87.竜、あるいはドラゴン
かつて──ドラゴニアという世界は、三つの勢力が奪い合う土地であった。
人間・魔道士・竜。各々が、ドラゴニアという広大な資源を手にするため……文字通り、血で血を洗う争いが繰り広げられていた、戦乱の時代のこと。
ある時……終わりの見えない戦いに終止符を打とうとする者達が現れた。“ドラゴニア”が滅びを迎えないために……一部の人と竜が、“魔物”を生み出す魔道士達相手に手を組んだのだ。
そして──ついに魔道士を倒したと思われたが──彼らは最後に、残った竜と結託してある“存在”を喚びだした。
それが──。
「……アジ・ダハーカ。あるいは……ヴリトラ」
「……そんな話、今まで聞いたことも無いぞ」
「そうでしょう。なにせ数千年前に起こったことですから」
そう言う。、古代村の村長……マーリンの表情は穏やかだ。その口から発せられている、あまりに荒唐無稽な事柄とは対照的に。
ジークは寝具から起き上がり……頭を抱える。
「しかし、あなたは見たはずです。“魔道士”の生き残りである……エリュシオンの姿、力を」
「……っ」
ジークはマーリンの話を否定しようにもできない。それは、自らがその“証拠”たる存在を目にしてきたからだろう。
エリュシオンに始まり……竜に“竜信仰”。まだ数は少ないが……それでも今の状況を説明するには十分すぎる材料だった。
「……あいつは……竜娘は、どうしてる」
「バハムート様は──」
そうマーリンが口にした途端、家の戸ががたん、と揺れた。それは、何者が聞き耳を立てていたということ。
「……私以外とは会いたくないようなのです。この“村”の人間にさえ……ね」
「……そういえば、まだ聞いてなかったが……ここは、一体どこなんだ?」
眉をひそめて、考えながら問いを投げかける冒険者に対して……年老いた“村長”は答える。
「ここは──ケントニス。穏健派の竜信仰信者が身を寄せる……小さな村じゃ」
「……ケントニスだって? ……名前しか聞いたことが無かったが……」
ジークの言うことはもっともで……彼が生まれたとき、既にケントニスは“捨てられた”大陸だった。
かつては栄えた文明があったらしいが……今ではごろつきのうろつく廃墟になっている……そんな噂を、冒険者は常々耳にしていた。
その真偽はどうあれ──彼の思い描いていた様子とは違う“ケントニス”に……少し衝撃を受けるジーク。
「……ここは、滅んだ大陸じゃないのか」
「えぇ。その解釈も間違いじゃ無い。けれど、けれどね」
そう言って、マーリンは、部屋の中にある棚に立てられていた写真を……ジークの元へ持ってきた。
そこに写っているのは……ジークも見覚えのある、“黒装束”達。
「……彼らが過ごしていたのが……ここ、ケントニス──“魔道士”の、大陸なの」
・
・
・
──ジークがマーリンと話している時間。この村の郊外にある大きな木の麓に──ある人影がひとつあった。
海沿いの高台に生える木からは……海の様子がよく見える。しかし……真っ黒な水面に薄暗い空となっては……いささか、綺麗とは言いがたいだろう。
そして──その水面と空の彼方に見える……大きな“卵”。世界に終末を告げるその姿を……“彼女”は、知らなかった。
「……」
その姿……少女は、言葉一つ発さない。この村に流れ着いてからというもの……マーリンとの間ですら……会話をしていないのだ。
「わらわは……私は──」
少女の頭の中に流れる……エリュシオンによって“掘り起こされた”記憶。それは“竜”としての記憶でなく──小さな村に住む、少女の記憶だった。
俯きながら……消え入りそうな声で、少女は言う。
「一体……何者、……なの……じゃ」
・
・
・
場面は戻り──マーリンの家の中で……身支度を進めるジークの姿。
「……で、エリュシオンらの“黒装束”は……過激な竜の信徒だと。そういうことか?」
「はい。かつての同胞の悲願……“ヴリトラ”様を目覚めさせることを目的としています」
「……もうひとつ、聞きたいことがある。その……アジなんたら……ヴリトラについてだ」
ジークは、今一度“魔島”の宮殿での出来事を思い起こす。エリュシオンは、その“卵”を。
黒装束の頭領は言った。“ヴリトラ”の復活によって……竜が地上の支配者となる、と。
ここで……冒険者の脳内に疑問が生まれた。それはすなわち……それほど強い力を持つ“ヴリトラ”とは、何者か、ということだ。
「……かの者は……“破滅”をもたらす竜。起死回生の一手として……滅びの力を有しながら産み落とされた、竜です」
「……戦争に、勝つためか」
「あるいは──世界を道連れに……心中するつもりだったのではないでしょうか」
そうマーリンが言い終わると……ジークの支度が終わったようで……傷ついた鎧の上に外套を纏ったいつもの姿に変貌していた。
唯一異なる点があるとすれば……腰に携える剣の鋒から……ほのかな光が失われていること。
「これから、どうなさるおつもりで?」
「……俺が今やるべきことは……ひとつだ」
ジークは拳を握り……マーリンを背にして……顔を力強く上げた。
「……竜娘と……いや──バハムートと、向き合うこと。俺は……知らなければならないんだ。彼女が何者で、何を背負って……何を感じているのか、を」
ジークはそう言うと……マーリンへ礼をして家を出て行く。……少女の居所が伝えられていないにも関わらず。
そんな……相変わらずの冒険者らしい振る舞いを見て……マーリンは、穏やかな表情のまま……独り言を呟いた。
「……ヴァリアを追われた身の私に出来ることは少ないですが──それでも」
彼女は、窓際にある椅子に腰掛け……外を見る。そこに映し出されるのは……がむしゃらに走って行くジークの姿。
「それでも……陰ながら応援しております──“竜の騎士”様」




