51.逃避の果て
「……はぁ……はぁ……」
息切れをする幼い声。その主であるバハムートは、胸に手を当てて深呼吸をして、息を整えようとする。
……竜娘が息切れをしている……ということは、つまりジークやコウテツにとっては言わずもがな、といったところ。
彼ら冒険者一行はというと……オニキスの“城”を間一髪のところで脱出し、郊外まで足を運んでいた。
時刻は夜。暗闇が空を支配し、まばゆい小さな輝きが空を点々と照らす……そんな時間。
流石に……と言うべきか、この時間帯まで外に出ているドワーフは居ないようで、彼らの追っ手も特に居ないようだった。
「……ふぅ」
ジークは、バハムートと同様に一息つく。安心や安堵からか……あるいは他の事柄ゆえかは分からないが、ひとまず危機を脱したことは確かだろう。
コウテツは地面に寝転ぶ。下は草原のようで……言うなれば一種のクッションのようになっている。
草花が揺れ、風が吹く。時間の経過とともに気温が低下し、冒険者達に涼しげな風が吹く。まるで……彼らを労うように。
「……ティア、後ろはどうじゃ?」
「問題ありませんわ、姉様。人の気配はありません」
「……癪なことじゃが……あの“黒装束”が何かをしたとしか思えぬのう」
皮肉にも……冒険者達は助けられた可能性がある……というわけだ。
ただ、“皮肉にも”というが、“黒装束”が本当に敵対しているかは定かではない。
最初の接敵はドワーフの指示のもとであったし、次はバハムート自らが仕掛けたもの。
……とはいえ、“竜の力”に似た力を用いる以上はただの魔道士というわけでもなく……それゆえに、竜の姉妹達は警戒しているのだろう。
「……気になることが増えたな……ったく」
ジークは高ぶる鼓動を鎮めると、自分の置かれた状況を思い返し、思わずため息をつく。
“リュート”対策だけで大変だというのに、そこに“教団”と呼ばれる新たな勢力の登場と来れば……ジークの胃の痛みは増すばかり。
「……コウテツ。“教団”ってのに聞き覚えは無いのか?」
「あるわきゃねぇ。あいにく……あんなうさんくさい連中は気にくわねぇんだ」
「……そうかい」
何もそこまで言わなくても……と思うジークだったが、一方で、コウテツの意見にも一理ある。 実際、謎の魔法を使う“教団”のメンバー……となれば、怪しさ満点、疑わしさマックス。
「……どうするかね、これから」
よっと、というかけ声と共に、ジークも地べたの草原へと寝転がる。
彼の視界に映る光景は綺麗な物で、黒い空にいくつもの星々が煌めいている……絵画のような光景。
冒険者達の“あて”は外れてしまった。オニキスに助力を願うはずが……むしろ彼らに敵視されてしまったのだ。
しかし、アイアンに迫る魔物の脅威が消えたわけではない。今もあの街には、多くのドワーフとマーズが居る。
「……っ」
ジークは夜空へ手のひらを突き出して……力を強く込めて握る。
「……クソ……」
アイアンの事情に勝手に口を出したのは……ジーク達だ。
確かに……今の“メタル大陸”の状況は異質そのもの。しかしそれは……“よそ者”であるジーク達が、おいそれと介入できる問題ではない。
しかし……ジーク達は、アイアンに現れた魔物を倒した。その責任は……彼らが取らなければならないだろう。
「……ファフニール。彼女は、どこです?」
「……あぁ?」
今まで黙っていたティアマトが、コウテツに向けて話しかけた。ドワーフは少し驚きつつも……寝転びながらティアマトの方へ首を向ける。
「……ドワーフに頼れないのならば、わたくしたちに残された選択肢は少ないでしょう。ならば……可能性が高いものに賭けた方がいい」
コウテツは押し黙る。ティアは、これまでのコウテツの振る舞いや言動から……このドワーフが“ファフニール”と何らかの関わりを持っていることは察していた。
バハムートとティアマト二体では、確かにリュートと渡り合うのは厳しいかもしれない。力が戻るのを待つ余裕もない。
だからこそ……新たな竜の姉妹を戦力に加えるべきだ……というのが、ティアマトの主張だ。
「……“アイン山”だ。そこの頂上に……“あいつ”は居る」
「……まるで知っているような口ぶりですのね」
「……どうだかな」
コウテツは、半ば投げやりにそう言ってみせた。ドワーフも何か抱えている物があるようだが……ティアは、それ以上追求はしなかった。
そんな中……ジークは立ち上がり、背伸びをする。
「……ティアマトは、知ってるのか? その・・…“ファフニール”とかいうヤツを」
「いいえ。ですが……漠然とは覚えていますわ。……聡明で力強い。そんな竜だった記憶がありますもの」
……いつの間にか寝転がっていたバハムートも、首を縦に振る。どうやらファフニールは……相当な手練れらしい。
そんな竜達の様子を見て……コウテツは誰にも聞こえないような声でぽつりと呟いた。
「……そうだったら……いいがな」
「……? どうした、コウテツ」
「いーや。なんでもねぇよ」
コウテツも、ちょっとしたかけ声と共に体を起こす。それと同時に……全員がジークの元へと集まった。
「……で、アイン山はどこにあるんだ? 近いのか?」
「遠くはねぇが近くもねぇ。歩いて行くならそれなりにかかるぞ──」
コウテツがそう言おうとしたとき──突如、夜空の元に強い風が吹いた。かと思えば、ジーク達は“煙”に包まれてしまう。
「……な、何だ──っ」
腕で顔を覆う冒険者は……それ越しに“見た”。夜空の元で“光”に照らされる──巨大な竜の姿を。
ティアマト。彼女が竜に変身した姿。だが……今までジークが見た姿とは少し異なる。
その黒い表皮には、赤色の紋様が走り、どこか神秘的な印象や力強さを見た者に与えている。
体表が黒いからか、その巨体も闇夜の中では目立たない。近くに居るジークですら、目の前の“闇”がティアマトの体であると気づくのに時間がかかったぐらいだ……と。
『行きましょう──姉様達』
ジークの脳内に……いつものティアマトと変わらない声が響く。
「……な、嬢ちゃんの声が……一体どこから……いや、そもそも“コイツ”は何なんだよッ──」
目の前の光景にたじろぐコウテツ。その様子にどこか親近感を覚える冒険者と……その二人の手を取るバハムート。
「いいぞ! ティア!」
『……えぇ、姉様』
──“闇”が動き……竜娘達をその手の中に収めた。夜のオニキス近郊に──“竜の翼”が広がる。
『コウテツ……案内を』
「……わーったよ。やるしかねぇなぁ!」
コウテツは頭を掻いて、自分の頬を両手で叩く。ぺちんという擬音と共に……ティアマトが飛び立った。
竜の姉妹。その三女である──“ファフニール”と邂逅するために──彼らジーク一行は──アイン山へと飛ぶ。




