88.竜娘、少女
ケントニス大陸にある……第二の古代村。いわゆる“過激派”である黒装束達に追われ、逃れてきた穏健な竜の信徒達が身を寄せている村。
その村から少し離れた場所にある崖。そこに生えている“木”の麓に居る……一人の少女。
「……おい」
その“影”に……声を掛ける姿がひとつ。腰に剣を携えた、いかにも冒険者風といった出で立ちの男……ジーク。
その冒険者に声を掛けられた少女……バハムートは……肩をピクッと震わせるだけで、言葉を返すことは無かった。
とはいえ……近寄りがたい雰囲気を出している少女へ……ジークは近づくことができない。
以前も──バハムートが落ち込むことはあったが……それとは比較にならないレベルで……少女は塞ぎ込んでいる様子だ。
「……」
頬をかくジークも……この重苦しい空気の中で黙りこくってしまった。
そしてそのまま──暗闇の空の下で……時間が流れ──。
しかし。ずっと続いてしまうかのように思われた静寂は……他ならぬ“少女”によって破られた。 赤色の髪のバハムートは……木の麓に俯いて座りながらも……口を開く。
「……笑いたければ笑え。“竜”のフリをしていた愚かな小娘だと」
「……」
「……わらわは、竜などではなかった。……かつて竜に捧げられた──ただの、“人間”じゃ」
ジークは黙ったまま……肯定も否定もせず、ただ少女の言葉に耳を傾ける。
確かに──思えば、不自然な所はあった。ティアマトらの竜の姉妹がみな、竜に姿を変えているにも関わらず……未だにバハムートだけ、“変身”ができないこと。
他のみなが、竜の司る力を宿す一方で……少女が“炎”や“力”などの、一般的な能力しか使えていないこと。
この二点だけ見ても……確かに、バハムートは自然では無い。彼女の存在には、違和感がある。けれど──。
「……もはやわらわは……何者でもない……何者ですらない。……竜であることが誇りだったのに……これでは笑いものじゃ」
消え入るような声で、全てを嘆くような声色で……そう呟くバハムート。
その言葉を聞いて……ジークは少女が座る反対側の木の幹にもたれかかった。
「……笑いもの、ね」
バハムートの言葉を聞いた冒険者は……ふと、頭を上げて空を見る。
かつての青色が黒色に染められている空を視界に入れながら……ジークは、今までの“旅”を思い出していた。
“いつの間にか、ずいぶん遠くへ来ていた”──かつて竜娘と出会った“遺跡”を思い浮かべながら、彼はそう思案する。
魔物との因縁。出会った人々。そして──“竜の姉妹”達。
決して簡単な旅路では無かった。だが……それゆえに……冒険者は、感じていたのだ。
「……なぁ、俺とお前が出会ってから……ずいぶん経ったよな」
「……それがどうしたのじゃ」
潤んだ涙声を絞り出しながら答えるバハムート。ジークは更に、少女へ問いを投げる。
「……お前はどうか分からんが……俺は長い旅だったと思ってる」
「……」
少女は“何が言いたいんだ”と言いたげに言葉を返さない。実際……冒険者の頭の中で何を伝えるべきか迷い続けているからだ。
だが──少なくとも、ジークは少女──バハムートを放っておくことなど到底できなかった。それは──。
情景。多くの場面が……まるで電流のように……それらは冒険者の脳内を駆け巡る。
ジークは、“平凡”な冒険者だった。ルーティンのように毎日を生き、明日さえ生きることが出来ればそれで良い……ヴァリアを出るまで──男はそんな生き方をしていた。
退屈で、平凡で、代わり映えの無い、モノクロの日常。
だが──白黒の世界で生きる意味も無くただ“死んでいなかった”彼に──“色”を与える者が居た。
その“存在”は、無鉄砲で、破天荒で、負けん気が強くて……しかしそれでいて……芯を持った存在。
少女バハムート。“竜”との出会いで、冒険者は変わった。少女が手を引くことで、彼はモノクロの日常から抜け出した。
そう──当人であるジークが一番感じている。バハムートという竜が、自分に何を与えたのか。それがどれほど……価値のある物なのか。
「……その、なんだ。……なんというか、だな……」
伝えるべき言葉、伝えたい感情が溢れ……しどろもどろになるジーク。その様子を“木”越しにも感じたのか……少女は、小さな声で笑った。
「……変わらぬな、ジークは」
「……褒め言葉として受け取っておく」
そんな和やかな空気が一瞬流れ……ジークはたじろぎながらも言葉を続ける。
「……なぁ──ありがとな、竜娘」
「……礼を言われるようなことをした覚えは──」
そこまで少女が口にすると……男は、今まで立っていた場所を離れて……バハムートの前に場所を移す。
突然のことに驚く竜娘だったが……それに構うこと無く、ジークは言葉を紡ぎ続けた。
「いいや──ある。俺は……お前のおかげでここに居る。お前が俺を、俺の手を引いてくれたから……」
「……よせ。わらわの為に心にも無い言葉を言う必要は……」
「……った」
「……?」
突然声量が下がった冒険者を不思議がり……その場から立ち上がるバハムート。まだ涙の伝った跡が残る顔でジークの顔を見つめる少女だったが──。
「──!」
冒険者の手と、少女の体が、木にぶつかる。……二人の間から、拳一つ分の空関すら消えて……密着に近い状態になるジークとバハムート。
「きゅ、急になにをするのじゃ……!」
少女は……少しだけ頬を赤くしながらジークを押しのけようとするが……。
「──楽しかった」
「……え?」
冒険者の言葉が思いにもよらないものだったのか……少し戸惑う少女。
対して、ジークは……少し低い声色で、続けた。
「……俺は、お前が何を見て、何を知ったのかは分からない。それに……落ち込んだ人間を励ますのだって……得意じゃない」
「……おぬし」
「でも──だけど、俺はお前と居て──“バハムート”って奴と一緒に居て……楽しかった。いつも前を歩くお前の背中を追いかけるのだって……嫌いじゃ無かった」
少女の目が潤む。目尻に涙が浮かぶ。
「竜だろうが、竜じゃ無かろうが──俺は“バハムート”を信じる。あの日……フォル村の遺跡で、クソ生意気に俺に付いてきた……お前をな」
「……じ、ジー……ク……う」
冒険者の思いをぶつけられた少女は……今までため込んだ不安が流れ出したかのように……冒険者に抱きついて鳴き始めた。
まるで子供のように泣きじゃくる少女の頭を撫でながら……ジークは思う。
“こんな小さな竜娘が……一体どれほどの重責を負っているのか”と。
ザァ、と木に吹き付ける風が木の葉を揺らして……音を奏でる。
ゆえに……彼らは気づかなかった。
「──へぇ、面白いことしてんじゃん」
「……お前は……生きていたのか」
自分たちに忍び寄る影の存在。それは──“魔島”の空中宮殿から落ちたはずの──。
「……くく、トーゼン。ボクがあの程度で──死ぬと思う?」
「相変わらず……悪運だけは強いってか」
ジークは……涙を流すバハムートを木の傍らに座らせて──“魔物少女”リュートへ剣を抜く。
だが──対する魔物は、それに応じる様子がない。
「……何のつもりだ?」
「……今日はキミたちを誘いにきたのさ。ま、ボクとしては反対なんだけど──」
“包帯を巻いた腕”で冒険者達を指すリュートは……次のように続けた。
「──“エリュシオンぶっ殺し作戦”。どうだい? キミたちも……あのいけ好かない野郎を殴りたいでしょ?」
そう告げるリュートの顔は……言っている内容に反して……笑っている。
その“魔物”は限界まで上げられた口角をしながら……満面の笑みで言う。
「昨日の敵は何とやら……ってやつだよ」




