性の声の主──中性的な容姿を持つファフニールの片割れ……“ニール”は、傷を負ったジークの体を抱えながら……たじろぐ。
最も近くで竜の巫女……もとい“アジ・ダハーカ”の放った衝撃波を受けたジークの体はまさにボロボロ。見た目には現れていないものの……ニールが触るだけで分かるほどに、内出血は酷い。
「さてね」
そう言うのは魔物少女……リュートだ。彼らは間一髪のところで……駆けつけたティアマトの背に乗り……危機を脱していた。
竜の姉妹達にとっては、アジ・ダハーカの咆哮が止んだことで……何とか体力を取り戻しつつある。
「どうするの、アルディート。ボク達じゃ、あんなデカブツ倒せっこない。あのクソ野郎も殴れやしないし、さ」
「……“アレ”が目覚めた時点で……もう、負けたのかもしれません」
リュートの言葉に返すファフ。そのファフニールの片割れが見つめる先は、不気味佇むアジ・ダハーカの本体だ。
幸い──と言って良いのか、“竜”のアジ・ダハーカは、未だ大きく動いていない。
「──おいおい、……もう……諦めるってのか」
魔物少女達に悲観的な言葉に反して……冒険者は、傷だらけの体で立ち上がる。
「じ、ジークさん! まだ起き上がっては……」「……いいんだ。ありがとな……ニール」
制止を振り切り……ジークはふらふらとしながら……竜の背に立つ。
「……あいつが目覚めたらこの世界が終わっちまうんだろ? なら──」
ジークの脳裏に浮かぶ、竜の巫女の姿。冒険者は、弱い。竜の巫女ほど聡明ではなく、竜ほど力もなく、騎士団長ほど技術もなく、魔物ほど狂ってもいない。
しかし──決して短くは無い旅で……ジークは学んだ。弱い自分にしかできないこと。弱い自分でも出来ること。
「──絶対に、諦めたりはしない。諦めの悪さ……俺が、あの竜娘から学んだことだ」
ファフも、ニールも……飛んでいるティアマトも……各々瞳を閉じて……胸に“姉”の姿を浮かべる。
その“姉”が言うのだ。──ここで諦めるほど、我らは弱くは無いのだ──と。
「……その冒険者の言う通りだ。まだ諦めるには早いようだな」
アルディートは、ティアマトの背から地面を見る。彼らが見ているヴァリアの大陸……そこに立つ人影は、明らかにティアマトを見ている。
それに加えて……その人影は、彼らも知る人物で──。
「貴様ら人間の大好きな──“希望”というやつさ」
真っ白な甲冑に……青色のマント。腰に携えた……“聖なる剣”。
いつもと変わらぬ顔で──金色の髪を持つ騎士団長──アーサーが、そこに立っていた。




